写真を撮りにいくように。
「社会のために」「地域のために」「まちのために」という語りが学生中心に増えたように思う。「ジェンダーの問題に関わりたい」「ひきこもり支援が重要」「留学生の・・・」という、特定のテーマへの想いを語る語りも増えたのではないだろうか。
自分を取り巻く世界へ目が向き、関心が高まっているのだろう。その興味の先に、少しでも、誰かの何かを支えたり、後押ししたりするのであれば、嬉しい。
ただ、彼らと話していると「社会」「地域」「ジェンダー」「環境保全」の言葉の箱に、中身が入っていないことがしばしばある。いや、透明な状態で入っているのか、もしくは箱を開けたら靄がかかっている状態といった方が適切かもしれない。
「地域のためって言っているけど、地域って何?誰のこと?」
「暮らしているすべての住民というけど、どんな人が目に浮かぶ?」
こんな問いを渡しながら、その箱の中に飛び込んで、一緒に探索していく。
続けていると、箱の中に、写真が見つかってくる。
あの時の、あの場所の、あのシーンが、その人からシェアされて、それを見ながら、新しい言葉が見つかって、その人だけの言葉がつくられていく。
手垢がついた言葉ではなく、湧水のようなキレイな言葉に出会う。
意味の共創では、そんな時間を過ごすことが多い。
しかし、写真が見つからないことだってある。
誰かが言ったのを間に受けたように、地域のため、社会のためと、借り物の言葉のように語ってしまうのではないだろうか。
だからこそ、自分が語る言葉が、借り物の言葉だと感じてしまうのなら、その言葉につながっている現場に出会ってほしい。その場所で、カメラを持って写真を撮って、自分の中に保存してほしい。
そしてそれを、どこかで見返してみてほしい。写真を見て気づいたことを、言葉に積み重ねていくと、借り物ではない、あなただけの言葉が生まれてくるのだと思う。
結果的に生まれた言葉が、誰かが使っている言葉だとしても、その語りの先には、「あの時の、あの人」が浮かんでくるのではないだろうか。
これからソーシャルなフィールドで活動する人がきっと増えるし、それだけではなく、生きていく中で意思を持って道を決める場面も増えていく。
自分の中にあるカメラで、写真を撮りにいこう。
きっとそこから、自分らしい言葉・意味が生まれてくるから。