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最上川

2018.03.22 05:13

https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0211_mogami/0211_mogami_00.html 【河川概要】 より

 水系名 最上川水系 河川名 最上川 幹川流路延長 229km 流域面積 7,040km2

 流域内人口 約96万人 流域関係都県 山形県、宮城県

歴史を育み 未来を拓く 紅花のみち 最上川

日本三大急流の一つに数えられる最上川は、山形県米沢市と福島県北塩原村の境にある西吾妻山にその源を発し、幾つもの渓流を合わせながら、米沢市の中心を北に流下し、荒砥狭窄部(白鷹町、朝日町)や三難所のある大淀狭窄部(村山市)、最上峡(戸沢村、庄内町)を抜け、酒田市地先で、日本海に注いでいます。途中の支川を合流させると流域面積7,040km2、流路延長229kmの一級河川です。

最上川は狭窄部と盆地を交互に繰り返す地形が特徴で、これらの狭窄部における流路は、川幅の狭隘、更に川底の岩盤露出が見られるなど複雑な地形構成となっています。また上流にある沿川市街地では、狭窄部の影響を受けて、度々甚大な洪水被害が発生しています。

その流域は扇状地として出羽丘陵の西側に広がる庄内平野からなる下流部に分かれ、県土面積の約8割、全44 市町村のうち12市23町3村を擁し、その人口は県人口の約8割を占める約 100 万人と山形県の社会・経済・文化の基盤となっています。また、自然環境に優れており、山形県の「母なる川」として深く県民に親しまれています。

下田橋付近(河口より191km付近 川西町、南陽市)

大淀狭窄部(河口より100km付近 村山市)


https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0211_mogami/0211_mogami_01.html 【最上川の歴史】 より

「文化を運ぶ道」最上川の歴史

最上川は、山形城主最上義光による岩礁の大開削などの先人の努力によって舟運が発達したことにより、古くから経済の大動脈となりました。また、「文化を運ぶ道」として山形県の文化に大きな影響を与えてきたとともに、松尾芭蕉、斎藤茂吉などの詩歌でも全国的に知られています。

最上川は、松尾芭蕉をはじめ古今の多くの文化人により詩歌が歌われているなど、歴史的・文化的資産を有しています。度現在でも、校歌に「最上川」が織り込まれている学校が県内小・中・高校に多くあり、古くから学校教育の中で親しまれています。

今のように鉄道や自動車などの交通機関が発達していなかったころ、山形の多くの地域では舟による物資輸送が行われていました。近世初期の山形城主最上義光は最上川の三難所とされる碁点、三ヶ瀬、はやぶさの瀬を開削し、また、元禄年間に米沢藩の西村久左衛門が村山と置賜間の五百川渓谷を開削するなど、昔の賢人たちの努力により最上川の上流から河口まで航路がひらかれると、たちまち主要な輸送路として舟運が発達していきました。

19世紀初頭まで上流部から京へ米・紅花・アオソなどの特産物を舟で積み出し、鮭川からは金山杉などの木材を筏に組み酒田港まで下し、帰路には上方の塩や木綿等が搬入されました。さらに、北前船により仏像、梵鐘、石造物が持ち込まれ、また、県内の祭りに京都・祇園祭りの影響がみられるなど、物資の輸送とともに文化の交流がもたらされました。

明治時代に入り、鉄道の整備が進められ、奥羽本線の開通や酒田・新庄間の陸羽西線の開通に伴って、最上川の舟運はその歴史的使命を終えましたが、最上川は経済の大動脈として、また、「文化を運ぶ道」として山形の文化に大きな影響を与えました。近年では観光資源として姿を変えた舟下りが盛んに行われています。

現在の最上川は、市街地周辺の広い高水敷に運動場や公園等が整備され、スポーツや灯籠流し等の地元伝統行事等に利用されているほか、舟下りやカヌー、漁業等の内水面利用も盛んであり、特に秋の風物詩となっている芋煮会シーズンには、地域の交流の場として賑わいを見せるなど、現代文化の一面が最上川の中にうかがえます。

最上川三難所の1つ「碁点」(村山市)

復元された小鵜飼舟(大石田町)

今から約400年前

最上川の治水事業について古くからの歴史がありますが、藩政時代において一貫した治水事業はなされていませんでした。しかし、約400年前、米沢市の南部約9kmの地点に築かれた「直江石堤」等の著名な工事が施工されています。

