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「自虐史観」ではなく「事実史観」

2016.11.06 08:55

■FIRBO新メンバーで、高校で歴史を教えるACさんによるエッセーです。歴史の教科書から沖縄はどう見えるのでしょうか?


■■

今日は高校でとてもいい授業が出来ましたので、自画自賛かもしれませんが、少し報告させてください。


私が勤めているのは、筑後地方にある私立の男女共学の高校です。

このクラスは必ずしも「上位」ではありません。 中位から下位です。


今年4月に沖縄で起きた女性殺害事件と74%というアメリカ軍の基地集中の現実に触れたあと、抗議集会での玉城愛さんの「アベ晋三と本土の日本国民が第二の加害者」という発言を自分がテレビで観て、考えさせられた。 と告白した段階で教室が静まり返りました。


・・・「私たちはこの問いかけに答える義務があると思います。私たちは沖縄の事、歴史の事を知らない。 いや、知ろうとしてないのではないですか? 学校でもちゃんと教えてい ないのではないですか? だから、今日はじっくりやります。」 


こう前置きして、1421年の中山王尚巴志による統一、琉球王国の成立を話した後、「いいですか、沖縄は日本とは別の国だったんですよ。」と、コメント。


明治政府、琉球王国、中国清朝の関係を図で板書しながら説明しました。 少し長くなりますが、教科書の全文を紹介します。


「琉球は、薩摩藩を通じて日本の支配を受ける一方で、清にも従属していた。 この琉球の「両属」状態に大きな影響をあたえたのが、1874年の日本の台湾出兵であった。(この事件の背景と意味に言及) 翌年には、日本は清に対する朝貢の禁止や明治年号の使用などを、琉球におしつけた。(この「おしつけた」という表現を生徒たちに確認を迫る。) これに対して琉球は、宗主国である清に支援を求める使節を派遣し、(ここで、また私のコメント、「いいですか、みなさん、日本から圧迫を受けた沖縄の人々は中国に救いを求めたのですよ!」) 清の駐日公使も日本に抗議した。 しかし、日本は1879年警察と軍隊を琉球に派遣し、沖縄県を設置した。(「もう分かりますねー、日本は沖縄の人々の意向を無視して、警察と軍隊を派遣して、つまり武力を背景として、沖縄を日本に併合したのです」)」 


この教科書では同じページに、”人物・琉球王国最後の国王「尚泰」”が写真付きのコラムで紹介されている。

もちろんここも読む。


「1847年、わずか4歳で第19代の琉球国王となり、66年に清皇帝の冊封受けた。琉球の日本への編入をめざした明治政府は79年3月、警察と軍隊を琉球に派遣して尚泰に首里城の明けわたしを命じた。尚泰は侯爵の地位をあたえられて東京に移された。」  

(「これを素直に読むと、明らかに明治政府のやり方が強引だった事が分かりますねー。 私たちは沖縄の人々の「無念さ」を理解しなければいけないと思います。」)


教科書でここまで書いてもらえると、こちらは大変楽です。 解説し、自分のコメントをさしはさむだけでいいのですから。


一部の人はこの教科書(第一学習社:世界史A)や私の授業を「自虐史観」だとか言いたてるのでしょうが、これは「事実史観」なのです。 生徒たちはちゃんと受け止めてくれるのです。 もちろん、いつまで記憶してくれるかは怪しいですが。


日本の歴史を担当している先生! あとは私たちの情熱です、熱い想いです!


(AC)