音楽教室の生徒も著作権から逃げられない
2021.03.19 10:00
音楽教室とJASRAC、
生徒が演奏する曲の著作権で揉めている。
なぜか、一般の理解と法律の理解が異なること、
「公衆」という言葉の意味。
音楽教室で生徒が著作物である楽曲を演奏すると公衆演奏になる、
だから管理している音楽教室は利用料を払え、
これがJASRACの言い分。
生徒の演奏が公衆演奏になる??
理解できないのが当たり前。
なぜか、
「公衆」という言葉、
これが不特定多数を意味すると考えるから。
【たった1人でも公衆になる】
法律の「公衆」、
人数が多い少ないは関係なし、
だから不特定多数ははもちろん、
不特定少数、さらには不特定1人も公衆になる。
【特定とはなにか】
特定か特定でないか、
普段考えていることと違う。
生徒は特定でしょう?
でも法律は違う。
生徒は不特定と判断している、
なぜか。
【誰でも生徒になれるから】
音楽教室に通いたい、
入学金と月謝を払えばだれでもなれる。
この「だれでも」が不特定。
だれでも生徒になれる不特定の人、
この人たちが他の生徒や先生の演奏を聞く、
だから生徒や先生の演奏は公衆演奏。
【著作権に正解はない】
公衆の考え一つとっても揉めているのが著作権。
生徒の演奏も公衆と判断した一審、
でも控訴審では生徒に対する判断を変更している。
ここで終われば控訴審の判断が正しい、
上告して、判断が変われば、それが正しい。
同じ裁判所なのに、
判断がわかれてしまう、
著作権に正解はない。