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3 岩手県 の地名

2018.03.14 05:08

http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei02.htm#%EF%BC%91%E3%80%80%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%83%BC

3 岩手県 の地名】より

 

(1) 岩手(いわて)山ー岩手(いわて)郡・磐鷲(がんしゅう)山

 岩手山(2,041メートル)は、盛岡市の北西にそびえる円錐形の火山で、岩手県内の最高峰であり、「岩手富士」や「南部富士」と呼ばれています。東・北・南側は裾野がよく発達していますが、西側は古い時期に形成された火山が爆発によって大規模な山体崩壊を起こしており、複雑な山容を示すため、「南部の片富士」の名があります。

 古くから山岳信仰の対象とされ、「磐(岩)鷲(がんしゅう)山」とも呼ばれました。(福島県の磐梯山も、噴火、爆発を繰り返して、山体の一部分が吹き飛んでいる火山で、その山名は、「天に達する磐(いわ)の梯(はしご)」の磐梯(いわはし)の音読みの「ばんだい」からきたとの説があります。岩手山の古称「磐(岩)鷲(がんしゅう)山」も「いわわし、いわはし」で同じ語源であったと考えられます。)

 この山名は、(1) 岩手山の溶岩や岩がむき出す「イハ(岩)・デ(出)」の意、

(2) アイヌ語の「イワァ・テュケ(岩の手、枝脈)」の意、

(3) アイヌ語の「イワァ・テェ(岩地の森)」の意などとする説があります。

 岩手郡は、県名のおこりとなった古くから現代までの郡名で、現代では南は紫波郡、北は二戸郡、東は下閉伊郡、西は奥羽山脈を隔てて秋田県仙北郡に接します。初見は吾妻鏡の「奥六郡」(伊沢・和賀・江刺・稗抜・志和・岩手)の一としてみえます。二戸郡境の七時雨山に源を発する北上川が流れ、岩手県を代表する名山、岩手山がそびえるこの郡は、古代蝦夷の本拠であり、この郡の北が奥蝦夷の糠部郡(前出青森県の糠部郡の項を参照してください。)でした。この「イワテ」も山名と同じ語源と解します。

 この「イワテ」、「イワワシ(イワハシ)」は、マオリ語の

  「イ・ワタイ」、I-WHATAI(i=past time,beside;whatai=stretch out the neck,gaze intently)、「しっかりと・首を伸ばしてそびえたつている(山。またこの山がある地域)」(「ワタイ」のAI音がE音に変化して「ワテ」となった)

  「イ・ワワチ」、I-WHAWHATI(i=past time,beside;whawhati=break off anything rigid,bend at an angle,be broken)、「(山の一部が)吹き飛んで・いる(山)」(「ワワチ」の最初のWH音がW音に、次のWH音がH音に変化して「ワハシ」となった)

の転訛と解します。

 伊達政宗が仙台に移るまで居城した岩出山(いわでやま)城にちなむ宮城県玉造郡岩出山町の岩出山も、裂け目のある断崖絶壁にかこまれた山で、同じ語源です。

 和歌山県那賀郡岩出(いわで)町の岩出は、かつて紀ノ川の両岸に奇岩が突き出ており、右岸に紀州藩主が代々清遊した石手(いわで)御殿山があったことにちなむといいます。残念なことに昭和八年の河川改修によってこの景勝地の岩石がすべて除去されました(『岩出町史』)が、これも同じ語源です。

(1-2) 八幡平(はちまんたい)

 八幡平は、岩手・秋田両県の北部県境に広がる火山性高原で、十和田八幡平国立公園に属します。狭義には高原中央にある最高峰の楯状火山(1614メートル)をいい,広義には東の茶臼岳、西の栂森、焼山、南の畚(もつこ)岳、大深岳を結ぶ連峰およびその周辺地域を含みます。主峰の山頂部は約1・5平方キロメートルにわたって平たんな台地状をなし、付近には八幡沼や蟇沼などの湖沼が点在し、これらをとりまいて広大な高層湿原が広がります。

 この「はちまんたい」は、マオリ語の

  「パチ・マ(ン)ガ・タヒ」、PATI-MANGA-TAHI(pati=shallow water,shoal;manga=branch of a river or a tree;tahi=one,unique,together,throughout)、「(浅い水の)湖沼、湿原が・一面に・樹枝状に分布する(高原)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハチ」と、「マ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「マナ」から「マン」と、「タヒ」のH音が脱落して「タイ」となった)

の転訛と解します。

(2) 盛岡(もりおか)市ー不来方(こずかた)

 盛岡市は、岩手県中央部の県庁所在地で、北上川・雫石川・中津川の合流点にあり、市の中央部の中津川に接する花崗岩の孤立丘上に南部藩の「不来方(こずかた)」城がつくられてから、南部藩20万石の城下町として発展してきました。

 この古名「不来方」は、後に「森岡」から嘉名「盛り(繁栄する)岡」に改められましたが、その由来は、(1) 昔、鬼が「もう悪さはしません」と約束して岩に手形を押し、再び来ることがなかったという伝説によるとも、

(2) 「コシ(北上川を越す)・カタ(方、潟)」からともいわれています。

 この「コズカタ」は、マオリ語の

  「コウツ・カタ」、KOUTU-KATA(koutu=promontory,point of land etc.,project,stand out;kata=opening of shellfish)、「(三川合流点の)潟にある・(半島状に)突き出た丘」(「コウツ」のOU音がO音に変化して「コツ」から「コズ」となった)

の転訛と解します。

 

(3) 北上(きたかみ)山地、北上川

 古代、北上山地と北上川の流れるこの地方を「日高見(ひたかみ)国」といいました(『日本書紀』景行紀27年2月12壬子日、同40年是歳の条)。吉田東伍『大日本地名辞書』は、『三代実録』貞観元年5月条にみえる陸奥国「日高見水神」は陸奥国桃生郡の式内社日高見神社にあたるとして、「景行紀の日高見国は北上川流域の広土をさす」としています。

