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煩悩

2018.03.12 13:48

https://kaifukuji.amebaownd.com/posts/6699555/  【苦悩多き人生を生き抜いていける道~「モンポウ」のすすめ~】より

 仏教用語に「涅槃(ネハン)」という言葉があります。

 この「涅槃」とは、煩悩(欲望)が無くなり、仏教の最高のさとりに到達した境地を表す言葉です。この境地に到達するためには、一般的には、厳しい修行をとおして、煩悩(欲望)を断じ尽くした末に得られる境地とされてきました。

 ところが、親鸞聖人は、「涅槃の真因は、ただ信心をもってす」と語り、この境地に到達する本当のかなめ(真因)になるのは、信心(シンジン)のみであると語られます。

 このお言葉に触れて、思い起こされるのは、私達が普段から慣れ親しんでいる『正信偈』にある「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」

(書下し文:よく一念喜愛の心を発すれは、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり)」

 というお言葉です。このお言葉のこころは、煩悩を断じ尽くして得られるのが涅槃の境地であると思っていただが、そうではなく、煩悩を滅しきれない我が身への悲嘆(ヒタン/悲しみとなげき)の心とともに、そのような身である私を丸ごと受け止めていただける世界があったのだという喜びと驚きであります。

お念仏の教えに生きた先人の言葉に

 『絶望に立って、はじめて一歩が出てくる』 (長川一雄)

 『人生に絶望なし。いかなる人生にも絶望はない』 (中村久子)

という言葉があります。また、昭和を生きた仏教学者安田理深師は、

『人生が行き詰まるのではない。自分の思いが行き詰まるのだ』 (安田理深)

と語られました。

この苦悩多き人生、煩悩(欲望)の尽きることのない身をかかえて、その身から逃げるとなく、受け止めていける人生が、聞法(モンポウ/お念仏の教えを聞くこと)をとおして、開かれてくるのだと思います。


https://books.j-cast.com/book038/2012/11/15000576.html 【お坊さんが教える“煩悩をマネジメントする方法”】 より

 あれが欲しい、これも買いたい、もっと贅沢な暮らしがしたい、もっとお金があればいいのに。いくら鎮めようと思ってもすぐに湧き上がってくる煩悩。特にお金への執着はなかなか消すことができません。

 お金と上手に付き合っていくためには、煩悩をどうにかしなくてはいけないのは事実ですが、多くの人は煩悩を“完全に排除する努力”をしているのではないでしょうか。

 しかし、『お金にとらわれない生き方』(サンクチュアリ出版/刊)の著者で、真言宗のお坊さんでありながらマネーマネジメントコーチとしても活躍している佐藤颯融さんは、「煩悩を排除するのではなく、煩悩を上手くマネジメントすることが大切」だと説きます。

  煩悩は人間にとって大きなエネルギーで自動車にとってのガソリンのようなものです。空焚きするとかなり痛い目をみますが、正しいエネルギーに変換できれ ば、高品質のガソリンのようにパワーの源になります。だから、心と精神を安定させ、自分の人生のために煩悩のエネルギーを燃焼させることに使うと良い効果 が生まれます。

 ここでは本書から、ブッダの教えの中核である「四諦八正道(したいはっしょうどう)」を、「お金にとらわれない心を磨き、鍛える」つまり、煩悩をマネジメントするためのフレームワークとしてご紹介します。

 「四諦八正道」とは、ブッダが煩悩と精一杯向き合って悟りを開いた、そのメカニズムを体系化したものです。そして、これは本書においては、お金にとらわれない心を身につけていくための根幹となる考え方であり、フレームワークとして説明されています。

 まずは「四諦」からいきましょう。これは、ブッダが悟り開くに至るプロセスにおいてみつけた、4つの真理のこと。

「苦諦」(くたい)…生老病死を含めたこの世の苦

「集諦」(じったい)…苦の原因の集合体、いわゆる煩悩

「滅諦」(めったい)…煩悩を滅した悟りの境地

「道諦」(どうたい)…煩悩を滅するための正しい8つの道(=八正道)

 この「四諦」には、煩悩まみれの悪い世界「苦果」と、悟った豊かな世界「楽界」があり、これらは原因と結果の法則で成り立っているといいます。「苦果」は「集(原因)・苦(結果)」に、「楽界」は「道(原因)・滅(結果)」となるわけです。

