過去の詩・現在の詩 ①
https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a053.html 【過去の詩・現在の詩】より
1 過去の詩の再現という問題
今日は「過去の詩・現在の詩」というのが与えられたテーマです。
以前自分が一番関心を持ったのは詩の形式ということだったように思います。詩の形式と言いますのは、ぼくらが関心を持っている現代詩というひとつの詩の形式があって、短歌、俳句という形式もあります。それらの形式というのはぜんぶ一緒に現在は並んでいるわけです。そういう形式の問題が一番の関心のありどころだったように思います。
なぜかと言いますと、形式というのは一般的に、ある詩の形式が古いとするならば、その形式が前景から退くというかたちで次の形式が出てくる。たとえば和歌の形式が先にあったとすれば、それを捨てるかたちで俳句や俳諧なら俳諧という形式が出てくる。それがまた捨てられるかたちで我々が近代詩あるいは現代詩と呼んでいる形式が出てくるというかたちで、物好きというか好事家という人たちだけが俳句や短歌をやっているということがありえたとしては、詩の問題としては何ら問題を提起しなくなるということでしたら、形式の問題もどうということはないわけです。けれども少なくとも日本語で書かれた詩というものを考える場合には、いつでも新たに生み出された形式というものは必ずそれ以前に存在した形式と並列に存在するといいましょうか、一緒に並ぶといういうのが日本語で書かれた詩というものの非常に大きな特徴だと思います。そのことがぼくなんかの関心の中心にあったように思います。
で、もうひとつ関心のあった問題というのは、表現という問題の中での、過去の詩と現在の詩というふうに言えばいい問題です。過去にある形式で存在した詩というものがあって、その詩というものが実際にどのようにそれが再現され得るかということが、過去の詩というものを評価することの大きな問題になってきます。
それは本当はとても難しいことです。過去の詩の表現的な再現ということはどういうことなのか。ある時代、たとえば古今集なら古今集の時代に、ある一つの詩がつくられた。その詩は、現在我々が解釈しているように本当に存在したのかどうかという問題が、過去の詩の再現という問題だと思います。
そのことはなかなか難しい問題をいろいろはらんでいるので、少なくとも過去の詩と現在の詩ということを問題にする限り、とても大きな関心を秘めている問題です。そのことを少しお話ししてみようと思います。
過去の詩というものがどういうふうに再現された場合にそれが本当に過去の、つまりそのときその時代に考えられていた通りの考えられ方、あり方でその詩があって、しかもそれがそのあり方を、現在の我々が現在の詩というものに照らして非常に正確なイメージでつかみ得ているというようなそういう再現の仕方というのは、一体どういうことなのかということの問題につきます。
その問題には限度というのはないわけで、より良い再現の仕方というものはこうじゃないか、あるいはより良い再現の仕方というのはどういうふうにしたらやっていけるかという問題に帰着するので、絶対的な尺度でこれが過去の詩の再現だと言えるような形に行き着くことはとにかくできないことだと思います。
ただ、より良い再現の仕方というのはどういうふうにして出てくるかということと、それは今の再現の仕方とどういうふうにして違うか。そのことが今の詩ということにどういう問題を跳ね返してくるかというようなことが言えたらいいのではないかと思います。
2 さだまさしの詩はなぜ古いか
どこから入ってもいいわけなのですけれども、現在の詩というところから入ってみます。今、本なんか片付けてしまったから、たまたま手元にあった詩のある数行を書いてきました。どれでもいいけれども、たまたまそこにあったから持ってきたわけです。一つはさだまさしの「線香花火」という詩があるのです。詩があるというのは、つまり詩であり歌であるわけでしょうけれども、そのある一つの節をちょっと挙げてみます。
もう一つ、たまたまそこにあったのですけれども、相場きぬ子さんという人の『笑い鶏』という詩集の中の詩があるのです。それも数行挙げてみましょう。
「線香花火」のほうから挙げてみます。
きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる
露草模様を 信じたんだね
きみへの目かくしみたいに両手でそっとつつむ
くすり指から するりと逃げる
きみの線香花火を 持つ手が震える
揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから
火玉がぽとりと落ちて ジュッ
水に落ちた音でしょう。そういうところです。