 この「ひたかみ」が「きたかみ」に転訛したとするのが通説で、その語源は、

(1) 「ヒダ(高い、山ひだ)・カ(処)」の意、

(2) 「ヒタカミ(辺境)」の意、

(3) 「ヒナ(夷)・カ(処)」の意、

(4) 「ヒタ(直)・チ(地)」で、常陸と同じ、

(5) アイヌ語の「ピ・タイ・カ・モエ(小さな森がある盆地)」の意などとする説があります。

 この「ヒ(キ)タカミ」は、マオリ語の

  「ヒ(キ)・タカ・ミミ(ミヒ)」、HI(KI)-TAKA-MIMI(MIHI)(hi=raise,rise(ki=full);taka=raise,heap;mimi=river(mihi=greet,admire))、「高い高地を流れる川(または尊い高い高地)」

の転訛と解します。

 

(3-2) 斯波(しわ)郡・志賀理和気(しがりわけ)神社・徳丹(とくたん)城

 斯波郡は、古代から現代までの郡名で、律令制の下で最北の辺郡として、『日本後紀』弘仁2年に和賀郡(後出(17) 和賀(わが)郡の項を参照してください。)・稗縫郡(後出(4-2)稗縫郡の項を参照してください。)とともに建郡(岩手郡はその後と考えられます)され、大和朝廷の東北経営の最前線となりましたが、すでに『続日本紀』延暦8年6月条には「胆沢の地は賊奴の奥区」、「子波・和賀、僻して深奥にあり」ととみえています。また、『類聚国史』延暦11年正月条には「斯波村の夷、胆沢公阿奴志己」の名がみえます。この郡は、子和・志和・紫波とも書かれ、現代では北から西は岩手郡、東は閉伊郡、南は稗貫郡に囲まれます。

 紫波郡紫波町に式内社で最北端に位置する志賀理和気(しがりわけ)神社があります。この神社は、延暦23(804)年坂上田村麻呂が香取(経津主神)・香島(武甕槌神)の神を東北開拓の鎮護の神として祀つたのが始まりと伝えられます。志賀理和気(しがりわけ)の意味は不詳です。

 このころ、延暦21年に坂上田村麻呂が胆沢城を築き、同年降伏して上京した蝦夷の首長アテルイとモレを斬り、翌22年坂上田村麻呂が志波城を北上川と雫石川の合流点付近(現盛岡市中太田・下太田)に築きました。同城は水害のため弘仁4(813)年文屋綿麻呂が移築して徳丹(とくたん。「とこたん」の誤りか)城(現矢巾町徳田)としました。

 この「しわ」、「しがりわけ」、「とこたん」は、

  「チワ」、TIWA(=tiwha=patch,rings of paua shell inserted in carved work)、「(国の中に)はめ込まれた輪(当て布)のような(形状の。郡)」

  「チ・(ン)ガリ・ワカイ(ン)ガ」、TI-NGARI-WAKAINGA(ti=throw,overcome;ngari=annoyance,disturbance,greatness,power;wakaing=distant home)、「辺境の・(邪魔物である)蝦夷を・討伐する(神を祀る神社)」(「(ン)ガリ」のNG音がG音に変化して「ガリ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、名詞形語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「トコ・タ(ン)ガ」、TOKO-TANGA(toko=pole,rod;tanga=be assembled)、「丸太を・立て並べた(柵を回した。城)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「タン」となった)

の転訛と解します。

(4) 早池峰(はやちね)山ー岳(たけ)神楽・大償(おおつぐない)神楽

 岩手県のほぼ中央部にある早池峰山(1,914メートル)は、北上山地の最高峰です。主峰をはさんで東に剣ケ峰(1,827メートル)、西に中岳(1,679メートル)、鶏頭山(1,445メートル)、毛無森(1,427メートル)の弧状の連峰が接近して並び、そのすぐ南に薬師岳(1,645メートル)を主峰として、西に小白森(1,350メートル)、白森山(1,339メートル)、土倉山(1,084メートル)の連峰が北の連峰と対称形の弧状をなして並んでいます。

 古くからの山岳信仰の山で、西側山麓の大迫町岳(たけ)に早池峰神社、山頂にはその奥宮があり、神社に奉納される岳(たけ)神楽は鎌倉時代から伝わる山伏神楽の源流とされており、大迫町大償(おおつぐない)の大償神楽とともに早池峰神楽として国の重要無形文化財に指定されているほか、柳田国男『遠野物語』で知られる民俗芸能や、伝承が多く残されています。(神楽(かぐら)については、雑楽篇(その一)の121かぐら(神楽)の項を参照してください。)

 この「はやちね」の山名は、(1) 山頂の霊泉「早池」から、

(2) 「ハヤテ(疾風)が吹く山」の意、

(3) 「ハヤツ(早つ)・ミネ(峰)」の意、

(4) アイヌ語の「パヤ・チネ・カ(東方の脚)」から、

(5) アイヌ語の「シュマ(石の)・ヌプ(丘)」の転訛とする説などがあります。

 この「ハヤチネ」は、マオリ語の

  「ハ・イア・チ・ネイ」、HA-IA-TI-NEI(ha=what!;ia=indeed;ti=throw,cast;nei=particle to denote proximity to)、「なんと実に近接している(山々)」

  または「ハ・イア・チネイ」、HA-IA-TINEI(ha=what!,breathe;ia=indeed;tinei,tinetinei=unsettled,confused,disordered)、「なんと・実に・(おなじような高い山が近接していて)混乱する(山)」