暴れ川だった松川(現最上川)の水害を防ぐため、米沢藩主・上杉景勝の家臣、直江兼続は、城下町を洪水から守るために、総延長10kmにおよぶ石積みの谷地河原堤防(直江石堤)を築きました(慶長18年(1613年)に完成)。


https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0211_mogami/0211_mogami_04.html 【最上川の自然環境】より

自然豊かな山形県内を貫く一級河川

最上川は、内陸部に広がる水田地帯を悠々と流れ、豊かな自然環境と良好な河川景観を有しており、山形県と福島県の県境の西吾妻山を源に、奥羽山脈と出羽丘陵、越後山脈に挟まれた米沢盆地・山形盆地を抜けて北上、新庄盆地で進路を西に変えて最上峡を抜け、庄内平野を経て注ぐ、延長229kmの流路がすべて山形県内を貫く一級河川です。流域はブナ・スギ・ヨシ等の豊かな植生を有し、オジロワシ(鳥類)やメダカ(魚介類)などの稀少な動植物が多様に生存しています。

流域の地質は凝灰岩類が多くを占め、吾妻・蔵王・舟形・神室・鳥海・月山山系を源流とする河川の源流付近は安山岩が、朝日・飯豊山系を源流とする河川の源流付近では花崗岩が多く分布しており、最上川が現在の形になったのは今からおよそ100万年前といわれています。

最上川の歴史や自然にふれあう水辺空間を創出させ、更なる観光交流ネットワークの拠点整備を形成するため、沿川自治体や地域の皆様と連携・協働により河川環境整備を実施しています。

長井市では、「水と緑と花」をコンセプトとしたまちづくりを実施するとともに、「かわ」と「まち」をつなぐフットパス(散策路)等を整備し、まち歩きやイベント等に利活用してきました。さらに、「まちづくり交付金」や「まちづくり基金」等を活用したコミュニティ歩道や案内板の整備、NPO等と連携した河川空間への花畑の創出など、積極的な整備や活動も実施しています。今後は、舟運時代の川港として栄えた歴史を活かしたまちづくりを計画しており、この計画と水辺が一体となった良好な空間を創出し、観光振興を支援します。

まさに秘境、火焔(ひのほえ)の滝(米沢市)

長井フットパス(長井市河井山狭窄部)

最上川上流部の自然

源流から米沢盆地に至る最上流部は、ブナをはじめとする原生林が残り、瀬や淵を繰り返す流れにはイワナやカジカ等、清流に生息する魚種が多く、自然あふれる渓流域となっています。また、米沢、山形盆地付近は、川幅が広くなり砂洲(さす)を伴い流れが蛇行しています。高水敷(こうすいじき)の利用としては農耕地が多く、それ以外は豊かな植生で覆われています。

米沢盆地を蛇行して流れる最上川(左岸:川西町、右岸:南陽市)

ビューポイントの一つ「玉ノ井」(朝日町)

最上川中流部の自然

中流部は、河岸段丘の底部を流れ川幅が狭くなっています。中でも、周辺の滝や河床の岩盤の露出とミズナラやカエデ、スギ等の植生が雄大な景観をつくりだしている最上峡(戸沢村)は、四季を通じ舟下りの観光地としても名高く、松尾芭蕉の句にも謳われるなど最上川を代表する渓谷を形成しています。このほか、大淀狭窄部(村山市)には舟運時代における引綱の跡が残る自然河岸や三難所(碁点・三ヶ瀬・隼)として名高い岩河床の急流区間が残されています。

また、村山野川(東根市)では、河川敷地内の海老鶴沼周辺に約80種類の鳥類が確認され、また、モツゴ、ギンブナなどの魚類や、エゾノキヌヤナギなどの植生なども確認されており、良好な水辺空間が形成されています。

最上峡(戸沢村)

村山野川と県内有数の探鳥地「海老鶴沼」(東根市)

最上川下流部の自然

庄内平野を流れる下流部では、 河床勾配も緩く川幅も広くなり、高水敷にはヨシやオギ等が密生し、水辺にはオオヨシキリやヒヨドリといった水鳥のほかハクチョウ等の冬鳥の飛来も多く、多くの鳥類の生息域となっています。特に両羽橋に近接する最上川スワンパークに飛来する約1万羽のハクチョウは全国的に有名であり、地域住民に親しまれています。

また、最上川流域においては、国指定の天然記念物であるオジロワシ(鳥類)や、絶滅のおそれのある野生生物として環境省のレッドリストに掲載されている、メダカ(魚介類)、モノアラガイ(底生動物)などが確認されるなど、稀少な動植物が多く生存しています。