随分しち面倒な表現ですけれども、イメージとしてどういうことを言っているかというと、女の子と男の子がいて女の子が浴衣を着ていて、女の子の帯のところにホタルが止まった。そのホタルというのは帯の露草模様を本当の草のように思ったのだね、というようなことなのでしょう。要するに女の子に目隠しをするみたいにホタルをそっと両手で包んだら、薬指からホタルが逃げて行ったというのです。そういう動つくの中で女の子の心の揺れが、線香花火を持っている手が震えてそれで線香花火の火玉が下に落ちたという表現だと思います。つまり恋歌なのだと思います。イメージとしてはそれだけの情景だというふうに思います。
もう一つやってしまったほうがいいでしょう。相場さんという人の「今度主演する女優は」という詩の幾行かをちょっと読んでみます。
あんたが死ぬほど悪い男でも こんな雨降りの晩に
傘がなくて恋人がいなくて 行くあてのない
まだほんの坊やみたいな子を 拾わない女っているだろうか
彼は親指の爪をかむ癖をもっている すねに金色の巻き毛があり
音を立てて前髪から 今輝く不幸がしたたり落ちる
そして他の女のために泣いているのは
なんて腹立たしいんだろう 男はとっとと歩くものよ
これもイメージとしては極めて明瞭で、失恋してしょぼくれた男が雨降りの晩に歩いているというイメージがあって、何となくそういう男をかまいたくなるということなのでしょう。それだけのことだと思います。かまいたくなるという一つのある瞬間の感性ということだと思います。
二つとも現在の詩です。つまり現在の詩であるわけです。二つとも広い意味では恋歌に違いない。恋歌に違いないわけですけれども、何が一番違うかということを一口で言いますと、さだまさしの「線香花火」という詩では、ある感性のフォルム、定型と言ったらいいのでしょうか、それが最初に信じられているわけです。最初にイメージがあるわけで、そのイメージは非常に類型的なものです型としてのイメージだということがすぐわかります。
線香花火をしている竹久夢二とか蕗谷虹児とかが描いた女の子の絵みたいに、浴衣を着て線香花火をやっている女の子のイメージ。それでその帯にホタルが止まって、そして男の子が帯に止まったホタルを両手で包もうとしたらホタルがそこから逃げて行った。それだけの動つくの中で女の子の気持ちの動揺が、手を震えさせて線香花火の火玉が下に落ちたというイメージです。そのイメージは、型としてのイメージです。つまり、ある感性あるいは情緒というものの型であるわけなのです。
型がまず最初にあって、そしてこの詩がつくられているということがすぐにわかります。ところが相場さんの詩を見ますと、男女の間にある感性の型とか情緒の型なんていうものは初めから信じられていないわけです。ただ、ある感性が、ある感覚の仕方、感じ方というものが瞬間に起こった場合にそれを言葉に定着していくという、その定着していく定着の仕方がどうなるかということは書いてみなければわからない。書いてみなければ本当にはわからないというふうに書かれているわけです。
そこが言ってみれば非常に大きな違いなわけです。このことが一つの問題であるわけです。そうすると両方とも、十年くらいの間をとればこれは現在の詩であるわけです。この二つのつく品のどちらが先に書かれているかということは、たとえば実証的な文学の研究家──あるいは、古典文学の研究家──という人たちは、どちらが先に書かれたかということをいろいろな証拠から、この詩は何年何月に発行されてとか、この歌は何年頃流行ってとか、さだまさしの歌は何年頃流行ったというようなことから実証していって、どちらが先に書かれたかということを実証するという研究家はいるわけです。
しかし、そんなことはどうでもいいわけです。つまりこれはいずれにせよ十年なら十年の範囲をとれば現在、つまり同じ時代の詩ということになってしまうわけです。だから決して、この歌は何年何月──たとえば天平何年──に書かれたというふうに確定したからといって、この歌が新しい、この歌が古いということは何も言えないということがすぐにわかります。文学における実証ということの考え方というのをそういうふうに考えたらまるで違ってしまうというふうなことが一つあります。
もう一つは、たとえば、それではどちらが古いのだろうかということです。。仮に百年後にこの二つの詩が文学研究家の手にかかったとします。どちらが古いというふうに考えるかというと、非常に常識的といいましょうか。普通いう意味での鋭い、よくできた百年後の研究家だったら、多分さだまさしの詩のほうが古いというふうに決めると思います。
なぜ古いというふうに決めるかといえば、それは今言いましたように、最初に感性のフォルムといいますか。定型というものが信じられているからです。その信じられているということのためにこの詩のほうが古いというふうに考えるに違いないと思います。
たとえば、少しましな実証主義的な研究家だったらば、いや、書かれた年月はこの「線香花火」のほうが新しいかもしれない。新しいなら新しいと仮に確定した。しかし感性は、ここに書かれている詩の感覚は古いものだ。古い伝統を踏んでいるものだというふうに言うに違いないと思います。
3 言葉の現在性と過去性