の転訛と解します。

 なお、「岳(たけ)」、「大償(おおつぐない)」の地名は、マオリ語の

  「タケ」、TAKE(base of a hill)、「山の麓」

  「オホ・ツク・ヌイ」、OHO-TUKU-NUI(oho=spring up,arise;tuku=shore,coast;nui=big,many)、「(隆起した)高くなった・広い・川岸の場所」(「オホ」のH音が脱落して「オオ」となった)

の意と解します。

 

(4-2) 稗縫(ひえぬい)(稗貫(ひえぬき))郡・毒ヶ森(ぶすがもり)山塊・駒頭(こまがしら)山・大空(おおぞら)の滝・大ヘンジョウの滝・豊沢(とよさわ)川 

 稗縫(ひえぬい)郡は、稗貫(ひえぬき)・稗抜・部貫とも書かれ、北は紫波郡および岩手郡、東は閉伊郡、南から西は和賀郡に接します。この郡の東部には早池峰山(前出の(4) 早池峰(はやちね)山の項を参照してください。)がそびえ、西部には毒ヶ森(ぶすがもり)山塊の駒頭(こまがしら。940m)山などの900m級の嶮しい山々がそびえ、宮沢賢治の童話「ナメトコ山の熊」にも登場する落差100mを越す大空(おおぞら)の滝や大ヘンジョウの滝などの大きな滝がある地域です。古代においては、和賀・稗縫は「遠胆沢」と呼ばれており、奥羽山脈の東麓に発してこの郡を流れ、花巻市で北上川に注ぐ豊沢(とよさわ)川は「遠胆沢(とおいさわ)」の名残とする説があります。  

 この「ひえぬい(ひえぬき)」、「ぶすがもり」、「こまがしら」、「おおぞら」、「おおへんじょう」、「とよさわ」は、

  「ヒエ・ヌイ」、HIE-NUI((Hawaii)hie=attractive,distinguished,dignified;nui=large,many)、「神々しい(山や滝が)・たくさんある(地域。郡)」または「ヒエ・ヌイ・キ」、HIE-NUI-KI((Hawaii)hie=attractive,distinguished,dignified;nui=large,many;ki=full,very)、「神々しい(山や滝が)・実に(密集して)・たくさんある(地域。郡)」(「ヌイ」の語尾のI音が脱落して「ヌ」となった)

  「プツ(ン)ガ・マウリ」、PUTUNGA-MAURI(putunga=putu=lie in a heap,swell;mauri=a variety of forest timber which is dark in colour and light in weight valued for making canoes)、「大きく膨らんだ(山々で)・造船用材がある(山塊)」(「プツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「プツガ」から「ブスガ」と、「マウリ」のAU音がO音に変化して「モリ」となった)

  「コマ(ン)ガ・チラ」、KOMANGA-TIRA(komanga=elevated stage for storing food upon;tira=row,fin of fish)、「(高床の倉庫のような)頂上が平らで・伸びている(山)」(「コマ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「コマガ」となった)

  「オホ・トラ」、OHO-TORA(oho=spring up,wake up,arise of feelings;tora=be erect)、「直立した(滝で)・(そのあまりの大きさに)びっくりする(滝)」

  「オホ・ヘ(ン)ガ・チオ」、OHO-HENGA-TIO(oho=spring up,wake up,arise of feelings;henga=curve from keel to gunwale of a canoe;tio=sharp of cold,rock-oyster)、「(カヌーの船体の側面のように)ゆるやかにカーブしている・(岩牡蠣のように)ごつごつした(岩を流れ下る)・(その大きさに)ビックリする(滝)」(「ヘ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヘナ」から「ヘン」となった)

  「トイ・アウ・タワ」、TOI-AU-TAWHA(toi=move quickly,incite,climbing vine;au=firm,intense,certainly;tawha=burst open,crack)、「実に・流れの速い・谷間(の川)」(「トイ」と「アウ」のAU音がO音に変化した「オ」が連結して「トヨ」となった)

の転訛と解します。

(5) 姫神(ひめかみ)山ー渋民(しぶたみ)村

 姫神山(1,125メートル)は、岩手郡玉山村にある全山が花崗岩からなる角錐状の女性的な山容の山で、岩手山、早池峰山と並んで、「南部三霊山」、「北奥羽三山」といわれ、山岳信仰の中心でした。坂上田村麻呂が守護神を山頂にまつり、この地方を支配したとの伝承があります。山麓の渋民で生まれた石川啄木は、小説『雲は天才である』のなかで、”雲をいただく岩手山 名さへ優しき姫神の”と歌っています。

 この「ヒメカミ」は、マオリ語の

  「ヒ・メカ・ミヒ」、HI-MEKA-MIHI(hi=raise,rise;meka=true;mihi=greet,admire)、「本当に気高くて尊い(山)」

の転訛と解します。

 石川啄木の故郷、渋民(しぶたみ)の地名は、

(1) 「シブ(渋)・タミ(溜)」で水あかのたまる土地の意、

(2) 「シブ(渋)・タ(田)」で水はけの悪い低湿地の意、

(3) 「しぼむ谷」で、狭い谷の転などの説があります。

 この「シブタミ」は、マオリ語の

  「チプ・タミ」、TIPU-TAMI(tipu=tupu=grow,be firmly fixed,shoot,social position;tami=press down,smother)、「(抑圧された)蔑まれる・社会的地位にある(土地)」

の転訛と解します。

 

(6) 久慈(くじ)市ー久慈(くじ)ノ浜

 県北東部の太平洋に面して、断層が続く岩石海岸の久慈湾があり、久慈市があります。南西部の北上山地から久慈川、長内(おさない)川、夏井川が久慈湾に向かって流れ、沖積低地を形成していますが、久慈市の中心部で久慈川にまず長内川が合流し、次いで河口直前で夏井川が合流しています。