 「滅諦」で煩悩を滅し、悟り境地に至ると“解脱”になるわけですが、ここに至るために実践すべき修行内容として、正しい8つの道を辿る「八正道」があります。

1)「正見」(しょうけん)

…自己中心的な見方や偏見をせず、原因と結果という「縁起」が人生の根本であることを正しく理解すること。<徹底した自己管理>

2)「正思惟」(しょうしゆい)

…自分本位、独善的な考えをしない。財産や名誉など俗世間で重要視されるものや煩悩の三毒にとらわれない考え方をすること。<利他・奉仕の精神>

3)「正語」(しょうご)

…心に悪影響のある「口の四悪」(うそ、ごまかし、悪口、綺語)を使わない。<マネーの墓に入っている亡者の口癖の封印>

4)「正業」(しょうごう)

…本能に任せた「身の三悪」(殺生、盗み、不道徳な男女関係)を行わない。

 <お金との付き合い方のビジョン・ガイドラインの明確化>

5)「正命」(しょうみょう)

…1~4を習慣化し、正しい生活を送る。<継続・習慣化の仕組み作り>

6)「正精進」(しょうしょうじん)

…4つの努力をする。(1、すでに起こった悪い行いを断つ、2、将来悪い行いが起こらないようにする、3、過去に行ってきた善い行いをさらに継続、4、さらに善い行いを今後実践する)<地に足のついた継続的な努力>

7)「正念」(しょうねん)

…信念を持って、絶え間ない努力の裏付けのもと、念じ続ければ道は開ける。<信念を行動まで落としこむ>

8)「正定」(しょうじょう)

…心が外的要因や変化に迷わされない真理を見極める眼をもつ。<ブレないお金との付き合い方>

 この8つの正しい道こそが、煩悩を豊かな人生を送るためのエネルギーに変換するための正しい行いなのです。そして、8つの道をしっかりひとつひとつ実践していくことで、お金にとらわれない心を身につけることができると佐藤颯融さんは述べています。

 巷ではお金と上手く付き合っていくために、さまざまなテクニックが紹介されていますが、結局、煩悩に支配されたままではテクニックを使っても効果はあがりません。煩悩を上手くマネジメントするための土台となるのが、この「八正道」なのです。

  本書は、仏教と投資やマネジメントの専門用語が混ざり合いながら、お金との付き合い方を教えてくれる異色のビジネス書。専門用語も分かりやすく図やイラス トと共に解説されており、「お金の断食」など一見異なる分野の用語がうまく融合し、自然と頭と心にストンと入ってきます。そして、お坊さんならではの自己 啓発の側面もあり、とても内容が深い構成になっています。豊かな生活を送るために、まずは豊かな心を手に入れることを『お金にとらわれない生き方』を読み進めながらまず考えてみてはいかがでしょうか。

(新刊JP編集部)


https://www.yoriso.com/sogi/bonno/ 【煩悩にはどんな意味があるの?108種類ある理由や言葉の使い方とは?】 より

煩悩にはどんな意味があるの?108種類ある理由や言葉の使い方とは?

仏教に詳しくない人でも煩悩という言葉について、なんとなく知っている人は多いのではないでしょうか。

「煩悩は良くない!」などマイナスな印象を持たれがちな言葉ですが、煩悩について深く知っていくと新しい気づきがあるかもしれません。

煩悩には様々な意味があり、人が人生をより良く生きていくうえで煩悩について知ることは必要なことでしょう。

そこで今回は煩悩の意味や詳細などを詳しく説明していきます。参考にしてみてください。

煩悩に込められている意味とは一体?108種類もあるって本当なの?

煩悩とは仏教上の言葉で、人を苦しめ、煩わせる心・悟りに至る道を妨げる心のことを指します。

煩悩は1人につき、108種類あるいわれ、煩悩を1文字で表すとされる108画の漢字があります。

この漢字は、「苦平悪意舌耳女子身鼻眼浄染」で構成される文字で1文字書くのに時間がかかりますが、興味ある方は調べて書いてみてはいかがでしょうか。

煩悩は悪いものというわけではない?人間には欠かせないものなの?

