「江戸の寺子屋と教育」8 寺子屋通い
幼児はいつも親に付きまとうのが常であるが、寺子屋に通わせると、親のほうでも子供から離れるので、気持ちにも余裕ができる。
「初午の日から夫婦はちっと息」
そして子どもが寺子屋に通い始めると同時に仕事を始める母親もあったようだ。子どもが帰宅した時に、家が留守ということもあり、錠前の合鍵を子どもに持たせる場合も多くなる。
「初午は世帯の鍵の下げ始め」
「初午はまず錠前を覚えさせ」
親からは「先生の言いつけをよく守るんですよ」と言われるし、また居ずまいの行儀が悪いと、師匠から注意を受けるので、師匠は「おっかない」という印象を持つ場合もある。
「初午の日からおっかないものが増え」
中には寺子屋に行きたくないと仮病を使う子もいたようだ。
「手習子腹が痛いと母に言い」
「手習子頭痛がすると母に言い」
師匠が病気で休講の日は、飛び跳ねて喜んだ。その日は、一日遊び惚けることができるから。
「師匠様風邪を引いたと嬉しがり」
寺子屋の終了時間は「八つ」(午後3時頃)。これを待ちわびていた子どもたちは、「八つ」の合図とともに喜び勇んで後片付けをして、バタバタと帰る。
「引け八つにどっと立つのは手習子」
いやいや寺子屋に向かう子どもも、帰りは一目散。
「手習子蜂の如くに路次から出」
「行きは牛帰りは馬の手習子」
子どもたちの去った寺子屋と言えば、まさに台風一過の静けさ。
「手習の跡は野分の八つ下がり」
授業中でさえおおらかすぎる寺子たち。授業から解放された帰り道は、いたずらし放題。
「寺子屋を出ると手本を大般若」(習字の折手本をバラバラと大仰に開いて引き延ばす)
「唐笠を車に押して手習子」(雨が降っていないのに、唐傘を開いて車のように転がす)
「八つ下がりかしくを以上なぶる也」(女は「かしく」、男は「以上」と書く手紙の末文の文句から、男児が女児の悪口を言っていじめることを表現)
帰ってきたわが子を見て母親は大笑い。
「八つ下がり母の吹きだす黒坊」
墨を顔に塗るいたずらをしたのであろうか、真っ黒になって帰ってきた子どもが言ったところと言えば湯屋。
「手習子母の頼みで糠袋」
「さあ、湯に行っといで」と糠袋(ぬかぶくろ。湯屋で体を洗うのに使う)を持たされる。顔の汚れを落とすと、小奇麗になって、何だか手習子にふさわしくないような顔になる。
「湯へ行けば顔の淋しい手習子」
「手習子一皮剥けて飯を食い」
灯の乏しい時代のこと、「夜手習(よてならい)」(夜に灯火の下で習字すること)する殊勝な子は稀だった。
「掴まえて筆で艪を押す夜手習」
曲亭馬琴作、歌川国芳画『視薬霞ひきふだ』 帰宅途中の寺子
菊池貫一郎『江戸府内絵本風俗往来』 手習い通い
鈴木春信「洗濯 物干し」 母親のそばを離れない寺子屋入学前の子ども
歌麿「台所美人」 母親のそばを離れない寺子屋入学前の子ども