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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大王対女帝20-ナポレオンも使う斜行戦術

2021.03.11 11:07

ロスバッハの戦いの後1757年11月5日、今度はオーストリア軍7万とプロイセン軍3万5千でロイデンの戦いが行われる。ここでフリードリヒ大王は、この後ナポレオンも使う有名な「斜行戦術」を使い、片翼を攻撃すると見せながら、本軍を旋回させて逆の片翼を攻撃する奇襲戦術で勝利した。ここでマリア女帝もようやく義弟カールをあきらめ、ダウン将軍を司令官にした。

プロイセンとの戦いには消極的なフランスのリシュリュー公も、イギリスとは積極的である。フランス軍は、英王ジョージ2世の地元ハノーファーに侵攻、57年7月末ハステンベックの戦いに勝利、8月11日にハノーファーを占領した。

さらに仏軍はブランシュヴァイクを占領したが、これ以上の進軍は無理と、英司令官カンバーランド公とクローステル・ツェーデン協定を結んで停戦してしまった。しかしこの協定はどちらも本国で猛批判されて、カンバーランド公は更迭されて英仏は再戦する。

イギリスは、プロイセンの将軍フェルディナンドを元帥に任命し、多額の資金援助をして反撃に転じ、冬に進軍を開始すると、何と仏軍は撤退して、翌年にはハノーファーが奪回されてしまう。リシュリュー公は、資金着服容疑もあり、司令官を解任させられた。