しかし、問題はそれで何が解けたわけでも何でもないわけです。ただ、要するになぜ我々が、たとえば古今集なら古今集、万葉集なら万葉集のある歌と歌を比べてみて、こちらが古いか新しいか、これは当時のはやり歌なのか、それともちゃんとした専門といえる当時の詩人というものがつくった詩歌なのかということを、万葉集なら万葉集の任意の二つのつく品をもとにして確定せよといった場合に、多くの大部分の実証主義的な研究家というものは、あらゆる証拠を集めてきて、年代を確定して、年代がこちらのほうが五十年古いとか五十年先だとか、こちらは後だというのでこれは古い歌だ、こっちが新しい歌だというふうな確定の仕方で満足するでしょう。
しかし、その満足はまったく意味をなさないということがわかります。つまり何千年の間のたった五十年とか、二十年とかそんなことは意味がないわけなのです。どちらが古い新しい、日付を確定しても意味がないわけです。詩としての意味はないわけです。
そうすると今度は、今言いましたように、どういう描かれ方をしているから新しいとか、どういう描かれ方をしているから古いとか、そういう確定の仕方をするでしょう。そうなりますと、つまり詩のつくられた年代といいますか、日付のようなものは詩の新しさ、古さというものを一義的に確定する要素にはならないということがわかります。
多分、たとえばさだまさしの「線香花火」という詩も、今のはやり歌というものの流れの中では多分相当新しい感性、新しい詩だと思います。
しかし、専門の詩人という意味合いをどう定義するかどうかは別として、詩の言葉の現在の地平線というものを想定しますと、そこをとにかく踏まえて書いている詩というものに比べて、さだまさしの詩は古いと言われざるを得ないというようなことがわかります。
それはなぜかというと、感性の定型、フォルムというものがまず先に信じられていて、そのイメージとはつまりフォルムであるということが初めから信じられているからです。詩がそこに向かってイメージを集中するように、フォルムがイメージであるように、そのイメージに向かって言葉を集中させるように、この「線香花火」という詩はつくられている。だからそのつくり方というものは、少なくとも詩の言葉の現在の水準というものを想定しますと、そこには到達していないというふうに考えたほうがよろしいと思います。
だから、それゆえに古いのだというふうに、相場さんの詩に比べて古いだろうというふうに言うことができると思います。そこが、たとえば相場さんの詩は男と女というのはどういう出会い方をするか。どういうふうに感じるかということについても、一般的に現在もフォルムというのはあるわけでしょうけれども、そのフォルムがまずイメージとして信じられていて言葉がそこに集中されているわけではありません。
つまり、言葉は書いてみないとわからない、わからないように言葉は展開されているということがわかります。この展開の仕方は、いわば自分の世界というものを開いているということにもします。つまり何かに向かって開いている。それが良いか悪いかではないわけです。何かに向かってというのは、言葉の今の水準に向かって言葉を開いているということだと言えると思います。そのことが、相対的に比べてみてこちらの詩を新しいとする大きな要素だと考えることができると思います。
このことは、過去の詩、現在の詩、あるいは過去とは何なのか、現在とは何なのかということ、あるいは言葉というものの現在性というものと過去性というもの、それから言葉が古いとか新しいとかいうことは何なのかという問題に入っていく場合の、とても大きな前提だというふうに考えることができると思います。
そういうことを踏まえていませんと、たとえば万葉集なら万葉集、古今集なら古今集の詩を見ても、皆単色に見えるわけです。単一の感性で覆われているように見えるわけです。そのように詩を読んで、読んでしまうことで終わってしまうわけです。しかし、本当は、それは単に過去の詩に対する始まりにしか過ぎないということが言えるわけです。
現在多くの古典研究家によってとらえられている過去の詩というものは全部この単色なのです。全部単色だというふうになっていって、それ以上の問題は言葉の色合いの現在的な反映ということでの理解のされ方、ということで終わってしまうわけです。
過去の詩の再現の仕方がいかにも正当そうに見えて本当は正当でないということは、現在の詩というもののあり方を思い浮かべれば非常によくわかるわけです。ですから、過去の詩というものの、それを再現するということ、現在に再現するということは、そんなにやさしいことではないし、またそんなにつまらないことでもないわけです。
たとえばモダンな人は、古今集や万葉集が何とかといってもそんなものは全然関心がないわけでしょう。しかし関心がないということは別に自慢にならないのです。どうしてかというと、その人が新しいと考えているものというのは、やはり一つのパターンとしての新しさだから、その人が古いと考えているものは全部パターンとしての古さなのです。
