12.建築家の世界 彼の手がけた作品訪問
昨日。そう、それは昨日のお話。
もうゲッソリなった。疲れ切るほどに。頭の中も大概ぐるぐるなった。
すごかった。すごすぎた。
インパクトが大きすぎて、大きく我々のキャパを超えていた。
圧倒的だった。
もはや、そこには写真なんかじゃ収まらない。取り込むことなんて到底不可能な。
空間、場所。そして、なんだろうか、、景色?いいや、空気?いいや。世界があった。
昨日は、以前からお話ししていた建築家N氏。彼の自宅。と彼の手がけた家(築五年)を訪問させていただいたのだ。
前回記事→<7.建築家と会う><8.建築家に初めて会いに行った話>
私たちは無論。”家”を見に言ったのだけれども、私たちがいかに。
”とらわれていた”かを思い知らされた。
概念。というものが違う。
”当たり前”の家、”当たり前”の間取り。そんなものを見すぎていた私たちは
目に入るごとの空間に
そしてその空間に包まれるたびに ここは、、リビング?ダイニング?ここは?
と頭が勝手に”何か”に当てはめようとしている感覚を感じた。
そんなことは全くの。
無意味。であることに気づく。
N氏は言った。
『何かのジャンルではない』
まさにそうなのだ。
そこにあるのは、空間。彼の世界。だ。
未体験ゾーン。です。
見たことのないもの 知らない世界 そんなものに出会った時、人は本能的にワクワクするんじゃないだろうか。
それは可能性との出会い。希望との出会い。
上がりきったテンション。圧倒されすぎて脳内容量オーバー。
もちろん結局のところ好みだと思う。選択の自由だ。
犠牲にすることもたくさんあるのだろう
それでも思った。これは生き方なのだと。
家。壁があり、屋根があり、雨風をしのぎ安心して眠ることのできる建物。
それが家。
考え方、価値観は自由だ。
誰かにとっては全く価値のない家かもしれない。
それでも大切なのは
大切にすべき価値観は 誰のどんな価値観か
という話だ。
選ぶ家、建てる家によっては、人生の選択の一つになりうる
こんな生き方をしたいと、していくのだと。
直結にあたいするほどの、価値があるものだと確信した。
なんとも美しく
気持ちいい
壁が 影が 柱が 線が
気持ちがいい。
そこにあるその設計力 デザインの力は、素材をも超える。
嫌いだったクロス張りの壁、温かみのあるぬりかべが好きだった。
そんなことはどうでもよくなった。
圧倒的なのだ。デザインの力が。
それから決定的だったのは
住んでる人が、生き生きしていることだ。
もちろん予算もあるし、妥協した点、選択しなかった選択もあるだろう
それでも
納得して出来上がった空間であることがよくわかる。
自分たち。というところに対して、最高の贅沢。なのだ。
こんな世界があったとは
生きててよかったとすら思えてしまう そんな一日だった。
人生とは何があるかわからない。
面白いものだ。