大島 渚 監督『愛のコリーダ』
反ポルノ映画が暴きだした
愛欲の「儀式」の内実
267時限目◎映画
堀間ロクなな
1936年(昭和11年)5月、二・二六事件の余燼も冷めやらぬなか、阿部定(あべさだ)事件がふたたび帝都を震駭させた。どちらも驚天動地の出来事だったが、現代のわれわれにとって前者がもはや歴史上のエピソードに過ぎないのに対して、後者がいまだに戦慄をもたらす衝撃力を秘めているのは、それを惹き起こしたのが男の政治的・軍事的幻想によるものと、女の性的幻想によるものとの違いだろうか。
『愛のコリーダ』(1976年)で、事件をドキュメンタリータッチで再現した大島渚監督は、みずからこの作品をポルノ映画と見なしたようだけれど、わたしは見解を異にする。ポルノ映画とは本来、性的な興奮へ誘おうとするもので、男の場合、平たく言うなら局部が「立つ」ことに何よりのポイントがあるはずだ。ところが、この作品は上映時間104分の大半があからさまな性交の場面で占められているにもかかわらず、それを眺めて「立つ」男はほとんど存在しないのではないか。わたしなどは「立つ」どころか、逆にすっかり萎えてしまい、その意味では反ポルノ映画と呼ぶほうがふさわしいと考えている。
念のためあらすじを記すと、ひとの紹介で東京・中野の料亭に住み込み女中としてやってきた定(松田英子)は、主人の吉蔵(藤竜也)と知りあうなり、たちまち愛欲の焔を燃えあがらせ、ふたりは駆け落ちした先の待合で昼夜の別なくひたすら情事にいそしむ。やがて、通常の行為では飽き足らず、相互に首をきつく絞めながら性交するようになり、ついに吉蔵が息絶えると、定はその局部を包丁で切り取ってわがものとし、笑みを浮かべて遺骸に血文字で「定吉二人キリ」と書きつける……。これだけの波瀾万丈がわずか3か月のあいだに出来するプロセスを、映画は執拗に追っていくのだ。
大島監督には先行して『儀式』(1971年)という作品がある。敗戦後の世相を背景に、旧家の一族が濃密な近親相姦の瘴気を醸しながら、結婚式や葬式の「儀式」を通じて虚構の秩序が貫かれるさまを描いたものだが、『愛のコリーダ』が描こうとしているのもまた「儀式」ではないだろうか。男と女が初対面でおたがいの性癖を見抜き、快楽を貪りあって、酸鼻きわまる結末に到達するというありさまは、およそタガの外れた愛欲図と映ろうとも、それが両者にとって厳かな「儀式」であるかぎり、禽獣の生殖行為とは一線を画す。だからこそ、ふたりは急き立てられるように行動をエスカレートさせていくのだ。そうしたぎりぎりのせめぎあいを指して、「コリーダ(闘牛)」がタイトルに冠せられたのに違いない。
「きょうのお前は臭いな。死んだネズミか何かのようだ」
凄まじいセリフだ。吉蔵との逼塞の日々を送るうち、カネに窮した定は名古屋のパトロンのもとへ赴き、一夜の同衾と引き換えに手当てをもらったあとで、相手の老人にそう告げられる。わたしは映画を観て、このときほど臭気を鼻腔に感じたことはない。そう、愛欲の「儀式」の内実は実のところ腐臭にまみれたものだろう。禽獣の生殖行為はあくまで自然の営みだから腐臭を放つことはない。さらにつけ加えると、ふたりがそうやって「儀式」に明け暮れる待合の外の世界はすでに軍靴の轟きと硝煙の匂いに覆われ、戦争に向かってまっしぐらに進んでいくなかで、かれらの腐臭がせめても人間らしさの証だったとするなら、なんという逆説だろう?
この作品は、1970年代にフランスでポルノ映画が解禁されたのを契機に「日仏合作映画」として企画がはじまり、京都で極秘裏に撮影したフィルムを、税関で差し押さえられないよう未現像のままフランスへ送り、かの地で仕上げて世界公開したうえで日本にも逆輸入された。その際に、フィルムに大幅な加工・修正が施されたばかりか、8年間におよぶ裁判で「芸術か猥褻か」が問われて、わが国の文化後進国ぶりを示すものとの議論が沸騰したことは周知のとおりだ。もっとも、イタリアのベルナルド・ベルトリッチ監督は同じころ、やはりフランスで『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年)を制作して、アカデミー賞にもノミネートされながら、母国では上映禁止処分を受けているから、あながち日本だけの事情ではなかったろう。そして、当のフランスでは、ジュスト・ジャカン監督がシルビア・クリステル主演の『エマニエル夫人』(1974年)を送り出し、ファッショナブルなポルノ映画として世界的に大ヒットさせたしたたかさこそ、文化先進国の本領なのかもしれない。
そうだとしても、人間が人間としてあるためにぎりぎりの、愛欲の「儀式」の内実を暴きだしたことでは『愛のコリーダ』が随一である、とわたしは確信している。