俳句は取合せ ①
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/23/000427 【俳句は取合せ(1/10)】
はじめに
松尾芭蕉は、俳句の骨法を「発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし。二ツ取合て、よくとりはやすを上手と云也」(許六の記録)と、簡潔に要約した。つまり俳句とは、二つのものを取り合せて作る文藝という。もともと俳諧連歌から派生したものなので、取合せには中国や日本の古典さらには謡曲などを踏まえる本歌取りする手法が主流を占めていた。この手法を離れて、現実を重視する態度に転換したのが、芭蕉の開眼であった。
取合せを少し具体的に言うと、 季語に固執すると発想が貧困になるので、余所(よそ)すなわち季語の埒外に目を向けることによって多くの発想を得る事が出来る。つまり季題・季語と余所のものとの散り合せによる発想が、俳句の基本的な方法なのである。許六による具体例は次のようなもの。
木がくれて茶つみもきくやほととぎす 芭蕉
茶つみとほととぎすの取合せになっているが、「木がくれて」ととりはやしたので名句になった。
明治になって正岡子規は、これを配合と呼んだ。なお、「取合せ」俳句の分析法は、途中に切れの入らない一句一章の俳句(他の事物と取り合わせずに、対象となる季語だけに意識を集中させ、その状態や動作を詠んだもの(一物仕立て))にも適用できる。
本論では、「取合せ」の詳細を、分析する方法から始め、芭蕉と蕪村の五月雨の句と最近の結社誌からの作品例につき見ていくことにしたい。また、俳句を評価する際に、一句独立の作品として鑑賞する場合と、紀行文の中で鑑賞する場合とで異なる点に留意したい。
分析の多数の例を見ることによって、俳句作法の奥義を感得できそうである。
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/24/000851 【俳句は取合せ (2/10)】 より
二物衝撃
取合せ(配合)では、一句の中で、二つの事物(主に、季語と別のモノ・コト)を取り合わせることで、両者に相乗効果を発揮させて、読者を感動に導く。読者にとって衝撃が大きいほど感動も大きくなる。
一句の構造を取合せの観点から分解すると、次のようになる。
① 季語 ② 取合せ語 ③ 連結語(とりはやし)
具体例 さみだれをあつめて早し最上川 芭蕉 についてみると、
① 季語=さみだれ② 取合せ語=最上川③ 連結語(とりはやし)=あつめて早し
ということになる。では衝撃の度合いをどのように定義するか? 実はこれが厄介である。季語と取合せ語との距離感(離れ具合)や連結語(とりはやし)の効果度によるのだが、これを客観的に定量化することは、文藝の評価が読者の感性(主観)や教養によるだけに、非常に難しい。「さみだれ」を詠んだ別の句と比較してみよう。
さみだれや大河を前に家二軒 蕪村
① 季語=さみだれ ② 取合せ語=家二軒 ③ 連結語(とりはやし)=大河を前に
季語と取合せ語との距離感の点では、芭蕉句では近い(雨と川の関係)が、蕪村句では少し遠い(雨と家の関係)。連結語(とりはやし)の点から見ても、芭蕉句の「あつめて早し」は、さみだれと最上川との関係を直接に表現しているので、読者はすぐに了解する。驚きは少ない。
更に言えば、最上川でなくても他の川に置き換えられるのでは、との感想もでてこよう。
対して蕪村句では、「大河を前に家二軒」の情景は、簡単にイメージできるが、それを「さみだれ」と関係づけるところで驚きが大きくなる。さみだれによる大河が家二軒を呑み込んでしまうという想像が湧いてくるからである。衝撃度の点で、芭蕉句よりも蕪村句の方が、はるかに大きい、と評価できる。衝撃度で優劣をつけるなら、蕪村句が優れていることになる。ただ、両句の比較については、「おわり」の章で再考することにした。