 この地名は、(1) 海食で「くじられた」、または「崩れた」場所の意、

(2) アイヌ語の「クツ・イ(断崖のある所)」の意、

(3) アイヌ語の「クチ(帯を締める、くびれた所)」の意、

(4) アイヌ語の「クシ(川の向こう・通る)」の意、

(5) 「コシ(越し)」の転で「越すところ」などの説があります。

 この「クジ」は、マオリ語の

  「クチ」、KUTI(draw tightly together,contract,pinch)、「(川を)引き寄せる(合流する場所)」

の転訛と解します。

 ただし、八溝山の福島県側斜面に発して茨城県北部の狭い峡谷をを南東流し、太平洋に注ぐ久慈(くじ)川も同じ語源ですが、やや岩手県とは地形が異なり、「クチ」、KUTI(draw tightly together,contract,pinch)、「狭くなった(ところ、峡谷を流れる)(川)」の転訛と解します。

 青森県東津軽郡平内町の夏泊半島西岸の久慈(くじ)ノ浜も「クチ」、KUTI(draw tightly together,contract,pinch)、「(陸奥湾と山に挟まれて)狭くなった(浜)」の転訛と解します。

 この「クチ(「クチ」のT音がS音に変化した同義の「クシ」を含む)」地名は、(1) 大分県の九重(久住。くじゅう)山の「クチ・ウ」、KUTI-U(kuti=draw tightly together,contract,pinch;u=breast of a female)、「(女性の)乳房を寄せ集めた(密着させたような山)」、

(2) 熊本県菊池市、菊池川の「キ・クチ」、KI-KUTI(ki=full;kuti=draw tightly together,contract,pinch)、「非常に狭くなった(ところ、峡谷を流れる)(川、地域)」、

(3) 滋賀県高島郡朽木(くっき)村、朽木渓谷の「クチ・キ」、KUTI-KI(kuti=draw tightly together,contract,pinch;ki=full)、「非常に狭くなった(ところ、峡谷を流れる)(川、地域)」、

(4) 宮崎県串間(くしま)市の「クチ・マ」、KUTI-MA(kuti=draw tightly together,contract,pinch;ma=white,clear)、「(山と山に締め付けられて)狭くなっている清らかな(場所)」などをはじめとして全国に多数分布しています。

 また、この「クチ」と殆ど同義の「ナチ」、NATI(pinch,contract)、「挟みつける、締め付ける」にいたっては枚挙にいとまがありません。

(6-2) 根井(ねい)・安家(あっか)川

 岩手県東部、九戸郡野田村の南部に根井(ねい)の地があります。その中流南岸の下閉伊郡岩泉町安家に日本最大の鍾乳洞といわれる安家(あっか)洞がある安家(あっか)川の下流が蛇行して流れる安家渓谷の北岸の河岸段丘上に立地します。

 この「ねい(ねゐ)」、「あっか」は、

  「ネヘネヘ・ウイ」、NEHENEHE-UI(nehenehe=forest,Epacris alpine,a shrub;ui=disentangle,disengage,unravel,relax or loosen a noose)、「(輪縄がほどけたような)蛇行する川(がそばを流れる)・森(の場所)」(「ネヘネヘ」のH音が脱落して「ネネ」と、またはさらにその反覆語尾が脱落して「ネ」と、「ウイ」が「ヰ」となった)

  「アツ・カハ」、ATU-KAHA(atu=to indicate a direction or motion onwards,to indicate reciprocated action,to form a comparative or superative;kaha=rope,noose,boundary line of land etc.,edge)、「ほどけた輪縄のように・蛇行を繰り返す(川。その渓谷。その川のそばにある鍾乳洞)」(「アツ」が「アッ」と、「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

の転訛と解します。

 この根井(ねい)は、(1)秋田県大館市花岡町字根井下(ねいした。同所に根井神社がある)、(2)岩手県宮古市津軽石の根井沢(ねいざわ)川、(3)長野県佐久市根々井(ねねい)の「ねい」、「ねねい」と同じと解します。(これらの根井地名の所在については、根井立比古氏の教示を得ました。)

(7) 田老(たろう)町

 田老町は、岩手県東部、下閉伊郡の太平洋に臨む港町です。港口がV字形に開いているため、津波の被害が大きくなりやすく、「津波太郎」の異名がある津波の常襲地で、明治29年と昭和8年の三陸大津波では壊滅的な被害を受けましたが、その後防波堤を整備して昭和35年のチリ地震津波では被害を免かれました。

 この地名は、田老川、長内川のつくった「タイラ(小平地)」の転とする説があります。

 この「タロウ」は、マオリ語の

  「タラウ」、TARAU(beat,dredge)、「(津波によって)打撃を受ける(浚われる)(場所)」

の転訛(AU音がO音に変化した)と解します。

 

(8) 宮古(みやこ)市

 岩手県の東部の陸中海岸にほぼ長方形をなす宮古湾があり、湾に注ぐ閉伊(へい)川の三角州に宮古市の市街地が広がり、河口には宮古港が立地しています。宮古港は、古くから海陸交通の要衝で、江戸時代には江戸や長崎向けの海産物の積み出し港として栄えました。

 この地名は、(1) 横山八幡宮を祀る「ミヤ(宮)・コ(処)」の意、

(2) 閉伊地方の文化・経済の中心地「都」の意、

(3) 海産物を移出し、都物を移入する都のように栄える港の意などの説があります。

 この「ミヤコ」は、湾の名で、マオリ語の

  「ミヒ・イア・コ」、MIHI-IA-KO(mihi=greet admire,show itself;ia=indeed;ko=a wooden implement for digging or planting)、「実に・掘り棒で掘られたような地形(細長い深い湾)があることを・見せつけている(地域。湾)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 沖縄県の宮古(みやこ)島は、最高点の標高が109メートル(野原岳)の石灰岩からなる低平な島で、ほぼ三角形をなしています。

