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その先におこること

2016.11.04 14:27

自分を生きることが、優しいことではないと感じていれば、自分を生きることをしないですよね?


そう。

だから、


どうにもならないこと。

仕方のないこと。

どうしようもないこと。


そうやって蓋をして、自分ではない誰かに良いよいようにと、自分の判断を感じることもなく、毎日を生きていく。


ま、ね、仕方ないの。


これはね、ま、いいんだ。


苦しいけれど、どうにもならない。


そうやって、また蓋をしてしまう。


それがあたかも、奥ゆかしく、気の利いた、配慮のある判断であるかのように。

全く手も足もでない人生の未解決事項のように。


そして、違うことで自分の正統性や、優越感を探しだす。


そこを、グリグリとこじ開けようとすると、ぴしゃりと扉を閉められて、必要がないと、糸をプツンと切られてしまう。


それでも、それでも、こうして、誰かの胸に届くようにと、言葉にあらんかぎりの愛をのせて届けと、願うのは、


生きる歓びを感じてほしいから。


どうしようもないと思っていることに、自分に向き合って、どうしようもなくこびりついてしまった、下手くそな癖に気づいて、わざとうまくいかないようにしている、自分がやってる、その巧妙なやり方に気づいて、その常に力のはいった肩や、浅くなる呼吸や、欲しくもないのに食べている感覚を、少しでも、少しでも、緩めて、


ゆるす、という感覚で、思いっきり泣いてほしいから。

ほんとうの愛を感じてほしいから。


歓びを感じて、自分を生きてほしいから。


今、生きていることを、そんなに簡単に流して生きてしまっては、本当に本当に、なんのために生きているのか、わからなくなってしまうと思うのです。



優しいことではないけれど、それは、その最初の一歩のその場所に、怖さ、怖れ、不安があるから。

怖い、寂しい、辛い、不安でたまらない。


そう、そこから。

少しずつ、一粒ずつでも、その自分の体にひっついている、『怖さ』や『寂しさ』や『辛さ』や『怒り』をグッと離してよーく見て、なんで怖いのか、それでどんなことがおこるのか、自分が何を見ているのか、それを見て、どんな言葉を話すのか。

本当は何を感じているのか。


『ごめんなさい』と。

ただその言葉を何度も唱えているだけで、涙がとまらなくなることもあります。

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』


頭では忘れているような怒りや、毎日のように繰り返された日常で、体が覚えたこわばりが、ゆるんでいく。

その糸が少し緩む感覚を、味わってみて欲しいのです。


そして、そこにある、壮大な愛の真理を垣間見て欲しいのです。


殴られたような衝撃で、自分がこんな風にして生きていたのかと、思い知らされることもあります。

それはそれは、衝撃です。


でも、知ればもう、それで終わっていくのです。

そうやって、軽く軽くなっていくのです。