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答えは一つではない美意識

2021.03.10 23:16

学校の勉強に慣れてしまうと答えは一つだと思い込んでしまいます。


解き方が数種類あると言うのは数学の世界でもあると思いますが、答えが複数あるというのはあまりありません。 芸術の世界なら答えは無数にあると言えるかもわかりません。 


世の中の現象は数学でなんでも説明できるという話しがありますが、それについては大きな疑問があります。確かに基礎となっている数学的現象は多いのは事実です。それで説明できるものも沢山あります。しかし、それだけでは人間社会は説明できないことが満載です。それに目くじらを立てる人もいますが、実際の現象を見ていないから目くじらを立てるのだと思います。


もし、答えが複数ある数学の問題があったとしたら本当に数学になるでしょうか? 

どれが正解と言えるでしょうか?


量子学のスリット実験の話しも聞いたところによると観察者によって結果が違うということですが、二つの結果が出ただけで世界的に右往左往してしまいました。 

ところが芸術となると、これが正解というのは決まっている訳ではありませんし、表現の仕方は無数です。美意識というのは、ある意味、その人にとっての美意識です。答えはないとも言えます。 ただ目指す物は何となく同じということでしょう。つまり答えが揺らいでいると言えます。


完全に同じではなく、ややブレているように思えるから面白いのだと思います。それが大前提になっているから美意識が奥深く興味深いのだと言えます。 

この絵が好きとか、この音楽が好き、この歌手が好きというのは単なる感覚です。答えではありません。その感覚が多くの人で同じになるから良いと認めている訳です。


それを統計にしてみてもハッキリした答えが見つかるとは思えません。あくまでもボヤッとした答えです。つまり答えが複数ある訳です。 数学の世界でも統計はボヤッとした答えが複数ある訳です。


まったく話しは飛ぶのですが、私は「明日のジョー」というアニメをリアルタイムで見た世代なのですが、意外にも話しの回数が少ないのです。私達の世代だとかなり長い回数やっていた記憶があると思うのですが、実際にはそんなには多くはありません。 

きっと何度も同じ話を子供の時に見ているから、長い話しがあったように錯覚して記憶してしまっているのだと思います。

芸術は記憶を通してフィルターがかかります。感覚と記憶の間には、微妙な関係が成り立っています。


それを数学者は正確でないと言い、正確な数字を示しますが、その数字は陳腐なものにみえてしまうことがあります。人間社会では、そのフィルターがかかったものが真実とされることが多く、ニュースや報道番組が事実を伝えないというのと全く同じなんじゃないかと思います。


学校で習うことと、実際が違うと印象を受けるのは、このような理由からなのかもわかりません。 だからこそ本当に良いものだけが認められているかというとそうではないと言えます。

それもまた面白い世界なのです。それに目くじら立てても意味はない。社会というのは、そういう現象でありふれています。つまり、実社会は、そんなに数学的ではないということです。 

数学的要素と芸術的要素が絡み合って人間の社会は成り立っているという証拠です。


なにげに美意識と言う人がいますが、日本人の美意識とアメリカ人の美意識は違います。鍼灸の美意識も人それぞれ違います。美意識を追求すると言っておきながら、数学的なエビデンスが大事なんて言っているのは本末転倒なんじゃないかと思います。 


私にとっての美意識は、感覚的でもなく、数学的でもない。それらが統合された世界だと思っています。 


本当に面白い世界です。