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神様に呼ばれる神社参拝

常識を疑ってみる、でも疑いたくない

2021.03.18 05:38

見えない世界を伝える神社ナビゲーター市口哲也です。


世の中には「当たり前」とされることが、たくさんあります。

その理由や意味を、誰も疑ったり、確かめたりしません。


学校で使う、検定済みの教科書は、絶対的に正しいというイメージがありますが、改訂のときに間違いを修正したり、新発見により大きく書き換えられることは、よくあることです。


特に歴史については、新たに古文書が発見されたり、新たに遺跡が発掘されたりすると、年表がガラッと変わるほどの修正をすることになります。


さて、神社についての常識は、どうでしょうか?


神社の由緒や、神様のご神徳、ご利益についても、神社の神職さんが説明することを疑ったり、確かめたりしません。


その神職さんが、良い人であればあるほど、疑うのは失礼に思ってしまいます。しかも、その神職さんにとって、神社のことを伝えることは使命であり、間違ったことを伝えているとは思っていないはずです。


とはいえ、中には「神話では」と前置きする方や、説明した後に「そのように伝わっています」という方もいます。


神社によっては、その神社に昔から伝わる古文書や、神話とは異なる文献にもとづいて説明している神社もあります。


実際のところ、何が本当に正しい歴史なのかは、現代の私たちには分からないのです。


神社にとっての教科書は、古事記と日本書紀です。

原文が改訂されることはありませんが、漢文であるため、どう解釈するかによって、その意味や、内容は大きく変わります。


日本書紀については、成立した西暦720年から、1,300年間、日本最古の正史として伝わってきました。


古事記については、成立は西暦712年で、江戸時代の本居宣長による註釈書「古事記伝」によって、広く認知されるようになりました。


古事記、日本書紀には、1,300年間の歴史があるため、現代の日本人にとっては「当たり前」の正しいもので、常識とされています。


この常識を疑うのは、1,300年間の歴史を疑うということになるんです。

ちょっと古いですけど、映画「マトリックス」のキアヌ・リーヴスみたいな気分です。(知らない方は、調べてみてください)


真実を知ることは、パンドラの箱を開けることになるのかもしれません。