けれども、本当の古さとか本当の過去というのはどういうのかということは、かなり現在についてのイメージとか、現在についての言葉のイメージとも関連してくるわけで、その人が現在の詩とか現在の言葉というもののあり方に対してどう考えているかということによって、過去の再現の仕方というのはまるで違ってくる。そのことがある意味ではとてもおっかないことですし、またある意味では限度がないということが言えると思います。
そのことの問題が、過去の詩と現在の詩という問題の形式上の問題ではない問題の、とても大きな問題の一つだというふうに考えられます。それだけのことを前提として、たとえば、いくらか過去の詩の問題に入っていってみようと思います。
4 『古今和歌集』巻二〇――洗練された民謡調の歌のアンソロジー
日本の過去の詩で、いわば当時のはやり歌ではないかという歌と、その当時の古今集なら古今集時代の詩の言葉の地平というものを踏まえて開かれた言葉で詩を書いていた詩人との相違を、はっきり間違いなく比べられるというようになっている最初の詩歌集というのは古今集なわけなのです。
古今集の巻の二十──つまり最後なのですけれども、東遊びの歌とか大歌所の歌とかというような形で分類されている巻があります。そこの巻立てになっている詩というものが大体において、こういうふうに想定することができるわけです。
民謡調の歌の、つまり民謡のごとく、はやり歌のごとく流行っている歌の極めて洗練された形というのが、まず古今集の巻の二十というのに集められているその大歌所の歌と、大歌というふうに言われているものです。東遊びの歌と言われているものとか、あるいは国歌とか国々の歌とかいうふうに言われているものが多分当時のはやり歌のとても洗練された形であろうということが、巻分けの仕方というものから言えるわけです。
もっと前、前というと万葉集ということになるのですけれども、万葉集だとなかなかこれは判断の問題になってしまって、難しくなります。民謡調のごとき古い表現であるか、相当な言葉の修練をした人が個人の名前を名乗ってもいいような人が書いたものであろうかというようなことを確定するのは判定力の問題になってきてなかなか難しいのです。万葉集の場合にその判定を分類の仕方で言えるのは、ただ東歌というふうに言われているもので、これは相当はやり歌に近い形ではないかということは言えるわけですけれども、それ以上のことは何も言えないというふうになります。
ところが、古今集の大歌の歌というのは、民謡あるいは民謡調みたいなもの現在でいうさだまさし的な歌というものが、非常に洗練された形で残っているものがこれだろうなということが形式とか類別の仕方から言えるわけです。
5 神遊びの歌の本歌を推理する
そうしますと、その歌がどういうあり方をしているかということが、一番古い歌のあり方の大きな目安になり得るわけです。その目安をそこにつけて少し問題を考えてみるということができると思います。
幾つかの目安というのをお話してみますと、古今集の巻の二十の民謡調の歌の中で、いわばお祭りや何かのときに歌われたり唱えられたりした歌というはやり歌を一つとってきましょう。
わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり
自分の家の門のところに掘られている井戸の清水を、この自分の家が里遠く、離れた家にあるので人は──人というのは女性かもしれません──汲みに来ないので、草が生い茂ってしまっている、という歌だと思います。古今集ではこれは神遊びの歌というふうになっていますけれども、もとをただせばやはり恋歌だろうということが想定されます。
ところで古今集に神遊びの歌というふうに載せられているこの歌の、もとの歌というものがどういうふうに考えられるだろうかと考えていくとします。もとの歌という意味は大変難しいのですけれども、とりあえずどちらが年代が古いかという意味合いです。これの本歌となり得るようなより年代の古い歌というのは一体あるだろうか、あるとすればどれくらいあるだろうかというふうに、まず非常に単純に年代とか日付ということで考えてみます。
そうすると幾つか考えることができます。これは万葉集の中にあります。幾つか挙げてみましょうか。
わが門の 浅茅色づく 吉隠の 浪柴の野の 黄葉散るらし
という歌が巻十にあります。
それから、巻十六に
わが門の 榎の実もり喫む 百千鳥 千鳥は来れど 君そ来まさぬ
という歌があります。これも恋歌です。「榎の実」というのは榎の木の実ということです。それを食べにたくさんの小鳥たちは来るけれども、あなたは来ないよという歌だと思います。
それから
わが門に 千鳥しば鳴く 起きよ起きよ 我が一夜づま 人に知らゆな
これは非常に簡単です。とてもはっきりしたいい歌だけれども、要するに一夜妻が、通ってきた男に、人に知られたくないので千鳥が鳴いてもう夜が明けそうになっているから夜が明けないうちに早く帰ってください、と言っていることだと思います。
わが門の 片山椿まことなれ わが手触れなな 土に落ちもかも