芭蕉や蕪村は、常日頃どのような取合せ(配合)句を詠んでいたのであろう。以下では、それぞれの「さみだれ、さつきあめ(五月雨)」の作品に絞って、傾向を見てゆこう。
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/25/001119 【俳句は取合せ (3/10)】 より
芭蕉の「さみだれ」13句 堀信夫監修『芭蕉全句』(小学館)による。
ほぼ年代順にあげてみる。
五月雨に御物遠(おんものどほ)や月の顔
季語=五月雨、取合せ語=月の顔、連結語(とりはやし)=御物遠
「御物遠」は「ごぶさた」を意味する挨拶言葉。五月雨のせいで、月を見ることがない(ごぶさたしている)。至極もっともな表現・取合せ。
五月雨も瀬ぶみ尋(たづね)ぬ見馴河(みなれがは)
季語=五月雨、取合せ語=見馴河、連結語(とりはやし)=瀬ぶみ尋ぬ
増水している見馴河に五月雨も雨脚を踏み入れて浅瀬を探していたという(擬人法)。
五月雨や竜灯(りゆうとう)揚(あぐ)る番太郎(ばんたろう)
季語=五月雨、取合せ語=番太郎、連結語(とりはやし)=竜灯揚る
五月雨の日暮れ、番太郎(辻番)がともした灯が、竜灯(海中の燐光)のように見える、という(比喩)。
五月雨に鶴の足みじかくなれり
季語=五月雨、取合せ語=鶴の足、連結語(とりはやし)=みじかくなれり
降り続く五月雨で水嵩が増して、水中に立つ鶴の足が短くなってしまった。
五月雨や桶の輪きるる夜の声
季語=五月雨、取合せ語=夜の声、連結語(とりはやし)=桶の輪きるる
五月雨の降る夜に桶のたがが切れる音がした、という。桶が声をあげたような錯覚を覚える。
五月雨に鳰(にほ)の浮巣(うきす)を見に行(ゆか)む
季語=五月雨、取合せ語=鳰の浮巣、連結語(とりはやし)=見に行む
『笈の小文』の旅に出る前の予告として、弟子に見せた句らしい。五月雨の琵琶湖でカイツブリを見ることを楽しみにしている気分である。
五月雨にかくれぬものや瀬田の橋
季語=五月雨、取合せ語=瀬田の橋、連結語(とりはやし)=かくれぬもの
琵琶湖周辺が五月雨に降り込められて見えない中で、ただ瀬田の長橋だけが隠されないで見えている、という。
五月雨は滝降(ふり)うづむみかさ哉
季語=五月雨、取合せ語=みかさ、連結語(とりはやし)=滝降うづむ
降りしきる五月雨の水量にせいで、滝さえ埋めてしまうほどだという。
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/26/000956 【俳句は取合せ (4/10)】より
芭蕉の「さみだれ」13句(続)
五月雨の降残(ふりのこ)してや光堂(ひかりだう)
季語=五月雨、取合せ語=光堂、連結語(とりはやし)=降残して
名紀行文「おくのほそ道」平泉の条に出てくる。この句の前に次の文章がある。
「かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚のくさむらとなるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨をしのぐ。しばらく千歳の記念とはなれり。」
この文章によって読者は、俳句の意味(光堂が昔の華麗さを留めている)を了解する。
さみだれをあつめて早し最上川
季語=さみだれ、取合せ語=最上川、連結語(とりはやし)=あつめて早し
この句は「おくのほそ道」最上川の条に出てくる。句の前にある文を次に引用する。
「最上川は、みちのくより出でて、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所あり。板敷山の北を流て、果ては酒田の海に入る。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の瀧は青葉の隙々に落ちて、仙人堂、岸に臨て立つ。水みなぎつて舟あやうし。」
