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生きもの感覚~俳句の魔性~ ③

2018.03.19 10:59

https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/opdf/456.pdf 【第 76 回総会記念講演生きもの感覚~俳句の魔性~】 より

ところが、どう߽も学校の先生方はこれを子どもに教えるときに、教訓として教えて、蠅のよ

うなものを殺しちやいけないよ、と。そういうことを一茶はいってるんだよ、と教えるんで

すが、これは非常に困った教え方でございます。

一茶は、人に物を教えるというタイプでは全くないわけです。自分が生きるのが精いっぱいでございますから、そんなことはやらない。まさに愚のままに生きたわけですから。

そうではなくて、蠅よ、おまえは自分の足を磨いておるな、磨いておるなあ、まあ、ゆっく

りやってくれやい、こういう気持ちでつくったという句です。これが非常に大事だと私は思っております。

学者の話を聞いてから、その句を見直しまして、至るところで説明をしているのでございま

すけれど߽、要するに、一茶は生き߽ものというものをそのまま直にみる、そういう本能を持っ

ておった。それが彼の感覚を形成しておった、とわかるわけでございます。

それで、実はこの一茶に注目しました。日本では一茶というのは割合に、ややクラスの低い

俳人だという見方がずうっとありました。いまで߽はそういう見方が多いのでございます。何といって߽も芭蕉、蕪村というのはクラスが高いという見方があるのですが、外国の人は案外そういう見方をしておりません。

その中で߽もR.H.ブライスというと名前はご承知の方߽もいらっしやると思いますが、イギ

リスの人で、日本が大好きで、奥さんが日本人でございまして、朝鮮の京城大学を出たのかな、それからずうっと日本にいまして、敗戦の後、しばらくいまの天皇の家庭教師みたいなことをやっておったんじゃないですかな。その間に、彼は禅が好きで、澤木興道師について禅を学びまして、それから俳句に非常に興味を持ちまして、1952 年に、『俳句 Haiku』という大きな英文の本を 4 巻出しております。

その『俳句 Haiku』という 4 巻の中で、芭蕉、蕪村、一茶、正岡子規、この 4 人の句を千

数百英訳しております。それで 1 冊構成しておりますが、これがアメリカに非常に大きな影響を与えました。

最後に外国の俳句のこと߽もちよっと申しあげなきゃいかんのかなと思っているんですけ

れど߽も少なくと߽英語圏の俳句の߽ことは、このR.H.ブライスの『俳句 Haiku』に始まると

みていい、と私は思っております。いち早く飛びついたのが、ギンズバーグとかゲーリー・スナイダーとか、ああいうビート・ジェネレーション、ビート世代、あの連中が飛びついています。それまでにエズラ・パウンドのイマジズムに傾倒しておったんですが、どうも短いものというとなると日本の俳句があることが彼るの念頭にあった߽ものですから、俳句の正体をみたいという思いがあったんですね。

そこへブライスのその本が飛び込んできて、飛びついた。彼らの関心は非常に大きかった。

それから、アメリカにずうっと広がる。イギリスに߽渡り、カナダに߽も行くというふうにな

ってくるわけでございますが、いま、世界の俳句人口は 200 万を下らないといわれておりま

す。これは欧米圏だけでございます。

それに対しまして、い߹ま待合室で߽お話ししていたんですが、そのとき申しあげました中国の「漢俳」߽あります。これは五七五に漢字をポンポンと入れれば、それでよい。やはり一字一音ですから」。漢俳(カンパイ)」と中国の人はいっているわけですが、漢字の俳句です。

これをやる人߽も4 年前に聞いた話では約4,000 人ぐらいおる。漢俳学会というのができ

ておりますが、それぐらい世界の国で߽も俳句をいろんな形で自国語に生かしているんです。

が、少なくと߽も英語圏の俳句の߽もとはブライスにあると思います。それを受けたビート・ジェネレーションにある、こうみております。

だから、アメリカでは、そのときの影響で、小学校の教科書の中にカリキュラムになって

いるんです。みんな「ハイク」とカタカナで書いております。名刺なんかみますと、「ハイキスト」なんて書いている人߽もいます。「ポエット・オブ・ハイク」なんて書いてあって、そういう名刺をくださいますが、非常にたくさんおります。

これが本当の日本人なのだ

そのブライスが、4 巻本の『俳句 Haiku』を出しまして、その最後の解説のところで、一茶

の句を挙げています。その一茶の句はどういう句かというと、「蚤ど߽もが夜永だろうぞ淋しかろ。」一茶の句には、こいう小動物がたくさんいるんです。動物というんでしょうか、虫というべきですか、これが多いんでございますが、「蚤ど߽もが夜永だろうぞ淋しかろ。」

一茶は、柏原に 50 歳で帰ります。65 歳で死にますが、柏原に帰ってからの句です。秋の夜

長で一人でいる。そうすると、当時は、ノミとかシラミというのは普通の同居者でございま

して、むしろノミ、シラミがいない人がおかしいというぐらいの時代でございます。芭蕉߽もシラミをつぶすというようなことを書いておりますが、当たり前だったわけです。一茶の体は、健康な人だったですから、ノミやシラミが喜んでたくさんくっついていたんじゃないでしょうか。そういうのが、夜中に一人でこうやっているというと、体中むずむずしてくるわけですね。そうすると、それを感じながら、「蚤ど߽もが夜永だろうぞ淋しかろ」というふうな句をつくる。

それをブライスは挙げまして、仏教の影響からこういう心が生れたんだと思うけれど

これは非常にすばらしいと書いているんです。

日本人を代表する――間違って引用してはいかんと思ってあっちこっち書いてきたのが、わ

けわからなくなっちゃった。ちょっと失礼します(ポケットから四百字詰め原稿用紙大の紙を2 枚取り出しながら。(こっちです。ブライス

の書いた言葉はこうです。「仏教思想が人間の真性を示している。(中略)この句を読んだ一茶は最߽も日本人的な人で、最も人間味のある人だ」。

だから、自分は千何百の句、4 人の代表的な句を訳したけれど߽も一茶のこの句が中心なん

だ、という思いでしょうか。日本人というのはこういう人がいいんだ、よい日本人というのはこういうのだ、こういうふうにいっているわけでございます。ブライスは禅に造詣が深い人でして、この『俳句 Haiku』という本の中で߽も俳句と禅が同じだといっています。俳句と禅は同じ߽ものだ。そういって書いているぐらいですから、それはやや偏りがあるわけでございますけれど߽も一茶のような人間が、彼の心ではわかるわけですね。非常によくわかって、いかにもこれは仏教がつくࠅ出した日本人の姿で、しか߽もこれが本当の日本人なんだ、と。そういう見方が出てくるというわけでございます。仏教で、というところがちょっと問題なんでしょうけれど߽もこういうふうに書いております。

つまり、これぐらいブライスが認めているほどに、一茶のこの句の示してい߽るものというの

は、ほんまものの生き߽の感覚である。私はそう思います。

こんなことをいうのは蛇足に類するわけでございますけれど߽も生き߽もの感覚ということ

を、私は、アニミズムに対する自分なりの受け取り方で申しているわけでございます。だけれど߽も私は「アニミズム」といわずに「生きもの感覚」といいたい。こういう気持ちでございます。「生き߽の感覚」、つまりアニミズムが生まれたというのは、こ߽れも学者の話などを聞きながらのことでございますが、どう߽も人類の初めは森の中にいた。森の生活があって、そこから野に出て歩くようになってきた。こういうことを聞きますが、森の暮らしの中で養われた本能の姿、それが私はアニミズムだと思っております。