という歌があります。「なれ」というのは汝ということです。これも意味は非常に単純ではっきりしています。自分の家の門のところに咲いている椿の花よ。その花のようにおまえは──おまえというのは女性でしょう──自分が手を触れたならば椿の花のように地に落ちるだろうか。落ちないだろうか。あるいは地に落ちないように手を触れないようにしようかという意味合いになると思います。
まず一通りの探索からいきますと、この四つくらいの歌が多分先ほど言いました神遊びの歌、つまりお祭りのときに歌われたはやり歌の洗練された形と思います。「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」。「みくさおひにけり」というのは「水さびにけり」というふうに後には変わっていきます。後のお神楽の歌になりますけれども変わっていきます。この歌の本歌と考えられるのはこの四つくらいというふうに考えていいわけです。ただ、これは言うまでもないことですけれども年代が古いものという意味合いで、このもとになっているだろうと推定するだけのことです。
それよりも、今度はもっと推理を狭めていきまして、この四つの本歌と考えられる歌のうちに、内容からいってどの歌がこのお祭りの歌の本歌になっているかというふうに考えてみます。すると四番目に言ったものが本歌であろうというふうに推定できるように思います。
どうしてかというと、これは何とも韻のくぐり方とか中身とかからそれを断定する以外に方法がないわけです。他に確定する方法は少しもありません。ただ、中身と歌い方の様式からいってこれだろうと言えるだけです。
だから、四番目の「わが門の 片山椿まことなれ わが手触れなな 土に落ちもかも」という歌が本歌だろうとおおよそ推定することができます。これは、「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」という歌とのある言葉の展開の仕方が、他のものに比べて類似性が非常に濃いということから、まず間違いないのではないかと推定することができます。
6 叙景歌の変化――『古今和歌集』と『万葉集』の違い
この推定の中で、この本歌の歌い手は一応、専門の歌人ではないですけれども、地方にいた、言葉については非常に専門の歌うたいだと考えていいと思います。この歌がどうしていつのまにか、誰によってはやり歌の一つみたいなものとして流布されるようになったのかと考えていくと、古い歌、新しい歌ということについてのさまざまな問題が提起されてくるような感じがします。
何が違ってくるかといいますと、本歌と考えられている歌では、たとえば「わが門の 片山椿まことなれ」というところまでの言葉の展開には、詩としてのさほどの中心的な意味はないと考えることができます。詩としての中心的な意味がないにも関わらず、「もし詩というものを考えるとすればそういう言い方をする以外には詩というのは書き得ないのだ」というふうにあったことが言えるわけです。
つまり、そのためにしか前半の詩の言葉の展開というのはないのです。「わが門の 片山椿」というのは、「自分の家の門のところに咲いている椿の花」ということなのですけれども、そのことの中には本当に言いたいこととか、本当に表現したいことがあるわけではないのです。本当に表現したいことは後半の「自分が手を触れたならばお前は──恋人です──お前は椿の花が落ちるように落ちるのであろうか。そうじゃないのであろうか。何といいますか、愛しいというなら自分は手を触れないほうがいいのだろうかという一種の恋のためらいみたいなものを歌っていると思います。そのことが本当は表現したいことなわけです。
そのことを表現するのにそのこと自体を言えばいいのではないかという概念はまことに近代の詩の概念です。そのこと自体を言うためにはどうしてもある景物、風景というものについて何か言わないとそのことを言えないということが、万葉集なら万葉集の、「わが門の 片山椿」というような歌にある固有の様式なわけです。
つまり、何か言いたいことを言うためには、ある言葉の表現をしなければいけない。その言葉の表現はどうしてもある自然の景物みたいなものについて触れなければいけないのです。触れていくうちに触発される、ある言葉のいざないみたいなものがあって、そのいざないの力がなければ、自分の恋人は自分が手を触れたならばということを歌う、詩に表現することができないというのは、それがその時代の一般的な詩のあり方だと言うことができます。
そうすると、それに比べればこの古今集に出ている、一種のはやり歌として流布されているこの歌というものは、全然そういう要素がなくなってしまっています。
歌の後半にこそ本当に言いたいことがあって、その言いたいことを言うために自然の景物をいわば通り道としてどうしても通らなければいけないという概念は、もうこのはやり歌の中にはなくなっていることがわかります。そんな意味はまるでなくなっています。ただ叙景として歌を展開すればいいのだという概念が、もう歌の概念としてできていることを意味します。