五月雨や色帋(しきし)へぎたる壁の跡
季語=五月雨、取合せ語=壁の跡、連結語(とりはやし)=色帋(しきし)へぎたる
この句は、落柿舎滞在での交遊と独居を描写した「嵯峨日記」にでてくるもの。壁に色紙のはがし跡が残る部屋の傷みようで、外には五月雨が降りやまない。
さみだれや蚕(かひこ)煩(わづら)ふ桑の畑
季語=さみだれ、取合せ語=桑の畑、連結語(とりはやし)=蚕(かひこ)煩(わづら)ふ
さみだれの降り続ける桑の畑に、病んで捨てられた養蚕の蚕がうごめいている様子を詠んでいる。
さみだれの空吹(ふき)おとせ大井川
季語=さみだれ、取合せ語=大井川、連結語(とりはやし)=空吹(ふき)おとせ
川止めになった大井川に対して、五月雨の空を吹き落としてくれ、と頼んでいる構成。
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/27/000251【俳句は取合せ(5/10)】より
蕪村の「さみだれ」28句 藤田真一・清登典子編『蕪村全句集』(おうふう)による。
ほぼ年代順にあげてみる。
五月雨や美豆(みづ)の寝覚の小家がち
季語=五月雨、取合せ語=美豆の寝覚、連結語(とりはやし)=寝覚の小家がち
美豆は洛南淀の地名で、宇治川と木津川の合流点。歌枕の水郷地。五月雨が降り続くと、増水でおちおち寝ておれない小家住いが散在する、という句意。
さみだれのうつほばしらや老(おい)が耳
季語=さみだれ、取合せ語=老が耳、連結語(とりはやし)=うつほばしら
うつほばしらとは、真中が空洞の柱で、御所の清涼殿にあり、雨水を通すために空洞にしてある。老人の耳は、うつほ柱が雨水によりたてる不快な音のような耳鳴りがする、という句意。
五月雨の更行(ふけゆく)うつほ柱かな
季語=五月雨、取合せ語=うつほ柱、連結語(とりはやし)=更行
前の句の別案としてつくられた句。夜中に宮中のうつほ柱が五月雨により鳴っているという。不快感は出ていない。
さみだれや名もなき川のおそろしき
季語=さみだれ、取合せ語=名もなき川、連結語(とりはやし)=おそろしき
名のある大河でなくとも、五月雨で増水した名もなき川も恐ろしい。至極もっとも。
五月雨や芋這(はひ)かかる大工小屋
季語=五月雨、取合せ語=大工小屋、連結語(とりはやし)=芋這かかる
降り続く五月雨のせいで大工仕事は休業。その間に閉め切った大工小屋に芋の蔓が伸びて這かかっている。連結語が大工仕事のできない状況を暗示している。
湖へ富士をもどすや五月雨(さつきあめ)
季語=五月雨、取合せ語=湖、連結語(とりはやし)=富士をもどす
「五月雨の勢いが富士山を琵琶湖に押し戻してしまったのか、山が見えない」ということらしいが、これは一夜にして地が裂け琵琶湖をつくり、逆に富士山が湧きだしたという伝説にもとづくらしい。現代では話題にもならないので、解釈鑑賞は困難。
床(ゆか)低き旅のやどりや五月雨(さつきあめ)
季語=五月雨、取合せ語=旅のやどり、連結語(とりはやし)=床低き
句意は明解。五月雨が降り続く旅で止まった宿の床が低いと不安になるのである。
さみだれや田毎の闇となりにけり
季語=さみだれ、取合せ語=田毎、連結語(とりはやし)=闇となりにけり
田毎の月は、信濃国姨捨山の棚田一枚一枚に映る月を称賛した言葉だが、この句では月を闇に差し替えた。思わず納得してしまうが、ダジャレだろう。「や、けり」と二重の切れ字を用いている点、作為があるように思える。
うきくさも沈むばかりよ五月雨
季語=五月雨、取合せ語=うきくさ、連結語(とりはやし)=沈むばかりよ
五月雨による凄まじい増水ぶりを表現している。
ちか道や水ふみ渡る皐(さつき)雨
季語=皐雨、取合せ語=ちか道、連結語(とりはやし)=水ふみ渡る
近道をしたのだが、五月雨で道に水が溜まっていて、そこを踏んで歩くはめになった、という句意。