Boléro
1988年、私はその演出部のメンバーでした。
ジャニーズ事務所の少年隊は、毎夏、東京の青山劇場で、Playzoneと銘打ってミュージカルの1ヶ月公演を行っていました。その3回目、1988年のタイトルは『カプリッチョ~天使と悪魔の協奏曲~』。
ちなみに、私は24歳からしばらく黒柳慎一という芸名で活動しており、そのため、当時は周囲に”くろちゃん”と呼ばれていましたしん。
さて、俳優だと舞台に穴をあけるわけにいきませんが、演出部だったことを幸に、くろちゃんは公演中に1日だけ休みをもらいました。『世界バレエフェステイバル』を観るためです。
3年に一度、世界の第一線で活躍中のダンサーが日本に参集するバレエの祭典『世界バレエフェスティバル』(主催:日本舞台芸術振興会)には、1985年の第4回から1991年の第6回まで、続けて足を運んでいます。その後は、飛び飛びとなりましたが、東京時代、楽しみにしていたイベントの一つで、(新型コロナウィルスの影響が心配ですが)今年も8月に開催される予定です。
シルヴィ・ギエムさんや、マニュエル・ルグリさんなど、錚々たるダンサーのグラン・パ・ド・ドゥやソロは、どれも圧巻でしたが、史上最年少の21歳でパリ・オペラ座のエトワールを拝したパトリック・デュポンさんは、文字通りスター中のスター、まさに宙を舞う芸術。30歳前後の心技体ともに充実し、脂が乗ったパトリック・デュポンさんのバレエを観られたことは生涯の宝です。帝国ホテルのロビーでお見かけしたことも思い出します。
いつだったか、パトリック・デュポンさんが『ボレロ』を踊られたことがありました。『ボレロ』は1981年公開の映画『Les Uns et les Autres(愛と悲しみのボレロ)』の劇中での、ジョルジュ・ドンさんのパフォーマンスで一躍有名になった、モーリス・ラヴェル作曲の『ボレロ』に、モーリス・ベジャールさんが振り付けたバレエです。
主役(メロディ)は、ベジャールさんに認められたダンサーのみが踊ることを許されているのですが、パトリック・デュポンさんのボレロは、ジョルジュ・ドンさんとはまるで違う芸術性(上手く言い表せない)で強烈でした。
その後も、モーリス・ベジャール・バレエ団、パリ・オペラ座バレエ、その他、多くのダンサーのメロディを観ていますが、ジョルジュ・ドンさんと、パトリック・デュポンさんが、私には双璧です。
よほどの高揚感でしょう。その公演(おそらく東京文化会館から)の帰路、人気のない小田急線のホームで、ボレロの振り付けをこっそり真似ました。若さ故とはいえ、お恥ずかしい限りです。
パトリック・デュポンさんは3月5日に61歳でご逝去されました。パリのサントノレ通り(ホテルやブティックが多い観光街)に面したサンロック教会での葬儀の様子を動画で拝見しました。
残念。そして、青春はますます遠ざかります。
写真は1992年、ミュージカル『ゴールデン・ボーイ』出演中、大阪メルパルクホールの楽屋で寛ぐ竪山。もう、くろちゃんではありませんでした。
ちなみに、一番好きなダンサーは、Nina Ananiashviliさん。