本は人なり
昨年、都会の片隅にひっそりと隠れ家みたいに存在するヨガ教室に出会ってから、なんだか日々を幸せに生きている。
何年も出会うチャンスはあったはずなのに、反応したのは昨年三月。何事もタイミングが重要である。一瞬早すぎず一瞬遅すぎず、その瞬間は来る。
何度も、どこでも話していることだけど、そのご縁の契機は自分の中ではセンジュ出版という出版社とのご縁から始まる。
今どき書店に平積みされる、いわゆる「売れてる本」っぽい本から一線を画した本作り。
「わかりやすさ」にどっぷり浸かった自分には、読まないと良さがわからなかった本達だけが生み出される場所。
感覚鈍ってない方は、表紙を見るだけで良さがわかるはず。僕は相当鈍ってたってことが、今ならわかる。
でもそんな、世界の隠れ家みたいな本達が、隠れ家みたいな場所に繋いでくれた。
ではなぜ、その本達がそんな縁を繋いでくれたのか。
本は情報の塊じゃなくて、一冊一冊が人だから。
子供の頃言われたことありませんか?「友達は選びな」って。
そんなこと言ってくる大人は、だいたい嫌な奴だったけど。
本においては、それはあるかも。
有名な人ってだけでは、知り合うに値しないけど、本を記した著者達の、玉石混交の中から玉を見つけ出すことができれば、時空を超えて、紙背を通して出会うことができる。語り合うことができる。
身の回りのどこにも居場所がなくたって、優れた本は魂を孤立させない。
そうやって読んだ本達が読者を著者の匂いに引き寄せていけば、日々の生活の中で出会う人が変わる、出会う場が変わる。
地位が高いとか低いとかでなく、しかるべき波長にチャンネルを合わせれば、出会うべき人に必ず出会える。
だから、サヴァランじゃないけど、読んできた本を見れば、人間がわかると思う。
その人がどんな景色にチャンネルを合わせてきたのかが、滲み出るだろうから。
人間としての上下を言ってるわけではなく、本来立ち返るべき自分の姿って、そうやって探すこともできるかもよ、という話。