 この「ミヤコ」は、古くは「ミヤーコ」、「ミヤク」、「マアク」などとも呼ばれたようですが、これも全く同じ語源で、

  「メ・イア・コ」、ME-IA-KO(me=thing;ia=indeed;ko=a wooden implement for digging or planting)、「実に(先が尖った)鍬のようなもの(の形をした島)」

の転訛と解します。

 

(9) 閉伊(へい)川(郡)

 閉伊川は、早池峰山の西北、下閉伊郡川合村の兜明神岳(1,005メートル)を源とし、早池峰山の北を曲折しながら北上山地を東流、横断して宮古湾に注ぎます。この河谷に沿って国道106号(閉伊街道、宮古街道)やJR山田線が通り、内陸部と海岸部を結ぶ重要な交通路となっています。

 この川名および郡名の「へい」は、「ヘ(辺、辺地)」の意とされています。

 この「ヘイ」は、マオリ語の

  「ヘイ」、HEI(go towards,tie round the neck,be bound)、「海に向かって流れる(海と結び付けられている川)」

の意と解します。

 

(10) 船越(ふなこし)半島

 宮古市の南に隣接する下閉伊郡山田町にある船越半島は、かつては二つの島でしたが、砂州によって陸と繋がって半島になりました。そのかつて海峡であった場所には船越の地名があり、ここから船越半島、船越湾や船越海岸(船越半島の小根ケ崎から荒神にかけての断崖や岩礁の続く海岸)の名がつけられました。

 この「フナコシ」は、マオリ語の

  「フナ・コチ」、HUNA-KOTI(huna=conceal,destroy;koti=cut in two,cut off)、「(陸地を)破壊して二つに掘り割った(ような場所)」

の転訛と解します。秋田県男鹿市の船越町は、天王町とのあいだの船越水道を「渡し船でこえたところ」から「船越」というとする説がありますが、これも上記の「フナコシ」と同じ語源です。

 

(11) 吉里吉里(きりきり)浜ー波板(なみいた)海岸・安渡(あんど)港

 風光明媚な船越湾に面する海岸に、上閉伊郡大槌町大字吉里吉里の地名があります。井上ひさしの小説『吉里吉里人』の舞台となつて、一躍全国に有名となりました。

 この「きりきり」は、アイヌ語で「歩くとキリキリと音をたてる砂浜」の意とされています(小学館『日本地名大百科』)。しかし、アイヌ語でこのような同音反復語は極めて珍しいのに反し、ポリネシア語ではほとんどの動詞、形容詞または副詞には同音反復語が付随するという特徴があります。この言語的特徴からすると、この単語は、本来ポリネシア語であった可能性が高いと思われます。

 この「キリキリ」は、マオリ語の

  「キリキリ」、KIRIKIRI(gravel,pebble)、「小石(または砂の浜)」

の意と解します。

 この浜の北に、返し波のない「片寄せ波」で有名な「波板(なみいた)海岸」があります。この「ナミイタ」は、マオリ語の

  「ナ・アミ・イタ」、NA-AMI-ITA(na=satisfied,by,belonging to,by reason of;ami=gather,collect;ita=tight,fast)、「(波を)しっかりと集めて留める(海岸)」

の転訛と解します。

 なお、この吉里吉里浜のすぐ南の大槌湾には、安渡(あんど)という天然の良港があります。近世は江戸との海産物取引の集散地としてにぎわっていました。

 この「アンド」は、マオリ語の

  「アノ・タウ」、ANO-TAU(ano=quite,just;tau=come to rest,come to anchor,settle down)、「碇泊・好適地」(「アノ」が「アン」と、「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ド」となった)

  または「アンゴ・タウ」、ANGO-TAU(ango=gape;tau=come to rest,come to anchor,settle down)、「大きく口を開けたところ(湾、港)の・碇泊地」(「アンゴ」のNG音がN音に変化して「アノ」から「アン」と、「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ド」となった)

の転訛と解します。奈良県生駒郡安堵(あんど)町も、大和川水系に属する諸河川が合流する場所にあり、同じ語源と考えられます。

 

(12) 釜石(かまいし)市

 釜石市は、岩手県南東部の釜石湾に臨み、甲子川河口に位置する漁業と製鉄業の市です。近世初頭まで釜石湾に臨む地域と甲子川流域一帯を釜石と呼んでいたのが、湊の発展にともなって釜石、平田、甲子などの村に分かれたようです。

 1727(享保12)年江戸幕府採薬使阿部将翁が久子沢で磁石岩を発見したのが釜石鉱山の始めと伝えられ、1857(安政4)年に南部藩士大島高任が甲子村大橋に洋式高炉を建設し、日本最初の近代製鉄法による磁鉄鉱の精錬に成功し、近代製鉄発祥の地となりました。(それ以前にこの地域で製鉄が行われていたかどうかについては、記録がないようですが、甲子川の上流の釜石鉱山の北に連なる山々から流れ出す大槌川、小槌川では、「餅鉄(もちてつ)」という磁鉄鉱の良質のものがいまでも時折り採取でき、容易に鉄材に加工できるといわれます。確証はありませんが、はるか昔から、甲子川流域でも磁鉄鉱が容易に採取され、原始的な製鉄が行われていたのかも知れません。)

 この地名は、(1) 甲子川河口の釜池から、

(2) 甲子川中流の釜に似た大岩から、

(3) 釜石鉱山の釜形石から、

(4) 「カマ(釜。湾、磯の急に深いところ)・イソ(磯)」から、

(5) 「カマ(鎌。えぐられた崖)・イシ(石)」から、

(6) アイヌ語の「カマ(平岩)・ウシ(ある所)」から、

(7) アイヌ語の「クマ・ウシ(魚を干す所)」からなどの説があります。

 この「カマイシ」は、マオリ語の

  「カ・マイ・チ」、KA-MAI-TI(ka=take fire,burn;mai=fermented,musseles taken out of the shells,to indicate direction or motion towards;ti=throw,cast)、「火を燃やしている(人が住んでいる、または製鉄を行っている)ところが・剥貝のような小さな集落として(または次々に現れては消える集落として)・散在している(地域)」