「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」。このことは今の言葉で言ってしまえば、自分の家の門のところに井戸があって、きれいな水がわいている。しかし、自分の家は遠い山里にあるので、人がやって来ること、あるいは人という意味合いを女性、女という意味にとっても、自分の好きな人がやってくるというようなこともないので、草がぼうぼうと茂ってしまった。
これは、何か言いたいことがあってそのことを言うために「わが門の 片山椿」というふうに歌ったというのはまるで違います。自分の門辺にある井戸自体のことを歌って、その井戸自体がもう古くて、また人里離れて人が手を触れたり、人が汲もうとしたりしないので草が茂ってしまっているというふうに井戸自体のことを歌っているわけです。
自分の本当の表現に突き当たるために言葉をとにかく運ばなければいけない、言葉を運ぶには何をどう運んだらいいのか、それは景物から運んでいく以外にない。つまり、景物を歌うことから運んでいく以外に自分の本当の表現に突き当たる手段がないというような形で運ばれているのではないわけです。
先ほどとの比較でいえば、相場さんの歌みたいなものは、とにかく男と女とのある感情というものがあって、その感情には別にフォルム、型があるわけでも何でもなくて、人と人とによってまるで違うことでもあるし、瞬間によっても違うことを定着するには、とにかく言葉を表現していくより仕方がないという、いわば開かれた未知みたいなものがいつでも言葉の中にあるわけです。それと同じ意味合いが、「わが門の 片山椿」というような詩の表現の中にあります。
本当に言いたいことに突き当たるために、どうしても景物のところから入っていく。とにかく、景物も自分が相当しっかりいつでも見ていて、頭の中にイメージとして常に引っ掛かっている景物からとにかく入って行く。それで言葉を次第に自分の何か表現したい中心というようなものに近づけていく以外に方法がないというような、そういう表現の仕方として詩がつくられているのではなくて、もう自分の家の門のところにある。掘られている井戸のわき出るきれいな水というものがあれば、そのことについて歌っていけばそれが詩になっていく。詩になっていって、それはいわば歌われる詩になっていくということが、古今集の神遊びの中では信じられているということがわかります。
こういうところに、一つははやり歌というようなものと、そうではない──それが意識された詩人によって書かれているかどうかは別として──定立されている詩というものとの違いというようなものが一つ大きく現れているのです。
7 時代の差・はやり歌と詩の言葉の差
もう一つ言えることは、時代の差というようなものが現れていると思います。時代の差というのは、万葉集なら万葉集というものと、古今集なら古今集というものとの間の一つの落差というようなものです。この落差というのも、万葉集のたとえば晩期の一つと古今集の初期には断絶はありません。どちらをどちらに入れても決して不都合でないというようなものとしてしかありませんから、それをどちらが先どちらが後というようなことは、ただ日付以外のことで言いようがないというようなものです。しかし、漠然と想定すれば、つまり一般的に概念として想定すれば、万葉集のほうが先にあって、古今集のほうが後にあるということができます。
その表現の差というようなものが、いや応なく出ているということがあると思います。それは今言いましたことが一つです。万葉集である叙景をする場合に、叙景が完全な叙景という歌というのは本当は全然ないのであって、まるまる叙景というふうに万葉集で考えられる歌があるとすれば、それは多分叙景の背後に全体的なメタファーがあるのです。全体的なメタファーというのはなかなか何であるかということは突き止めがたいですけれども、しかしそれは全体的なメタファーがあったというふうに見たほうがいいようなものです。ところが、もう古今集になれば叙景が叙景として歌われるとか、叙景を叙景として歌うというような概念がすでに詩の概念としてでき上がっているということができます。
それから、もう一つ言うことができることは民謡についてです。民謡的な、はやり歌的に歌われる、あるいは民謡的に歌われる歌というものと、そうではなくて古今集でいえば紀貫之のように専門の歌人と言われている人たちがつくる歌との間には、ちょうどさだまさしと相場さんの詩の中にある落差というようなものが一つあるということです。
だから、どちらも古今集の歌であり、形式からいえば、五、七、五、七、七というような和歌形式の歌として同じ、収録されているところも同じ、そして日付も確定すればどちらが先とも言えない、あるいは本歌というのを探ればどちらが本歌とも言えない。どちらの本歌が古いともいえないというのは、そういう歌を比較した場合でも、やはり詩の言葉の同時代的な知恵というものに対して、どういう接触の仕方をしているかどうかということが、はやり歌というような歌と、詩の言葉が詩の言葉として書かれているそういう歌との二つの落差というものを語るということができると思います。
