『生』というフィールドで…。
『いのち』を、ありきたりな言葉で
『生きる』ということだと言いたくない、
そう思ったのは、乳がんになってから…。
なのに、乳がんに気付く前に自身が開設して
いたサイトで、『笊からこぼれ落ちる命』を
すくい上げる、『拾い集めて生きる』という
ことばかりインターネット上で語っていた私が
いた。乳がんに気付く前に、調布市にいて…
『ひふみワークショップ』なるものをやり、
何だか分からないことを、一人やっていた!
ひふみの『ひふみ』は、ひふみ祓いの意と、
自分と母と、介護していた身内の名前の
頭文字を使って、『ひふみ』とし開設。
『ひふみ』は、
ひとりよりふたり、ふたりよりみんな、
みんなはひとりの為に、ひとりはみんなの
為に、という意味を表して私は取り組んだ。
そんな最中の、乳がん判明。自分は、それを
『修業なのかな』とか、業を修めることとし、
最後の授業かな、とさえ思いながら生きた!
『乳がんで死ぬかも知れない』自分を、
生きることにした。平成16年もがいていた。
平成17年、もがいていた。しかし、そんな
そんな弱気ごころの私の居ない場所で、この
幼なじみはこんな歌を歌っていた。
『Live』だ…。
生きるということに、未来を見せなくされた
のは、私がこの人の幼なじみだったからだ。
同じことは繰り返したくない私を、なぜか
同じことに繰り返し繰り返し引きずり込む
男の、幼なじみである横柄さは私には慣れて
いた。しかし、幼少時代より闘いは激しい…。
嘘と懸けみたいな時間。幼なじみはくどい!
『死なないこと』より、かみしめる方が
苦しいかもね。死なないことに繋がること、
それは『しつこいことに繋がる』みたいだ!
因みに、『しつこい』という意味は?
躾を濃くする、ということらしい(辞書で)。
『しつこいライフスタイル』らしい、この
幼なじみに、振り回されて来た。50年前より
ひどい発達障害な幼なじみは、ジジイとなり
ババアとなった幼なじみは、もがいている。
幼稚園時代、幼なじみは『一緒に考える』と
途中から、『俺が見てるから宏枝やんな…』
そう言っていた。一緒にやると『分かるね』
とか、『ふたりでやれば分かるじゃん』とか、
『宏枝が分かったから、俺は大丈夫だね』と
言っていた。
生きることに不器用な人は、誠実だ。
しかし、私の幼なじみは他人にはシビアで、
自分は『宏枝が分かれば大丈夫じゃん』だ。
私は、大丈夫になりたいけど?
荷物を増やされて歩きにくくされている気が
する。歩きやすくする為に、煩悩を落として
歩いて行きたい私を、この人に煩悩を負わされ
歩きにくくされた。不可能なことを見えなく
されたり、未来を見なくさせられている(笑)。
『Live』は、『今』しか分からなくされた
私には、違う場所のストーリーみたいな歌詞。