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米・稲の語源

2018.03.19 04:40

http://yushin-brewer.com/special/okome/vol01/index.html 【稲は魂が宿る「いのち(命)のね(根)」】 より

命をつないできた稲 私たち日本人は、お米が大好き。かけがえのない主食として、長くつきあってきました。

お米の歴史をひも解いていくと、弥生時代にまでさかのぼります。

「稲」は今から約2500年前に、日本へやってきました。どこから来たのかは、諸説あります。水と太陽の力を借りて日本の大地に根づき、水田という設備をもうけ、稲作が始まりました。

稲は、日本人が落ち着いてひとつの場所に住み、食べものに困らない暮らしをもたらしました。

米づくりは共同作業が基本。そのため、稲作を生業とする人々が集って集落が生まれ、

村ができ、社会が誕生します。

私たちの祖先は、それぞれの社会で命をつなぎました。そして稲を育てる水田は、米づくり以外にも・天災を防ぐダムの代わり・水をきれいにする浄化作用・作物が育ちやすい土づくり・渡り鳥の餌場(えさば)・魚や虫の住み家といった、さまざまな働きがあります。

稲は自然や私たちを生かしながら、日本文化が作られる上で、とても大きな役割を担ってきたのです。

「いね」と呼ばれるようになった語源には飯の根、生きる根、息の根、そして命の根という意味が込められています。

お米は単なる食べものではない!?

稲作が伝わる以前の日本人は、自然とともに実を収穫したり、魚や肉を獲ったりして暮らしていました。

しかし、食べるものが調達できないと、住まいを変えていかなくてはなりません。

たくさん狩猟できた日があったとしても、時間がたてば腐ってしまいます。

しかし、お米が穫れるようになってからは、食べあまれば、2年も3年も保存することが

できるようになりました。

この「余剰」は、米以外の作物や道具と交換するための貨幣としての役割も。

余った米でモノを増やし、文明が発展していったのです。

お米は後に、調味料や日本酒、お菓子、化粧品などにも生かされます。

まさに日本は"お米によって成り立ってきた"国なのです。

酒屋として160年歩んできた勇心酒造も、長い年月をかけて、お米や発酵技術と向き合ってきました。

研究を重ねて感じるのは、お米に秘められた無限の可能性に「生かされている」ということ。汗水ながすモノづくりの尊さや喜びを、現代に暮らす私たちも、受け継いでいます。


http://tarikidict.jugem.jp/?eid=64 【米(こめ)の語源】 より

 「コメ」の語源は、心を「こめる」といったように、米に神聖な力を込めるとの意味から「コメ」になったとの説が一般的である。また「小実(コミ)」や「小目(コメ)」が転じたとする説もあり、これ以外にも朝鮮語「コメン(コム)」(酒を醸造する)やベトナム語の「コム」やタミル語の「クンマイ」などとの共通性が指摘されることもある。

 日本語学者である大野晋氏は著書「日本語はいかにして成立したか」で、稲作にかかわる日本語とタミル語の共通性を指摘し、米「コメ」の語源をタミル語の「クンマイ」に求めている。おそらく朝鮮語やベトナム語などとも共通性が見られる「コメ」の音韻は、インドで発祥し各地に伝播した稲作とともに、各地に伝えられた「クンマイ」の名残なのかもしない。

 元来、米は「ヨネ」と呼ばれることが多く、「コメ」と呼ぶようになったのは、平安中期以降のようである。確かに地名や名字では、「米」を「ヨネ」と読む場合のほうが圧倒的に多いのではないだろうか?なぜ「ヨネ」が「コメ」に変化したのか興味深い研究課題である。

 また現在、「米」は「稲」と区別して用いられるが、これを区別するようになったのは鎌倉・室町時代以降のことである。このように「米」の読み方や意味は時代によって変遷している。

 かつて日本人の大部分を占めた農民にとって米が実質的な主食となったのはかなり後のことで、江戸時代においても農民の多くは米以外の雑穀食を主体とした。

 さらに古代に遡れば、米はヒエや粟、麦や豆などと一緒に栽培される作物の一つであっても、特段に農業の主体を占める作物でなかったはずである。

 これが江戸時代になると、「米」は他の雑穀とは異なり「貨幣」の代替として意味を深めていく。例えば農民が何か賦役を行う際の賃金が米で支払われたり、あるいは年貢として供出された以外の残余米の大部分を、家財道具を購入するための資金に充てるなどである。

 そもそも江戸時代は「伊達百万石」などと藩の財政力を米の生産力で評価した時代であり、米が経済の指標であった。

 このように時代を経るにつれ、米は単なる作物ではなく、次第に貨幣的、経済的な意合が付加されていく。そして、その過程で「ヨネ」は「コメ」となり、そして「コメ」が「イネ」に変化したものと想像される。

  さて、私自身はコメの語源を「こめる」の転化でなく、大野氏のタミル語伝播説を支持するのだが、日本人にとってのそもそもの「米(ヨネ)」、そして「稲(イネ)」の語源については、下記の記述をそのまま受け取りたい。

(農業で(注))栽培される作物の種類はたいへん多い。そのうち五穀の類はそれらの長ともいえる重要な作物である。とりわけ稲は重要で、いわば長の長である。食は人の天ともいうが、これはまったく道理にかなった表現である。稲は「いのちの根」、米(よね)は「世の根」という意味を表す。

農文協発刊「日本農書全集 7 「農業余話 下 文政11年 小西篤好 著 耕作論」より引用

(注)田鴨 付記

 日本語には「ヨネ」や「イネ」以外にも「種(タネ)」、「金(カネ)」など、語尾に「ネ」のつく言葉がある。

 もしかしたら、これら言葉にも、忘れ去られた日本的価値観が隠されているのかもしれない。そして、その語源を紐解き、本来の意味が理解されるならば、日頃、何となしに聞き捨てる言葉の一つ々に命が芽生え、世事に煩わされる日々にあっても明日への活力が生まれると思うのである。

【記:平成20年9月21日】

▼参考HP

語源由来辞典http://gogen-allguide.com/ko/kome.html

米づくりQ&Ahttp://agrin.jp/hp/q_and_a/kome_yurai.htm

▼参考文献

「日本の人口増加の歴史-水田開発と河川の関連-」

(山海堂 発刊 本間俊朗 著)

「日本語はいかにして成立したか」

(中公文庫 発刊 大野晋 著)