煩悩は悪であると考える人もいますが、決してそうではありません。なぜなら煩悩とは本能・欲求という言葉に言い換えることができるからです。

欲求とは人間が本来持っている「食べたい」「寝たい」「成長したい」といった気持ちです。こういった煩悩があるからこそ人間は発展してきたとも言えます。

例えば、「成長したい」ということは人や社会が変化していくためには必要な欲求です。成長したいという気持ちがあるからこそ、社会でも様々な新しいテクノロジーや文化が生まれているのではないでしょうか。

また「食べたい」「寝たい」という動物的な欲求は、人間の生命を維持するために必要不可欠なものです。もしこの欲求がなければ、食事もしないことになり生命を維持することができません。

よって、煩悩は決して悪いものではないと言えます。

悪いと言われる理由は、煩悩に振り回されてしまうことがあるからでしょう。

例えば、「成功したい」という気持ちに執着しすぎると、周りが見えなくなったり、自分の体を壊してしまったりすることがあります

大晦日に除夜の鐘で108回つく理由とは一体?煩悩との関連性は何?

除夜の鐘で108回つくのは、煩悩に関連した理由があります。除夜の鐘とは、大晦日から年明けにかけてつかれるお寺の鐘のことを言います。

108回鐘をつくのは、煩悩の数が108あるからです。また煩悩の数の108には「たくさん」という意味も含まれています。

除夜の鐘も「たくさんつけばいい」という考えから、お寺によっては200回以上つく場所もあります。

除夜の鐘は107回を大晦日のうちにつき、108回目は年が明けてからつくのが正式なやり方です。

他にも除夜の鐘は、お寺によっては参拝者につかせてくれるところもあり、自分で鐘をついて煩悩を払いたいと体験される方も多くいます。

【煩悩の数が108もある理由1】人間の五感や心が煩悩をつくる

煩悩の数が108もある理由の1つは、六根(人間の五感や心のこと)があるためです。

六根とは耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)のことです。

六根の働きにより生み出される六塵からさまざまな感情が起こります。

例えば、耳で何か自分にとって嫌なことを聞いたりすると、ネガティブな感情が沸き起こってきます。

また感情は好(こう)・悪(あく)・平(へい)に分けられ、さらにそれぞれ染(せん)・浄(じょう)に分けられます。

さらに染(せん)・浄(じょう)の感情も過去・現在・未来の3種類に分類することが可能です。

分類された感情の数として、六塵(6)×好・悪・平(3)×染・浄(2)×過去・現在・未来(3)を計算すると108となります。

【煩悩の数が108もある理由2】人間を苦しめる心が原因となっている

二つ目の理由は、人間には十纏(じってん)と呼ばれる悪い心があるからです。

「纏」という漢字は「からみつく」という意味があります。そのため人を苦しみで縛る煩悩と同じ意味として捉えることができるでしょう。

十纏は無慚(むざん)・無愧(むき)・嫉(しつ)・慳(けん)・悔(け)・眠(みん)・掉挙(じょうこ)・惛沈(こんじん)・忿(ふん)・覆(ふく)の10種類に分類することが可能です。

また九十八結(くじゅうはっけつ)も、人間を縛り付ける煩悩のことで98種類あると言われています。

十纏の10の数と九十八結の98の数を合わせると108になります。

【煩悩の数が108もある理由3】四苦八苦という仏教の考えによるもの

最後に3つ目の理由は、四苦八苦の言葉にあります。四苦八苦はことわざとして有名な言葉ですが、仏教が始まりです。

本来の意味は人間によくある8種の苦しみのことです。8種類の苦しみは生・老・病・死の根本的なものと、4つの人生である愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦から成り立っています。

四苦八苦は4×9+8×8×9という計算式に変えると108となり、これが煩悩の数になっています。

人間の苦しみは環境によるものではない?心の内側にあるもの?

煩悩は人を苦しめる心のことを言いますが、その苦しみの原因は一体どこからくるのでしょうか。

お金がない・仕事がうまくいかない・病気があるなど、苦しみの原因とされることは数多くあります。しかし、これらの問題がなければ幸せかというと必ずしもそうとは限りません。

なぜなら有無同然により、今までなかったような心配や悩み、苦しみが出てくるからです。

有無同然とは、お金やモノは「有っても無くても、幸せになれないのは同じ」というお釈迦さまの言葉のことです。

例えば、お金の観点から考えてみましょう。貧乏が嫌で、仕事を頑張ってお金持ちになったとしても今度は税金の問題やお金がなくなることの恐れや不安が出てきます。

同時に名誉を得ても有名になればなるほど、自由がなくなり堂々と街を歩くこともできなくなるのではないでしょうか。

このように何かを得て、表面上の問題が解決してもまた違う問題が出てくるということです。

このように何度も苦しみが発生する原因は外側の環境ではなく、自分の内側にあります。

人間の内側にある108種類の煩悩がある限り、人の悩みはなくならないのではないでしょうか。

煩悩は心の働きから起こる?どこから生まれるものとされているの?

