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山窩の伝承した【カタカナム】

2018.03.26 13:16

http://www.kumanolife.com/History/katakamuna.html 【カタカムナ文献と山窩(サンカ)】 より

六甲山中での不思議な出会い

戦時中、一部の産業界や軍部から天才科学者と評価されていた楢崎皐月という人物がいました。その楢崎皐月が戦後、才能を高く買ってくれていた星製薬社長の星一氏の依頼で、当時の食糧難と将来に備えた農業技術の開発という名目で研究を始めることになりました。そこで、助手の青年数名と一緒に六甲山系・金鳥山に入り六十日余りの穴居生活をしながら研究をしていたろころ、穴居の扉をドンドンと叩く者がいました。楢崎皐月が出ていくと、初老の猟師が鉄砲を持って立っていました。猟師は「山に何しに来た。お前さんたちが泉に妙なものを仕掛けるから、森の動物たちが水を飲みに行けなくて困っておるのじゃ。すぐに除けてやってくれ。あそこは動物たちの水飲み場なんじゃ」と訴えるのでした。それは楢崎皐月たちが泉に電線を張り巡らせて水の成分も分析していたからでした。翌朝、楢崎皐月たちが電線を外すと、その夜に再び猟師が現れました。「お前さんたちは感心な人たちじゃ、穴居しなければ本当のことは分からんものじゃ。これは、すぐに外してくれたお礼じゃ」といってウサギを1羽くれたといいます。そして、その猟師は「儂は平十字という者じゃ、父親はカタカムナ神社の宮司であった。これは父祖代々伝わるご神体で、儂たちなんかが見たら眼がつぶれると伝え聞いているもので、秘密にされてきたものなのじゃが」と告げられて古い巻物を見せられたといいます。その巻物は古い和紙に書かれてあり、円と十の字を基本とした図形を渦巻き状に配列したもので、暗号のようなものに見えるものでした。猟師は「今までにこれを見て、刀のつばや定紋ではないかといった学者がおったが、そんなものではないのじゃ、このカタカムナの神を伝える家は、平家と食家(中家を入れて三家という説もある)の二つしかない」と語ったといいます。楢崎皐月はその巻物に描かれていた図形を見て、満州にいた頃に老子教の道志であった蘆有三に聞いた話を思い出しました。それは「日本の上古代に、アシア族という種族が存在し、八鏡の文字を使い、特殊の鉄を作り、さまざまな生活技法を開発し高度な文明を持っていて、それが神農氏らによって伝えられシナの文化のもとになったものと秘かに伝わっている」というものでした。巻物の図形を見て、楢崎皐月はこれが八鏡文字ではないかと直感したのでした。そこで楢崎皐月は猟師に巻物を写 し取ることを申し出ました。平十字と名乗る猟師はすぐに了解したといいます。このようにして楢崎皐月が六甲山中で平十字と名乗る不思議な猟師に出会ったことで写 し取った図象がカタカムナ文献だとされています。カタカナのもとになったのがカタカムナ文献であり、平十字なる人物がサンカ(山窩)ではなかったのかとの話もあります。

楢崎皐月

楢崎皐月は1899年(明治32年)に山口県に生まれて北海道で育ちました。日本電子工業 の専門学校を卒業したのちに独学で物理や化学を勉強したといいます。20代で当時輸入に頼るしかなかった特殊絶縁油を発明したことで、軍の要請を受け満州の陸軍製鉄所長兼技術研究所長として技術開発を行いました。 その満州の吉林に滞在していた頃に、その地でもっとも人々の尊敬を集めていた老子教道志の蘆有三老師と出会ったことで、楢崎は老子教の古伝にある不思議な話しを聞かされることになります。その時の話しがカタカムナ文献の発見につながるのでした。また楢崎皐月は重要な発明、発見をした科学者ではありましたがあまり欲がなかったのか特許も出さず著作も概論以外のものは残さなかったようです。その楢崎皐月が平十字から見せられた巻物を写 したものを約5年かかって文字の意味と解読に成功したものがカタカムナ文献だといいます。その研究を勉強する会が今も続いていて、「相似象学会」という勉強会を作り「相似象 」 という会誌に解読の成果を一部発表しています。


https://blog.goo.ne.jp/red_cross2015/e/0dc83c407fd415e4d345a424d6783a74 【古事記等の古文書の解読(盧有三老師・平十字氏から伝授:サンカ(山窩)文献)】より