  または「カマ・ヒシ」、KAMA-HISI(kama=eager;(PPN)hisi=(Hawaii)ihi=(Maori)ihi=split,divide,strip bark of a tree)、「熱心に・(鉄鉱石を)採取している(場所)」(「ヒシ」のH音が脱落して「イシ」となった)

の転訛と解します。この「マイ」は、「歯舞(はぼまい)諸島」の「マイ」と同じ語源です。

 

(13) 遠野(とおの)市ー遠閉伊(とおのへい)・遠野保(とおのほ)

 遠野市は、岩手県中南部、北上山地中央の遠野三山と呼ばれる早池峰山(1,914メートル)、六角牛山(ろっこうしやま。1,294メートル)、石上山(1,038メートル)に囲まれた遠野盆地にある酪農と林業の町です。遠野南部氏の城下町で、三陸沿岸と内陸を結ぶ街道の宿場町として栄えました。

 古い民俗、伝承や、芸能など歴史的遺産が豊富で、佐々木喜善の採集した民話に基づいて柳田国男が『遠野物語』を著して日本民俗学の出発点となりました。

 この地名は、『日本後紀』弘仁2(811)年条に「遠閉伊(とおのへい)」とみえ、南北朝から室町時代には「遠野保(とおのほ)」としてみえています。

(1) 「ト(遠くの)またはトホ(遠い)・ノ(野)」で山間の遠い野から、

(2) 『遠野物語』によれば、遠野の地は「大昔はすべて一円の湖水」であったといい、アイヌ語の「ト(沼)・ヌプ(野)」から、

(3) 「タオ(圷。山に囲まれた窪地)・ノ(野)」の転などの説があります。

 この「トオノ」は、遠野盆地がかつて湖であったころか、または乾陸化して間もないころに付けられた地名で、マオリ語の

  「トハウ・ヌイ」、TOHAU-NUI(tohau=damp,sweat;nui=big,many)、「湿気が・多い(場所)」(「トハウ」のAU音がO音に変化して「トホ」と、「ヌイ」が「ヌ」から「ノ」となった)

  または「トハウ・(ン)ガウ」、TOHAU-NGAU(tohau=damp,sweat;ngau=bite,hurt,attack)、「湿気が・(人を)襲う(地域)」(「トハウ」のAU音がO音に変化して「トホ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 また、「トオノヘイ」、「トオノホ」は、マオリ語の

  「トハウ・ヌイ・ヘイ」、TOHAU-NUI-HEI(tohau=damp,sweat;nui=big,many;hei=go towards,tie round the neck,be bound)、「海に向う(途中の)・湿気が・多い(場所)」(「トハウ」のAU音がO音に変化して「トホ」と、「ヌイ」が「ヌ」から「ノ」となった)または「トハウ・(ン)ガウ・ヘイ」、TOHAU-NGAU-HEI(tohau=damp,sweat;ngau=bite,hurt,attack;hei=go towards,tie round the neck,be bound)、「海に向う(途中の)・湿気が・(人を)襲う(地域)」(「トハウ」のAU音がO音に変化して「トホ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「トハウ・ヌイ・ ハウ」、TOHAU-NUI-HAU(tohau=damp,sweat;nui=big,many;hau=property,spoils)、「湿気が・多い(場所の)・(財産である)領地」(「トハウ」のAU音がO音に変化して「トホ」と、「ヌイ」が「ヌ」から「ノ」と、「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」となった)または「トハウ・(ン)ガウ・ハウ」、TOHAU-NGAU-HAU(tohau=damp,sweat;ngau=bite,hurt,attack;hau=property,spoils)、「湿気が・(人を)襲う(地域の)・(財産である)領地」(「トハウ」のAU音がO音に変化して「トホ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」と、「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」となった)

の転訛と解します。

 

(14) 六角牛(ろっこうし)山

 遠野市の東に、遠野三山の一つ、六角牛山(1,294メートル)がどっしりとした姿を見せています。

 この「ロッコウシ」は、マオリ語の

  「ロク・コウ・チ」、ROKU-KOU-TI(roku=be weighed down;kou=knob,stump;ti=throw,cast)、「ずっしりと重みのある瘤が置かれている(ような山)」

の転訛と解します。

 また、兵庫県神戸市の六甲(ろっこう)山も、これと同じ語源で、マオリ語の

  「ロク・コウ」、ROKU-KOU(roku=be weighed down;kou=knob,stump)、「ずっしりと重みのある切り株(のような山)」

の転訛と解します。石川県能登半島の珠洲市の北端、奈良時代に狼煙台が置かれた緑剛(ろっこう)崎の「ろっこう」も同じ語源でしょう。

 

(15) 胆沢(いさわ)郡

 胆沢郡は、古代から現代にいたる郡名で、中世には伊沢郡と書き、北は台地状の地続き(古くは和賀川が境界てあったとする説があります。)で和賀郡、東は北上川を挟んで江刺郡、南は衣川・衣川丘陵によって磐井郡、西は奥羽山脈を隔てて秋田県雄勝郡と接します。古代は鎮守府胆沢城の所在地として国府のある多賀城につぐ行政の中心でしたが、後に平泉に中心が移ります。胆沢郡が建てられた時期は大和朝廷が東北経営の拠点として坂上田村麻呂に胆沢城を築かせた延暦21年から同23年の間と推定され、古くは広義の胆沢は江刺を含んでおり、江刺郡が建てられたのは延暦の末年から大同の間とする説があります。