苦しみの原因は外側の環境ではなく内側にある煩悩にありますが、煩悩はどこから生まれるのか気になるのではないでしょうか。

仏教上では無明という状態や三毒と呼ばれる心から発生すると考えられています。

無明とは、文字通り「明かりが無い」という意味で、暗い状態のことを指します。暗い状態のため、目の前のことすらも正確に把握できない状況です。

それによって欲やネガティブな感情に支配されてしまい、煩悩が生まれることになります。

また三毒は貪欲(欲張った気持ち)・瞋恚(激しい怒り)・愚痴(真理を知らず、愚かな状態)の3つの心のことを言います。

これらの3つの心から煩悩が生まれて、人間を苦しめることになります。

煩悩を捨て去ることはできる?苦しみから解放されるにはどうしたらいいの?

煩悩を捨て去り、苦しみから解放されるためにはまず煩悩を悪と捉えないことです。

仏教上でも欲を持つことは悪とはされていません。しかし、欲が強くなると、自分自身をコントロールできなくなったり、人を傷つけたりしてしまいます。

煩悩の本質的な意味は、欲があることでなく、欲を達成したいがために執着心が強くなることです。執着心が強くなるということは、視野が狭くなるということです。

「自分にはこれしかない」と自分を自分で追い込んでしまうと苦しくなってしまいます。

「お金が人生の全てだ」という考えも、お金以外に大切なことを見失ってしまうでしょう。

大前提として欲というものは誰にでもあるものです。そのため欲を持たないように強く意識してしまうと、余計に苦しくなってしまいます。

欲を抑えるのではなく、強すぎる感情や執着を抑えること、あるいは消し去るという視点が大切だと言えます。

煩悩という言葉はどう使えばいい?一般的な使い方と特殊な使い方

煩悩という言葉の使い方としては「煩悩にまみれている」などが一般的です。

このようにネガティブな意味合いを指すことが多いですが、子供を可愛がる親を指す「子煩悩」という特殊な表現をすることもあります。

そのため必ずネガティブな意味合いとして使われているわけではありません。

しかし、子煩悩も執着という観点からみれば子供に気持ちが向きすぎているという考え方もできるでしょう。

英語では煩悩をなんて表現する?日本語とは言葉の意味は変わるの?

煩悩という言葉を英語で書く場合はworldly desires、あるいはworldly passionsと表現します。

worldlyは「この世の」「地上の」という意味を持ち、desiresは「願い」「望み」といった意味を持ちます。

またpassionsは「情念」「感情」といった意味です。

日本語との意味の違いとしては、変わりはないと言えます。

「この世」「地上の」と表現しているところが、生きているすべての人間に対して煩悩があることを意味していると捉えることができます。

煩悩の意味を知ることからはじめよう

煩悩は度を超えた欲求などからくるものであり、それにより人間は苦しめられるという仏教上の考えがあります。

煩悩は良くないという意味で捉えがちですが、人間の欲というものは人を成長させたり、人生を変えたりするために必要なことでもあります。そのため欲そのものを否定してしまうと、自分の素直な気持ちを我慢してしまうことになり、それも苦しみを発生させる原因になります。

よって、大切なのはバランスを保ちながら煩悩とうまく付き合っていくことです。

煩悩に苦しめられて、振り回されないためにも常に自分と対話して、欲に飲まれないようにしましょう。

また周りの人の意見やアドバイスを冷静になって聞くということも大切です。欲に飲まれていると、自分を客観視できずに「自分が正しい」と思ってしまう傾向があります。

そうなると、自分の周りで問題が発生していることすら気づけなくなってしまいます。そのため周りの人から助言を受けたら、しっかり聞くことを意識しましょう。

人生は人それぞれ苦しみや乗り越えなければいけないことはたくさんありますが、苦しみがあるからこそ楽しいことや幸せを感じることができるのではないでしょうか。

外側にある苦しみをすべて消そうとするのではなく、苦しみのなかで幸せを見出していくその内側の意識や視点を持つことが重要です。

煩悩の意味をしっかり理解して、これから充実した人生を送るためにもうまく煩悩と付き合ってみてください。

興味がでた方はより深く煩悩についてしらべてみてはいかがでしょうか。