楢崎皐月氏(ならざき・さつきorこうげつ)⑥

楢崎が六甲山中で平十字と名乗る不思議な猟師に出会ったことで写し取った図象がカタカムナ文献だとされている。

カタカナのもとになったのがカタカムナ文献であり、平十字なる人物がサンカ(山窩)ではなかったのかとの話もある。「相似象」誌は次の話も伝えている。

平十字は時には昼間、不意に現われ、辺りの地形を説明したり、太古の歴史を語った。

興味深い事件として、現在の天皇家の祖先は天孫族であり、国津の方カムナの神を祀る一族の主のアシアトウアンが戦い、アシアトウアンは負けて九州へ落ち延びそこで死んだ云々と告げている。

(天孫(アマ)族はインドから日本に移住してきたギリシア系である説)

1950(昭和25)年、「植物波農法」指導開始。

1955(昭和30)年、この頃からカタカムナ文献研究の後継者を捜そうと全国各地を回り始める。

1957(昭和32)年、58歳の時、「技術専修養成講座」全国静電研究連合会を発足させる。

1958(昭和33)年、59歳の時、「静電三法技術専修員用テキスト」(植物波農法、物質変成法、人体波健康法)を発行する。

1960(昭和35)年、61歳の時、「宇宙対向式静電圧可用電源装置取扱要項」(特殊静電処理機)発行。

1966(昭和41)年、67歳の時、巻物出現から17年目、「日本の第1次文明期の特徴」を著し、盧有三老師・平十字氏から得たカタカムナ

(日本の上古代文明に関する古文献)の知識について語り始める。

カタカムナ文献全80首の歌の中から「ヒフミヨイ  マワリテメクル  ムナヤコト  アウノスヘシレ  カタチサキ(以上第五首)、ソラニモロケセ  ユエヌオヲ  ハエツイネホン  カタカムナ  (以上第六首)」。

1968(昭和43)年、69歳の時、古事記等の古文書の解読に向かう。 

1969(昭和44).12.4日、70歳の時、後継者を見出す願いも込めて、公然と毎月、虎ノ門にある文部省の国立教育会館で考古物理学連続講演会を開催し始める。

この時の講演で、カタカムナの後継者となる宇野多美恵女史と出会う。

相似象学会として引き継がれる。


https://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201011220000/ 【カタカムナ】より

宇宙は物質世界と非物質世界(潜象世界または多次元世界と呼ぶ)が重なった二重構造をしています。このようなことを、私たち日本人の祖先はすでに宇宙の二重構造性に気づいていた、という驚くべき情報があります。それが【カタカナム文献】です。

【カタカナム文献】はアシア族によって書かれたといいます。

アシア族は2万年前日本に住んでいた高度な文明を持った種族だそうです。

太古の日本人はアシア族といい幾何学記号のような文字を使い、真理追究や

錬金術を行っていたといいます。

中国の道教の古伝によると、日本にはその昔、八鏡化美津文字を使う極めて知的水準の高い種族がいて、この種族はアシア族と呼ばれ、アジアという名称は、この超古代の種族に由来するといわれています。戦時中、一部の産業界や軍部から天才科学者と評価されていた楢崎皐月(ならさき こうげつ)という人物がいました。

その楢崎皐月が戦後、才能を高く買ってくれていた星製薬社長の星一氏の依頼で、当時の食糧難と将来に備えた農業技術の開発という名目で研究を始めることになりました。

そこで、助手の青年数名と一緒に六甲山系・金鳥山に入り60日余りの穴居生活をしながら研究をしていたところ、穴居の扉をドンドンと叩く者がいました。楢崎皐月が出ていくと、初老の猟師が鉄砲を持って立っていました。