 「胆沢」の地名は、『続日本紀』宝亀7(776)年11月および延暦8(789)年6月の条にみえています。その語源は、(1) 「イ(接頭語)・サハ(沢)」から、

(2) 「イ(沼地、湿地、井戸)・サハ(沢)」から、

(3) 「イサ(砂)・ワ(輪、曲流)」から、

(4) 「イサ(砂)・・サハ(沢)」からなどの説があります。

 この「いさわ」は、マオリ語の

  「イ・タワ」、I-TAWHA(i=beside;tawha=burst open,crack)、「(川が山間を抜けて噴出して)扇状地(または平野)を形成した・場所一帯(の地域)」

  または「イ・タウア」、I-TAUA(i=beside,past tense;taua=army)、「(蝦夷討伐の)軍勢が・集結している(場所。地域)」 

の転訛と解します。前者は江刺を除く狭義の胆沢の地形に即した地名、後者は江刺を含む広義の胆沢の建郡当時の社会状況に即した事績地名です。山梨県東八代郡の石和(いさわ)町も、前者と同じ語源でしょう。

 (旧)水沢(みずさわ)市(昭和29(1954)年4月水沢町と周辺の五村が合併して水沢市となり、平成18(2006)年2月江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村と合併して奥州市となりました)は、岩手県南西部に位置する市で、西部は奥羽山脈の山岳地帯、中央部は胆沢川がつくる胆沢扇状地、東部は北上川の沖積地となっており、胆沢扇状地には典型的な散村集落が展開しています。県内最古で、埴輪を伴う前方後円墳として北限の角塚古墳があります。市名は、流水や地下水が豊富なことに由来するとされます。

 この「みずさわ」は、マオリ語の

  「ミ・ツ・タワ」、MI-TU-TAWHA((Hawaii)mi=urine;(Maori)mimi=urine,stream;tu=fight with,energetic;tawha=burst open,crack)、「川(水)が・(勢いよく流れる)暴れる・扇状地または平野(の場所)」(「ツ」が「ズ」と、「タワ」が「サワ」となった)

の転訛と解します。

 

(15-2) 江刺(えさし)郡

 江刺郡は、古代から近代までの郡名で、第二次大戦後その主要部は江刺市、残りは水沢市・北上市と合併して当郡は消滅しました。古くは広義の胆沢に含まれ、現在も「胆江」の呼称があります。北は和賀郡と上閉伊郡、東は北上高地を間にして気仙郡、南は東磐井郡、西は胆沢郡に接します。江刺郡の初見は『続日本後紀』承和8年3月で、建郡の時期は不明ですが、胆沢郡が建てられた時期は大和朝廷が東北経営の拠点として坂上田村麻呂に胆沢城を築かせた延暦21年から23年の間と推定され、古くは広義の胆沢は江刺を含んでおり、江刺郡が建てられたのは延暦の末年から大同の間とする説があります。

  この「えさし」は、

  「エタ・チ」、ETA-TI((PPN)eta=(Hawaii)eka=dirty,filth;ti=throw,cast)、「(穢い)蝦夷が・たむろしている(地域。郡)」

の転訛と解します。

(16) 夏油(げとう)温泉

 北上市の南西端の夏油川上流に、夏油温泉があります。嘉祥年間(848~851年)に発見され、江戸時代の温泉番付では、西の有馬温泉と並んで東の大関にランクされていた温泉です。

 付近の川岸には、温泉の中の石灰分が沈着して鍾乳石のような岩石となる特別天然記念物の「石灰華(せっかいか)」が成長を続けており、その中でも高さ20メートル、下部径25メートル、頂上部径10メートルの天狗の湯の石灰華は日本最大です。

 この「ゲトウ」は、マオリ語の

  「ケ・トウ」、KE-TOU(ke=different,strange;tou=dip into a liquid,wet)、「水で濡れている・奇妙なもの(「石灰華」がある場所)」

の転訛と解します。

 釣りの用語で、目的の魚以外に釣れる別の魚を「外道(げどう)」といいますが、この語源も同じ(「水に濡れている・(ねらった魚と)別の魚」)でしょう。

 

(17) 和賀(わが)郡・江釣子(えづりこ)村

 和賀郡は、岩手県の南西部、奥羽山脈山中に位置する郡で、その中央を和賀川が流れています。「わが」の地名は、『続日本紀』天平9(737)年の条にみえ、『日本後紀』弘仁2(811)年の条に「和我・稗縫・斯波之郡建置」とあります。

 この地名は、(1) 「ワ(輪、回)・カ(処)」で、和賀川の曲流点の意、

(2) 和賀岳(1,440メートル)の「ハカ(崖)」の転、

(3) アイヌ語の「ワッカ(水)」の転という説があります。

 この「ワガ」は、沢内盆地をさした地名で、マオリ語の

  「ワ(ン)ガ」、WHANGA(bay,nook,stretch of water)、「引っ込んだ場所(隠れ里)」(NG音がG音に変化して「ワガ」となった)

  または「ウア(ン)ガ」、UANGA(=ua=neck,back of the neck)、「(胆沢・江刺地域の)後ろにある(地域。郡)」(NG音がG音に変化して「ウアガ」から「ワガ」となった)

の転訛と解します。

 和賀川と北上川の合流点に旧和賀郡江釣子村(1991(平成3)年に北上市と合併)があり、その和賀川左岸の河岸段丘上に江釣子古墳群があります。7世紀末から8世紀の築造かとされる直径6mから15mの円墳が西北に位置する五条丸地区から東端の八幡地区まで断続的に連なる4群、計120基をこえる国指定史跡です。

 この「えづりこ」は、

  「エ・ツ・リコ」、E-TU-RIKO(e=to denote action or progress,calling attention or expressing surprise;tu=stand,settle;riko=wane)、「何と・欠けた月(多数の円墳の環濠がその一部が切れて三日月の形をしている)が・(たくさん)存在する(場所)」

