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キャラバンは廻る

2021.03.22 13:53

砂漠に打ち棄てられたキャンプ跡にて、運命を思う


 星の輝く夜空を眺めたきり、彼がなかなか眠らない日があった。どんな時もどんな場所でも寝付きのいい彼にはめずらしいことだった。その日は新月で、星明りに冷たく照らされたアリクルの赤い砂岩が、風に乗った砂をまとってささやかに煌めいていた。

「考え事か」

 古いキャンプ跡に起こした焚き火の様子を見ながら、そう声をかける。ソイツは慰め程度に置かれた風よけから背中を浮かせて、こちらへ振り返った。透き通った目は少しも眠気を覚えておらず、いつも以上に冷たく冴え冴えとしていた。

「いえ、考え事というか……」

 言いかけたきり黙り込む彼に、俺はあまり自分のことを話さないコイツの口を開かせることで暇をつぶそうと考えた。砂漠の長い夜は始まったばかりで、そして明日の朝に再開する旅路は決して険しいものではなかった。

「珍しいな、いつもすぐ眠りこけるくせに。シティが恋しくなったか」

 眠りこける、とこちらの言葉を咎めるように繰り返すと、彼は砂嵐で蜃気楼のように揺れる遠くの景色を眺めながら言った。

「まさに、シティの景色に似ているかもしれないと思っていたんです。でも思い返すと全然違う……それが喜ぶべきことなのかそうでないのか、僕にはわからないんです。それを考えていました」

 考える意義すら理解できない疑問だったが、俺は自分に用意できる数少ない言葉を選んで彼に告げた。

「たまには帰ったらどうだ。どこからどうやって行くのか知らないが、必要ならついて行くぞ。……ドワーフの遺跡の仕掛けみたいなのをいくつも抜けていかなきゃならないっていうんなら考えさせてもらうが」

 ソイツはいつもどおり笑わなかった。そして不意に長い手を伸ばし、砂をかぶった絨毯の上に転がる小枝を拾い上げると、我々のあいだで燃える焚き火のすぐそばの砂地に線を引き始めた。

「僕らは昨日センチネルを発って、センチネルとサタカラームのあいだを行き来しているというキャラバンを追っていますね。それが運んでいる荷物がどうしても必要だからです。キャラバンはこの二つの街のあいだの道しか通りませんから、キャラバンがサタカラームに向かっている途中でも、センチネルに戻る途中であっても、僕らは必ずどこかでキャラバンに遭遇します」

 砂をつついて、二つの街を示す小さな丸い溝を描き、そのあいだに枝先を行ったり来たりさせながら、彼は唐突に説明を始めた。彼が話すと、どんなに簡単な理屈であっても、まるでニルンの成り立ちの謎を解くための物語に聞こえるのが不思議だった。

「ですから、どれだけこの旅が長くなったとしても、僕たちは迷わずに足を進められます。進めば必ずサタカラームに近づきますし、追っているキャラバンはこの一本の道を逸れないことがわかっているからです」

「……おい、道に迷ってるって話じゃないだろうな。地図を持ってるのはあんただぞ」

「迷ってませんよ、たとえ話です」

 彼は少し口元だけで笑ったあと、辺りを見渡して背中の方からもう一本枝を拾い、今度は大きな円をゆっくりと描いた。

「では、別のたとえ話をします。僕らもまたキャラバンで、二つのキャラバンはいくつかの街を同じ順番に巡らないといけないとしましょう。前を行くキャラバンに追いつこうと思ったら、とにかく早く進むしかありません。でも前のキャラバンがどのあたりにいるのかはわからない。すぐ先かもしれないし、或いはすぐ後ろにいて追いつかれるところかもしれない」

「じゃ、どこか具合のいい場所で待ってればいい」

「いえ、立ち止まることはできないんです。運んでいる果物がだめになってしまうので、次の街へは運ばなければいけない」

 砂に描かれた円の上を、彼が両手にそれぞれ握った細い枝が、遅くなったり早くなったりしながらゆっくりと回る。二本の枝はなかなか触れ合わず、枝先がかき分けた砂が円の外周に小さな砂丘を作った。

「ハート。もしあなたがどれだけ歩き続けてもキャラバンに出会えなかったら、どうします?」

「どうって……あんたは歩き続けるしかないと言ったろ」

「ええ。でもそれも正しいのかと疑うくらいに長い時間が経ったとしたら?」

 そう言うと、彼は砂のあいだに作られたか細い道に枝を走らせるのをやめ、顔を上げた。砂漠の景色には似合わない瑞々しい緑色の目が、じっとこちらを見つめる。どうやらこれはただのたとえ話ではないようだった。

