忘れるということ。
もしかしたら、現代人は「忘れる」事が、とても下手になってしまったのかもしれない。
忘れるというのは、「受け入れる」ことと対になる言葉だ。なぁなぁにして、おざなりにすることとは違う。深い意味での「忘れる」は、単純な忘却ではなく、心のあるべき場所に静かに収めるといったニュアンスを含む。10年前のことを「忘れるな」という声を目にするけれど、大切なのは、忘れるor覚えているの対比の話ではないはずだ。失ったものへの想いを他者が推し量ることなど出来ないのだから。
日本には古来、殯(もがり)いう風習がありました。
もがりには、肉体から去った霊魂を呼び戻し甦りを願う招魂(たまふり)と、亡くなった人を悪霊から守りつつ、その霊を慰める鎮魂(たましずめ)の側面があると云われています。遺体を長期間にわたって殯屋(もがりや)、喪屋(もや)、霊屋(たまや)、阿古屋(あこや)殯宮(もがりのみや)と呼ばれる特別な家屋に安置し、今日では考えられないことだけど、時には白骨化するまでの長い時間、家族などによる儀礼を行ないました。
もがりの期間は、時代や亡くなった人の身分などにより、数日から数年の幅があったそうですが、(天武天皇が崩御した際には2年間もがりの儀式を行なったと言われています。)殯屋では、残された家族は外部との接触を断ち、愛する人の死を嘆き悲しみ、歌や舞などで亡骸を慰め、死者に食事を捧げて共に生活したとされています。
遺体が無情に変化していく様子を見守ることで、遺族は愛する人の甦りを諦め、その死を確認し、受け入れていったそうです。
この葬儀の方法には当時の観念で云うところの悪霊=現代における伝染病のような目に見えない病源を、集団から一定期間遠ざける意味があったのではないかとも言われていますが、失われた風習の多くから、今日の科学では抜け落ちてしまって、語ることが出来なくなってしまった「心」の問題との向き合い方が多く含まれているように感じます。かつて、死別という現実とは、誰かが「語ること」では、解決できないことだと分かっていたからこそ、人は神仏という見えない存在と、時間という見える形で犠牲を払う事で、それを受け入れていく儀礼を行なったのだと思います。
もがりを通して、蘇りを諦め、死を確認し、受け入れる。この過程を、ただ一言「忘れる」という言葉でまとめることは出来ません。
「忘れるな」という言葉は他者に投げかけるものではなく、自分自身に問う言葉だと思います。現代人は合理的な判断を得た代わりに、個別の事象に対する向き合い方を忘れてしまいました。世界がどれだけ合理的に動いていても、私とあなたの間にあったものは、誰かが合理的に認めたり判断したりするものでは決してないのです。そういう「まるでないようで、でも確かにある」物事との向き合い方は、これから益々求められていく事でしょう。
仏教においては「四諦」と言い、諦めることの意味を説きます。またキリスト教では「汝の隣人を愛せよ」と説きますが、どちらの場合も、自身の何もかもを諦めず誰かを愛することは出来ないと思います。東洋思想では「諦め」と読んでいるものを、西洋思想では「諦めない」と読みますが、「積極的に手放す」ということは、何も考えず忘れることではなく、「諦める=明かにして見極める」ことだと思います。その意味で、東西の思想の根幹、人間という生き物は、もう数千年もの間、他者とどう向き合うかについて思案を重ね、様々な社会制度を産み出してきました。信仰という仕組みも、様々な思い通りにならない事をきちんと受け入れる為に考えられた心の薬のようなものだと思います。
なんでも単純な二元論に持ち込み、自分は「忘れていない」忘れることは罪だと強い語気で語る言葉を見るたびに思います。「この人たちは忘れるための「もがり」を、もうずっとこうして、続けているんだろうな。」と、諦めることで心おだやかにあらんとする東洋の思想。審判に日を信じ諦めない事を説く西洋の思想。これも二元論で良し悪しを分けることは決して出来ないことです。
でもやはり、様々な忘れかたを指南してくれた時代と比べたら、現代は忘れ方を学ぶ場が少なすぎるように思います。
僕はきちんと忘れたいです。忘れ去られてもなお残るものが確かにある事を知っているので
風土・血筋・家柄・信仰・自然・伝承・・様々な呼び名で呼ばれる膨大な「文脈」は、忘れ去られてもなお積み上がっていきます。そして、今が積み重なる事でしか、過去が受け入れられるということはないのだと思います。
僕らは過去の上に家を建て、短すぎる人生を生きています。
大切なのは忘れない事ではなく、問い続ける事で、答えがない現実と向き合い続ける事だと思います。