親切とおせっかいの違い
こんにちは。住まいのおせっかい家です。
「親切」と「おせっかい」何が違うのか。
親切相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。
(出典 デジタル大辞泉)
おせっかい出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。
(出典 デジタル大辞泉)
親切という言葉の方が、やっぱりいい意味ですね。親切は、相手のことを考えている感じがします。
親切は相手に合わせる行為です。
だから自分がどうしたいかとか、どうがいいのかという主張は入りません。
相手がしてもらいたい事をするのです。
親切にされたら心地いいですよね。
やってもらう方は自分に合わせてもらえるから快適。
もっと親切にして欲しくなるし、あれもこれもと過剰になっていくかもしれません。
いつも親切にしてもらってるのに、冷たくされたら「ひどい」という気持ちにもなりますね。
親切にしてもらってると、それを常に期待する気持ち、つまり依存状態にもなりやすいです。
自分で出来る力が育っていないのだから、全部やって欲しくなってしまうのです。
対しておせっかいは、出しゃばるということです。
相手のためを思う気持ちが過剰になり、こうした方がいいという自分の意見を相手に押し付けます。
だから、相手は望んでいないという事ですよね。おせっかいされたら、嫌な気持ちになります。相手が望んでいない事をするのですから。
あまり嬉しくない言葉だけど、的を得ている場合も多いです。
だからこそ嫌な気持ちになるわけです。
全く的外れなら、おせっかいではなく意味不明な言葉ですからね。
では、本当に相手のことを思っている時に親切にすることがいい事なのでしょうか。
例えば、お片付けが出来ない人がいたら、いつも片付けてあげるのが親切。こうやったら片付けやすいんじゃないと言うのがおせっかいですよね。
やってもらう方としては、いつも片付けしておいてくれる方がラクです。
やる方は延々と親切が終わらないです。片付けてなかったら、「いつもは、やってくれるのにひどい」と言われるかもしれませんね。
親切はやる方が犠牲になっています。
なぜ、そんな犠牲になるのか。相手に良く思われたいという気持ちがあるのでは。
「親切=人のために尽くすこと」で、自分にも利益がなければ続けられません。
こうやったら片付けしやすいというおせっかいは、「そんなの分かってるよ、でも出来ないんだよ」と相手をイライラさせます。言われる方としては、的を得ていれば余計に腹が立ちますよね。
そのおせっかいを受け入れるかどうかは相手次第。イヤなら受け入れずに片付けられないまま。
的を得ているなら、そのおせっかいに従って片付けてみる。それも相手の選択。自由です。その時は、受け入れられなくても後から出来るようになるかもしれない。
どちらにしても、相手から良く思われないわけです。自分の言いたいことを言ったという利益以外に、おせっかいした人に利益はありません。
親切は相手から良く思われる。
おせっかいは相手から良く思われない。
おせっかい家は、それでもあえておせっかいをします。
もちろん、希望する人にだけですが。
おせっかいこそ、本気で相手のことを思ってすることだと思っています。
相手から悪く思われるのはイヤだから、誰も本当のことは言わない。
人との関わりが減った世の中で、本気で関わってくれる人って少なくなりましたから。
住まい以外で、ちょっとしたおせっかいをご希望なら、ココナラのお説教がおすすめです。