【 BOOK】「医療は『生活』に出会えるか」著者:竹内孝仁(たかひと)
11
寝たきり➡︎おむつ➡︎褥瘡➡︎拘縮
褥瘡(じょくそう)
拘縮(こうしゅく)
18
退位交換から座位へ
26
◉一人の雇われ医の発想、そして全員を食堂へ!
37
・「食堂」の波及効果
・体力の向上
・残菜量が激減
・身だしなみの変化
・他人への思いやり
・他人との触れ合いへの慣れ
・クラブ活動の活発化
51
◉「食餌」から「食事」へ、、、、生活の接近
食餌〜食べ物
食事〜食べ物を食べること
・生活の複雑な仕組み
61
第3章
人間としてのおむつはずし
62
◉排泄が自立する意味
64
ADL
86
◉「座位」の再発見
・床上排泄の失敗
88
全身的影響の少ない座位排泄
95
第4章
「生活」を支える老人医療とは
96
◉おむつゼロ運動から
・QOLに高いということ
104
・生活拡大の原点としてのADL
ADL〜身の回りの行為、食事、排泄、歩行など
112
⭕️痴呆性老人の生活史とケア
112
痴呆性老人の「異常行動」
113
・厨房をうろつく女性の話
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痴呆性老人のケアの基本に、本人の言動の異常を指摘したり注意や説教をするのではなく「ありのままに」受け止めよとある。このことは、異常行動のよって来たる根拠を知ることで「了解」することによってもっともよく達成される。
厨房をうろつく異常行動は、彼女の説明や時代背景を知ることで、私たちに自然の振る舞いであると受け止めさせる。
・鍵はA女の生活史を知ること
人は、痴呆であれ何であれ、それまでの生活行動の延長でしか振舞えないという平凡な事実を、A女は示したに過ぎない。
・A女のエピソードが示すもう一つの注目すべき点は、施設長の行動である。
お米でつけを払う若き日のA女に対して、施設長もまたその時代に入り込んで「支払いに行く」といった。A女の世界にしっかり入りこみ、そのように振る舞ってみたら、なんとA女は再びいまいる現実の世界に戻ってしまったのである。現実の世界では、厨房は立ち入りを許されぬものであり、そのきまりに従って二度と足を踏み入れようとはしなくなった。
ここに「生活史からの異常行動の了解」と、それに基づくケアの真髄がある。
116
映画「痴呆性老人の世界」羽田澄子監督
熊本県の菊池病院が舞台
117
◉若きよき時代への遡行(そこう)
どうやらこの人たちは、自分にとってもっともよき時代に戻って、その時代の自分のように振る舞い行動しているらしい。
彼らは皆「自分にとってもっともよき時代」、誇らしく光り輝いていた時代に戻っているにちがいない。
130
◉真の生活施設へ、、、全員に「役割」を
157
第5章
医療と生活との出会い
158
◉はじめに生活がある
・生活は生きる現実
159
・生活と医療と医学
160
生活➡︎医療➡︎医学
医療は生活への奉仕者であり、医学は医療への奉仕者である。
ところが、すでに触れたように、現代医学は生活を捨て去ったところでつくられ発展してきた。
165
「人」は体内の諸臓器とその機能の集積物ではない。感情や情緒、価値観などもろもろのものを包含した「人間」である。
165
不安が医療へ人を駆り立てること、それは決して体内の病理によるだけでは説明しえないという事実は、医療が明らかに人間を相手とし、したがってその基盤として「人間学」を必要としていることを示している。「生物学としての医学」「人間学としての医療」と両者が区別され、相互の位置関係と新たな展開が行われ、はじめて医療がすぐれて「生きている人」つまり「生活者」のものとなると考えられる。不安という人間的現象がこのことを何よりも強く物語っているといってよいだろう。
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・個の不安
「恐怖」が具体的な対象に対する恐れであるのに対して、「不安」は特定の対象をもたない漠然とした恐れだといわれている。
この「胃の痛み」が明日はの仕事、今まで通りの家庭生活、あるいはいのちそのものまで奪うかもしれない、という未来のおぼつかなさが不安を生む。
「名医」と呼ばれる人の特徴は、その技術もさることながら患者に安心感を与える人であることに気づく。「先生に見てもらうだけで気が安まる」と実際に患者はいう。その安心の源は、「この病気はやがて治る」あるいは長挽いても、生活への支障はこの程度である、とつねに未来をみて説明しているのである。
167
・集団の不安
不安は決して個人にとどまるものではなく、生活を共にする共同生活へと広がり、それがストレスを呼び起こしていく。
169
問題は介護の量ではなく、それ自体がどれほどのストレスになっているかどうかにあるらしい。
170
要するにいま「よりよい状態」にいて、未来もまたその確信に満ちていることが、生きている人についてQ OLを保証するといえそうである。
2021/03/15