為楽山城(摂津国・能勢町)
※縄張図は妙見山山頂部に切岸・土塁らしきものがあったため作成しましたが、城郭遺構かは不明です。また宗教施設のため立入禁止区域もあり、地理院の地形図・航空写真から書き加えた部分もあります。
<別称> 不明
<住所> 大阪府能勢町野間中など
<比高(標高)> 428m(660m)(比高は場所による)
<形態> 山城
<時期> 安土桃山期
<アクセス>
妙見山は有名な山なのでケーブルや車で行くことができる。「三角点こっち」という案内に従えば山頂に着く。
<歴史>
塩川氏の攻撃を受けた能勢頼次が秀吉勢に備え丸山城を離れ築城したという(『能勢町史』第一巻)。大空寺が既に存在し、その削平地を曲輪として利用したと思われるが、これは能勢の緊迫した情勢を示していると言えるだろう。ただ、その可能性は低いともされている(「摂津能勢郡の戦国期城館にみる築城・改修の画期」)。
<構造・現状>
標高660m、比高も東は200m、西は400mを超える山の山頂であり、南から能勢に入るルートを全て押さえている。丸山城を出城に利用したともされるが、これまでの能勢には見られなかった立地である(わずかに山辺城は能勢富士山頂にある)。これは丸山城と違い、敵対勢力が南にあったこともあるだろう。この城郭は戦闘が行われずに能勢氏は没落した。
三角点のある山頂部は土塁や切岸らしきものがあるので、一応図を作成したが、城郭遺構かは判別し難い。また駐車場近くの山(妙見小山)にも平坦地らしきものがあった。
<史料・資料> 調べている途中
『大阪府全志』、『能勢町史』第一巻、『豊能町史』本文編、『日本城郭大系』、「摂津能勢郡の戦国期城館にみる築城・改修の画期」
<ちなみに>
妙見山の紋は能勢氏の家紋(切竹矢筈十字)と同じなので、能勢氏好きとしては能勢頼次銅像だけでなく歩くだけで色々な所に切竹矢筈十字がありこれだけで満足する。