「山に何しに来た。お前さんたちが泉に妙なものを仕掛けるから、森の動物たちが水を飲みに行けなくて困っておるのじゃ。すぐに除けてやってくれ。あそこは動物たちの水飲み場なんじゃ」と猟師は訴えるのでした。それは楢崎皐月たちが泉に電線を張り巡らせて水の成分も分析していたからでした。翌朝、楢崎皐月たちが電線を外すと、その夜に再び猟師が現れました。「お前さんたちは感心な人たちじゃ、穴居しなければ本当のことは分からんものじゃ。これは、すぐに外してくれたお礼じゃ」といってウサギを1羽くれたといいます。そして、その猟師は「儂は平十字という者じゃ、父親はカタカムナ神社の宮司であった。これは父祖代々伝わるご神体で、儂たちなんかが見たら眼がつぶれると伝え聞いているもので秘密にされてきたものなのじゃが」と告げられて古い巻物を見せられたといいます。その巻物は古い和紙に書かれてあり、円と十の字を基本とした図形を渦巻き状に配列したもので暗号のようなものに見えるものでした。猟師は「今までにこれを見て、刀のつばや定紋ではないかといった学者がおったが、そんなものではないのじゃ、このカタカムナの神を伝える家は平家と食家(中家を入れて三家という説もある)の二つしかない」と語ったといいます。

楢崎皐月はその巻物に描かれていた図形を見て、満州にいた頃に老子教の道志であった蘆有三に聞いた話を思い出しました。それは「日本の上古代に、アシア族という種族が存在し八鏡の文字を使い、特殊の鉄を作り、さまざまな生活技法を開発し高度な文明を持っていてそれが神農氏らによって伝えられシナの文化のもとになったものと秘かに伝わっている」というものでした。

巻物の図形を見て、楢崎皐月はこれが八鏡文字ではないかと直感したのでした。

そこで楢崎皐月は猟師に巻物を写 し取ることを申し出ました。平十字と名乗る猟師はすぐに了解したといいます。このようにして楢崎皐月が六甲山中で平十字と名乗る不思議な猟師に出会ったことで写 し取った図象がカタカムナ文献だとされています。

この話にある平十字(ひらとうじ)なる人物は、サンカ(山窩)の族長と考えられます。

【上記】【宮下文書】など秘史の保存された場所は、すべて山民の地であり、八ヶ岳の族長

【トミオジ】が諏訪家の伝書使を勤め、また播磨木梨の里の族長繁蔵が【重蔵刻記】によって楠木伝承を伝えたことを考えると、山窩には、忍者、長吏の外、【語り部】的な役割をする者もあったと考えられます。この特徴はイラン文化と関わりがあることを示します。

山窩の族長が伝承した【カタカナム】は2万年近く前に伝えられたものです。

古文書というと一般には歴史書ですが、【カタカナム文書】は、歴史書ではなく科学書〉です。

すなわち、これは日本人の祖先、アシア人が直観で宇宙の構造やしくみを捉えたものです。

大自然、大宇宙の息吹を友としていた超古代人にとって、その直観力は、現代人の想像も

及ばないほど研ぎ澄まされており、宇宙の深淵、宇宙の背後に隠されている何ものをも射抜くほどの力を持っていたようです。

カタは、我々の見ている宇宙が世界の全てではなくそれは片方であるの意味。

カムは、象(カタチ)が無く目には見えない潜象世界の意味。

ナは、旦那のナと同様、代表する存在【主】の意味。

【カタカナム文献】の内容は

【宇宙の成り立ち】 【宇宙 の特徴】 【物質や生命の発生の仕方】

【生命の本質】から【農業や製鉄技法】 【病気の 治療法】

【人間の考え方】 【商人道の心構え】までを表していました。

カタカムナ図象は、カタカムナ人が創造したカタカムナ声音符と

その声音符を組み合わせた言葉を示す図象文字との基準になっています。

声音符の造り方は、カタカムナ図象によって表現した8種類の自然の摂理を

巧みに一つのウタに読み込みその歌詞に誘導されて48個の分割象を造り

それぞれに48種の声音を振り当てています。

声音とは、可聴範囲内外の音を我々の耳で識別できる必要最低限の48種類としています。

楢崎氏はカタカナの起源が、カタカムナ図象にあると結論しています。

また、フトマニ図象は「日本数字の記号」として使用されていたといいます。

アシア族の文字(カタカムナ)はカタカナとして残りますが、日本書記は完全に漢字となり

日本文化は唐(藤原氏)を元に作られるようになります。

のち空海プロジェクトによりカタカナを民間に広めるため平仮名を考案。