8 神遊びの歌から採物歌への転化
今言いました「わが門の いたゐの清水」という、お祭りのときの神遊びの歌の〈神遊び〉という概念が、後世になってきますとやはり専門の神遊び専門の人ができてくるというような概念になってきます。
神遊び自体が、たとえば村落の共同体の若い男女がお祭りにかこつけて歌ったり踊ったりしながら歌われ、つくり変えられる歌という意味合いから、村とか町の神社にちゃんと居ついた、役目・職責としてお神楽ならお神楽に携わる人たちが出てきてしまった後では、神遊びという概念自体も、村里の普通の人がお祭りでさわいで歌ってという概念から、神社から指定された職務として神遊びをやる、お神楽ならお神楽の専門家のお祭りということになってきます。
そうすると、それにつれて神遊びの歌というのもいわば後世の神楽歌というようなものに転化していってしまうわけです。その場合に、どういうふうに転化されていくか。
たとえばこの「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」という歌は、後世も神楽歌の中でも歌われる歌として残っています。
神楽歌の中で、採物というものがあります。採物というのは、能とか狂言、お神楽の舞で、榊の葉っぱや頭にかぶるものや杖、そういう小道具のことを採物というわけですけれども、後世の神楽歌の採物歌の中に、今の歌が入っています。今度はそれがまた転化のされ方というのを語るわけです。いかに言葉の表現の仕方が時代を経るにつれて転化されていくかということについて、一つのサンプルであるわけです。
今の「わが門の いたゐの清水 里遠み」という歌自体の中には、何もお神楽の小道具の歌になり得る要素というのはどこにもないわけです。自分の家の門のところにあるきれいな井戸のわき水ということの中には、後世の能・狂言、お神楽の舞の中の採物の歌という要素はどこにもないわけですけれども、時代が経た後は神楽歌の中で、採物の歌の中にこの歌がもう入り込んでいる、あるいは転化してしまっている。
何の採物かというと、お神楽舞ならお神楽舞の中の水をくむときの舞う人が持っている柄杓の歌に変わってしまっているわけです。お神楽をやるシテとワキみたいのがいるわけですけれども、いわば問答歌みたいに展開して舞っていきます。その柄杓の歌の末歌──問答を仕掛けるものに対してそれを受ける人が歌う歌──に転化しています。
どういう転化をしているかというと、まず柄杓の歌の採物歌のもととして本歌があります。
おほ原や せがゐの清水 ひさごもて 鳥は鳴くとも あそびてをくめ
というのが本歌としてある。そして先ほどの歌が末歌になります。
わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば 水さびにけり
「水さびにけり」というのは、「みくさおひにけり」という言葉が変わってしまったものです。はやり歌ですから、変わってしまうということはしばしばあり得るわけです。これは採物歌──水を汲むときの柄杓の歌というのが柄杓の神楽歌というふうに変わってしまっています。
9 内容の転化の任意性と形式の転化の法則性
そうしますと、この変わり方というものの中にどれくらいの時間が含まれているかという問題──数百年なら数百年という時間がどのくらい含まれているかということ──があるかもしれません。けれども、そのことよりその時間の変化の中で本歌と考えられる万葉の「わが門の 片山椿」から、古今集の神遊びの歌の中にある「わが門の いたゐの清水」といような清水の歌に転化して、それがまた後世、神遊びがお神楽というふうに専門的に転化していった場合に、採物の歌として転化していく。その転化の仕方の中で、先ほど言いましたように歌の形式の変化というのが一つあります。それとともにもう一つは、何が詩を転化させていく要素かを考えていった場合、何が転化させていくかということの中に法則性というようなものは何もないわけです。
表現というものの形式の変化は漠然と、変化の仕方がこうなると言うことはできます。しかし、過去の一つの歌(本歌)があるとして、はやり歌のように多数の人によってつくられ、あるいはつくり変えられる歌がどのように転化していくか。転化していった場合にどのようなものを取り出し、どのようなものを捨てて転化されていくかということの中には何も法則性はないということです。
むしろ、非常に多くの偶然性といいましょうか、多くの任意性があるということなのです。だから、後世に神楽歌になって残ってきた場合に、平安朝末ないしは鎌倉時代になって多分確定していったものでしょうけれども、その時代になって神楽歌としても確定していった形式のときに、これが歌舞の小道具の歌の一つとして転化してしまうということは、本歌というものを考えればまったく偶然としか考えられない。