の転訛と解します。

(17-2) 磐井(いわい)郡・平泉(ひらいずみ)町・達谷窟(たっこくのいわや)・悪路王(あくろおう)

 磐井郡は、古代から近代までの郡名で、中世は多く岩井と書き、北は衣川・衣川丘陵を間にして胆沢郡・江刺郡と、東は北上山地を間にして気仙郡と、南は磐井丘陵を間にして宮城県栗原郡と、西は奥羽山脈を隔てて秋田県雄勝郡と接しています。律令時代に成立した胆沢・江刺・気仙・和賀・稗縫・斯波の各郡は、すべて六国史に記載があるのに、これらよりも早く宮城県栗原郡は神護景雲元年に、胆沢郡は延暦23年にはみえていますから、その間の奈良時代の末期または平安時代初期に成立した可能性がある磐井郡は六国史にはみえず、延喜式が初見です。

 磐井郡の地域は、胆沢郡・江刺郡と一帯の地域とみることができ、「磐井」は「磐堰」で北上川の一関市狐禅寺の川幅約100mの狭窄部によってせき止められ、大湿地帯となっていたと考える説があります。したがって住民の数も少なく、胆沢地区の確立安定ののちに建郡された可能性も否定できません。

 西磐井郡平泉町は、平安末期の中尊寺、毛越寺、無量光院などの奥州藤原氏三代約100年間の遺跡や、文化財が数多く残された歴史と観光の町です。

 平泉町西部の北沢には、達谷窟毘沙門堂があり、延暦20(801)年に坂上田村麻呂がここを砦として抵抗した蝦夷の首長悪路王を討伐したのち、清水寺を模して建てたと伝えられています。このことは、吾妻鏡文治5年9月条にもみえ、鹿島神宮には江戸時代の作とされる悪路王の首像が伝わつているといいます。地元では悪路王をアテルイ(古典篇(その十六)250H8阿弖流為の項を参照してください。)と同一視する見方があります。  

 この「いわい」は、

  「イ・ワイ」、I-WAI(i=past tense,beside;wai=water,vessel to hold water etc.)、「(水を湛えた)湿地の・辺り一帯の(地域。郡)」

  または「イ・ワイ」、I-WHAI(i=past tense,beside;whai=cat's-cradle)、「(綾取りのように洪水の度に)川の流路が一変・する(地域。郡)」もしくは「(綾取りのように戦争によって支配者が)一変・した(地域。郡)」

  「ヒラ・イツ・ミ」、HIRA-ITU-MI(hira=numerous,great or important of consequence;itu=side:mi=urine,river)、「(北上川の)流れの・傍らにある・重要な(地域)」

  「タツ・コクフ」、TATU-KOKUHU(tatu=reach the bottom,be content,strike one foot against the other;kokuhu=insert)、「中に踏み入ると・足がつかえるほどの(狭い岩屋)」(「コクフ」のH音が脱落して「コク」となった)

  「アク・ロ」、AKU-RO(aku=delay,cleanse(akuaku=firm,strong);ro=ro to=inside)、「(内)心が・堅固な(決心が揺るがなかった。首長)」

の転訛と解します。   

(17-3) 気仙(けせん)郡・大船渡(おおふなと)市・理訓許段(りくこた)神社・乱曝谷(らんぼうや)

 気仙郡は、古代から現代にいたる郡名で、和名抄は「介世(けせ)」と訓じ、北は上閉伊郡、東は太平洋、南は宮城県本吉郡、西は東磐井郡から江刺郡に接します。地形は、深く湾入したリアス式海岸(三重県志摩郡と違い直線的な溺れ谷が並んでいる)が特徴です。

 当郡の南部に大船渡湾があり、湾に臨んで大船渡市があります。市名の由来は、船を渡す場所から、あるいは岐(ふなど)の神が各所に祀られていたことからとする説があります。

 市の東側の尾崎岬の海岸には式内社理訓許段(りくこた)神社(神社名の傍訓は九条家本に拠つた『新訂増補国史大系』吉川弘文館による)とされる尾崎神社が鎮座します。この神社名についてはアイヌ語(リクン(高いところにある)・コタン(村))とする説があります。

 市の南端の末崎半島の先端には、名勝・天然記念物に指定された黒い扁平な碁石に似た礫がある碁石(ごいし)海岸には、数十mの切り立った岩壁が向かい合う海の谷間に白波が砕け散る乱曝谷(らんぼうや)などの奇景があります。

 この「けせ」は、

  「ケ・テ」、KE-TE(ke=different,strange;te=crack)、「変わった・(海岸に)切れ込み(湾入)がある(郡)」)

  「オホ・フナ・ト」、OHO-HUNA-TO(oho=spring up,wake up,arise;huna=conceal,destroy,devastate;to=drag,open or shut a door or window)、「(かつて津波の)襲来によって・全滅して・びっくりした(場所)」(記紀にみえる黄泉の国から戻つたイザナキが禊をした際に御杖から生じた「船戸(ふなと)神(または岐(ふなと)神)」もこれと同じ語源ですが、「往来する(汚れ・悪霊を)・根絶する(神)」と解します。)

  「リ・ク・コタ」、RI-KU-KOTA(ri=screen,protect,bind;ku,kuku=firm,thickened;kota=open.crack.gape)、「大きく口を開けた(湾を)・しっかりと・保護する(神を祀る。神社)」

  「ラ(ン)ガ・ポウ・イア」、RANGA-POU-IA(ranga=raise,rising ground in a plain;pou=pole,errect a stake etc.,make a hole with a stake;ia=indeed,current)、「実に・柱を立てたように・直立する(岩壁がある場所)」(「ラ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ラナ」から「ラン」となった)

の転訛と解します。