 風が砂を撫でるだけの乾いた音が通り過ぎる。俺はしばらく考えてから、彼に質問を返した。

「なぜそのキャラバンを追いかける? 今みたいに荷を追ってるのか? それがどうしても必要なことじゃなければ、そのキャラバンのことは忘れる」

「忘れる?」

「ああ。キャラバンがそのルートを外れてる可能性もあるだろ? 一度諦めて、まあ運が良けりゃどこかで会うだろうと思うことにする。商売が出来りゃ生きてはいけるからな」

 彼はこちらの出した答えに少し意外そうな顔をしたあと、そうですね、と目を伏せ、自分で砂に描いた円をじっと眺めて言った。

「もう一方のキャラバンは……とても長いあいだ旅を続けています。僕らよりも遥かに長い時間です。運んでいる荷はとても重くて、そしてその莫大な量の荷物を、たった一人の商人だけで運んでいるんです。彼はとても孤独で、僕はできれば、その荷物を少しでも軽くしたいんです」

 彼は無意識に、これがたとえ話ではないことを認めた。砂に描いただけの頼りない円は、砂漠の乾いた風に吹かれてだんだんと薄く曖昧になっていく。

「なるほど。そうなると俺の答えも変わる。きっと追いつくために歩き続けるな」

 手を伸ばして、彼の手から落っこちそうになっている痩せた枝を奪う。彼が描いた円の途中から外側へ逸れる道を伸ばし、それを直角に折り曲げて元の円まで戻す。

「キャラバンが道を逸れたとしても、また戻ってくる道はある。どんなに遠くへ行っても同じ砂漠で繋がってるはずだ。キャラバンが動き続けなければいけないとしたら、どこかでまた合流するさ」

 円の外周を行ったり来たりする直線を描いて円を囲むと、模様は平べったく尖った八つの花弁を持つ花のように見えた。描き終えて小枝をその辺に放ると、ソイツは地面の模様を眺めたあと、顔をほころばせた。彼には珍しい表情だった。

「なるほど。この形を見ると、あなたの言葉は正しいように思えます」

「そうか? うまく回らない壊れた歯車みたいだ。……昔から絵が下手なんだ」

「いえ、これはかなり的確です。……僕はこれを繰り返している。ずっと」

 独り言のように小さく付け足して、それきり彼は黙ってしまった。まだじっと奇妙な花のような模様を眺めている彼に、俺は仕方なく声をかけた。

「忘れられないだろうな、そりゃ。悪いこと言ったな」

 ぱっと顔を上げて、彼が何度か瞬きをする。何か言いかけて口を開いたまま頭をかくと、彼は気まずそうに、ええと、と切り出した。

「いえ、あなたが謝ることでは。……あなたの意見を聞けて良かった、ハート。僕がこうして歩き続けることが間違いでないと、少なくとも今はそう思えます」

 そう言うと彼は砂の上に置かれた痩せた枝を拾い上げ、もう一度ゆっくりと中心の円の縁をなぞった。枝が砂の道を一周すると、彼はその枝を手放し、何にも興味のないようないつもの涼しげな表情で砂丘を眺めた。乾ききった景色の中で爛々と輝く瞳は、どれだけ奪われても決して枯れない植物のようにたくましく、孤独に思えた。

「俺からしたら、あんたも相当重い荷物を運んでるように見えるぜ」

 そう声をかけると、彼はもう一度こちらを振り返り、なんでもないような仕草で眉を上げて言った。

「いえ、むしろ空っぽなんです。運べる荷物をずっと探してる。……もうずっとです」

 そう答えると、彼は先ほどまで砂の円の上を回っていた二本の痩せた小枝を拾い上げ、火の中にそっと投げ入れた。乾いた枝はすぐに炎をまとい、ぱち、と小さな音を鳴らした。

「美しい景色ですね」

 遠く霞む砂丘の向こうを見つめて、彼がぽつりとつぶやいた。彼と旅を始めて、異なる景色の中で同じ色の炎を囲む夜が、もう何度もあった。けれどきっと彼にとってはそのすべての景色が等しく美しく、そして等しく彼を充たすことが出来ないのだろうと思えた。

「今どの辺だろうな。前のキャラバンは」

 炎から目を離して、彼にそう声をかける。しばらくの沈黙のあと、炎にくべられた枝がはじける音を聞き届けてから、彼が呟いた。

「さあ、どこでしょう」

 いつも明確な言葉しか口にしない彼は、答えを示さなかった。冷たい横顔を柔らかく照らす砂上の焚き火は、二本の枯れ枝を飲み込み終えると、優しく沈黙を続けた。