本歌の中には、ただ恋歌の要素だけがあって、他の要素は何もない。それが古今集の神遊びの歌の中ではもう叙景の歌みたいなものとして変化してしまっている。もっと後世の神楽歌みたいなものになっていきますと、神楽舞の小道具の歌というものに転化してしまっている。そういう転化の仕方の中で、最初の恋歌から最後の神楽歌の採物の歌までの間に、転化の必然性というのは何らない。そういう意味合いではまったく偶然のつくり変えというようなものがそれを転化させていることがわかります。
ただ、形式上の転化の中に、ある法則性というのは考えることができます。最初、心を歌うためのイントロみたいな形で叙景がなされていたものが、叙景自体が詩の目的になっていくというようなところに転化し、そしてそれが問答歌のある具象的な歌の受けの形に展開していくというような、そういう転化の仕方の中に一般的には想定できる形式上の変化というのはあります。しかし、何が内容としてとられ、採用され、何がつくり変えられていくかということの中にはまったく転化の仕方の法則性というのは見いだすことができないと言えると思います。
10 万葉の恋歌からひるめ歌へ
その問題をもう一つ挙げてみます。古今集のやはりお神楽歌、祭り歌の一つです。巫女さんの歌い舞う歌です。
笹の隈 檜の隈河に駒止めて しばし水飼え 影をだに見む
というひるめうたがあります。ひるめうたというのは、神社の巫女さん、あるいは神社がない場合でも村里の巫女さんの歌です。ただ、もとを正せばこれのもとになっているのも万葉の巻の十二にあります。
さ檜の隈 檜の隈川に 馬留め 馬に水飼へ 我外に見む
「水飼え」というのは水を飲ませるあてがいという意味です。「さ檜の隈 檜の隈川に馬留め」という意味合いは、「さ檜の隈」というのは「檜の隈川」の枕詞ですから、言ってみれば、「檜の隈川のほとりのところで自分の馬を留めておいて、そしてその馬に水をやってくださいよ、私の恋人よ」ということです。
これは巫女さんである女性が歌ったと考えるか、あるいは女性が檜の隈川のほとりで馬に水をやっているのを恋人である男が水を飼えて、少し止まっていてくれと思っている。「我外に見む」というのは自分はよそながら、遠くのほうからお前の姿を見ているからという意味合いだと思います。万葉の歌は、男女いずれの歌ともいえないですけれども、女性の歌とすればそういうふうになりますし、男性の歌とすれば女性に対して女性が馬に水をやっているのをよそながら見たいというような歌になると思います。
これが古今集の中では、ひるめのうた、巫女さんの歌だというふうになってしまいます。そのことの中にはたぶん理由があるのかもしれません。これははじめは、檜の隈川というのですから三輪山のほとりのところでしょうけれども、村里の巫女さんの姿を歌った歌として先にあって、それがひるめのうたというお祭りの巫女さんの舞い踊りの歌になったのだと思います。
言葉は少し違ってきています。「笹の隈」というのは「さ檜の隈」というのと同じ意味です。「檜の隈」という言葉は地名で、この場合は川の名前ですけれども、地名に「さ」という接頭詞がついたものだと思います。これが枕詞で「笹の隈」というのもそのなまりで、「さ檜の隈」と同じ意味合いだと思います。「さ檜の隈 檜の隈川に 駒止めて」というのは、「馬留め」という万葉集の表現よりも「駒止めて」という表現のほうが、言葉としては伸びやかになっています。伸びやかになっているというのは、言葉の時代的な変遷、言い方の変遷ということですけれども、それだけ違っています。「馬に水飼え」というのが「しばし水飼え」という表現に変わっています。
「影をだに見む」というのはあなたの姿をよそみながら見ようという意味合いで「我外に見む」というふうに言葉が言い換えられています。この言い換えということの中には、たくさんの人に歌われていたり、唱えられたりしているうちに変わってしまったという要素があるからだと思います。
なぜこの万葉の歌が、ひるめうた──神祭りのときの巫女さんの歌に変わってしまったのか、なぜ恋歌が巫女さんの歌に変わってしまったのかということについての何も法則性はありません。
それから、本当はとても興味深いことで、大歌というのは一応中央の朝廷がそういう歌をかき集めて、保存したり編さんしたりしたものを意味しているわけですけれども、そういう歌の中に恋歌の転化があるかと思うと、民謡があったり、民謡の転化したものがあったりすることには、何らの法則性というのはないのです。何が採用され、何が編さんされ、そして何が保存されたかということに対して、何も法則性がないのです。そのことはちょっと興味深いことなのです。これはいい歌だから保存したのだということもなければ、これは大いに公の感情を歌っているから保存したんだというほどのこともないのです。つまりどういう歌を保存したのか保存しなかったのか、編集したのかしなかったのかということに対して、まるで法則性がないということはちょっと面白いことなんですけれども、この場合はそんなことはどうでもいいわけです。