2011年3月11日の話をしよう※2021年3月第二週目の木曜日でした!3/11
今日は3/11東日本大震災のあの日から10年の節目の日という事で、
あの日の14:46の時の事を思い出しながら営業時間を過ごした。
あの日は金曜日だった。エニシングはまだない。ダイナマイトマンダムは31歳だった。
当時は毎月第二金曜日に「クラブ竹鶴」というクラブイベントをFAMEで主催していた。
その日は当日に仕込みというか追込みで南千歳にあった「タワーレコード長野店」にいた。
4Fの邦楽コーナーの試聴機でその夜のイメージを膨らませて試聴している時だった。
そんな時にその瞬間がやってきたのである。
人生で感じた事のない立ちくらみ。そう思った。
1分以上に感じる長ーい横揺れ。脳みそおかしくなったのかと錯覚していた。
気持ち悪かった。ヘッドフォンを外しても眩暈は治らず立ち尽くしていた。
当時店内のスタッフやお客さんも少なく、他の人がどうだったのか覚えていない。
何とか平静を取り戻し、早く帰ろうと出口に向かって歩みを進めた。
そこでクラブ界隈の知り合いが声をかけてきた!
「おっ!どうも!」
「おおお!どうもっス」
他愛のないリアクションで挨拶を返すと
「今地震っすよね!長かったっスね」と彼は言った。
そこで今試聴機前で感じた揺れは自分ではなく地面が動いた事を悟る。
なんかその時点でホッとしたように思う。
エレベーターは無事動いていた。
一階に降りて外へ出る。
街は金曜日の午後。そんなに人影もないけども、普通にみんな動いていた。
そんな時に「マンダムさーん」と声をかけてくる輩がいる。
顎の出た若いDJだ。営業途中で暇だったようだ!
「コーヒーでも呑みませんか?」とナンパされた!
「近くにサイフォンで飲めるカフェあるんですよ」
その誘いにのって彼と店に向かう。
その店は中央通りの「cafeSHINKA」というお店だ。
カウンターに座り珈琲を注文する。
マスターは同じ吉田高校の少し上の先輩だとわかり盛り上がった。
もうさっきの地震の事など忘れていた。
珈琲が出来上がって飲みながら談話。
すると入口方面のテーブル席の女子グループから悲鳴が!
「きゃー何これ!?どういう事?」
彼女たち目線は壁掛けの大きな液晶モニターに釘付けだ!
そのモニターには黒い大波が海辺の街に押し寄せる映像だった!
その時にさっきの地震がまさかこんな事態になっていたのかと悟った!
そこから30分程、さっきの地震が東北地方でかなり大きな地震だと知り
カウンターから見づらいからと立ったまま見ていた。
地震の大きさと初めて目の当たりにする大型津波の映像!
全く理解出来なかった。津波がこんなに怖いとは知らなかったんだ!あの時!
夕方も迫り、店を出て当時実家の若槻へと車を走られせいた。
その車中で「はっ」という思いが芽生えた。
こんな非常事態でクラブイベントで騒げるわけないじゃん!
実家で関係者に電話☎️
しかし、当時の電話の先の人たちは状況理解できず「中止するわけないじゃん」と
返答してきた!
「いいから近くのTVでも観て考えろ、これは今まで見たどの地震よりも悲惨だぞ!
やるのはいいけど、俺は不参加!」
そう言って電話を切った。
数分後に「これは、、、、、無理だな、、、」という返信電話が、、、
イベント中止が決まった!
そんな結果で当時のSNSではこんな事を書いていた。
とりあえず夜にFAMEに行った。
オーナーや顔見知りのお客さんがカウンター中心にプロジェクターに映されたTV中継の映像を言葉少なく見つめた。
新たに来たお客さんが、当時出来立てのチャラ箱クラブ「ネバーランド」ってとこでは通常イベントやってると
伝えて来た!なんか怒り💢💢が凄い込み上げて来て殴り込みでもいこうかと考えたが、
そんな事よりもこれからどうするのかをその場の人たちとディベートする事にした。
非常事態で更にいらん揉め事が不要不急だと判断したのだ。
夜が不安一杯に更けていく。
午前3時になり、FAMEを切り上げてお客や関係者と
お腹が空いたと若里のお食事「川端」へ向かった!
カツカレーを注文して、食べ始めた時だ!3:59!
店内にいた他のお客さんの携帯も含めて緊急地震速報の着音が鳴り響く!
「長野北部」と表示される!
「えっ!長野で」
その時だ!
あの前日に昼間にタワーレコードの時に感じたおんなじ揺れが襲ってきた!
長い。横揺れ。気持ち悪い。
店内のTVでソレが栄村が震源だと知る!
飯山の知り合いに電話した!
「下から突き上げ物凄い揺れで家の中のレコードがぐちゃぐちゃ」
一応無事だと確認した。
ソレにしてもあの日は大怪獣が日本各地を次から次へと襲ってくるようなイメージも抱えていた。
不安が解消されるわけでもなく、その日は無口に各々家路に着いたのが朝5時だったと思う。
丁度10年だ。丸々経過したのだ。41歳になっている。
あの時には思ってもみない今がある。
その半年後にエニシングがオープンした。
親父はこの地震がきっかけでエニシングのオープンを思い立ったそうだ。
人生はどうしたって一回しかない。そう悟ったんだ。
そう考えるときっかけとしてあの日は大きい1日だったと思う。
その店は今世界中で新型コロナという脅威に巻き込まれて、
まだその渦中から抜け出せずにいる。
本日は久々お客さんが0だった。
火曜日から木曜日の来店は4人。都合一万円も売り上げがない。
長野地域のコロナ警戒レベルってのも2に引き上げられた。
金曜日の夜は雨の予報だ。
ドラマティックなご時世だぜ全く。
ソレにしても思い出すには充分な営業時間だった。
そしてコノ状況を考えるにも疲れる時間でもあった。
明日は誰か来て欲しい。ホント。