【社長通信】「花は咲く」を歌う
あの東日本大震災から10年が経った。
東北は山形県生まれの私にとってこの年月は復興の進捗状況を心のどこかで意識し続けていた時間でもあった。
震災が発生したこの年に生まれた命は今10歳、10歳の命は20歳だが、津波で奪われた命はそのまま年齢が止まったままである。この不条理を思う時、生かされている命の尊さを思う。
地震の後に発生したどす黒い大津波が河川を遡上し人や車、家や学校などあらゆるものを次々とのみ込んでいく。懸命に逃げ惑う親子、しっかりと握ったその手がいつしか離れ流されていく。
この生死の分かれ目の映像はあまりにも過酷で思わず目をそらしていた。
26年前の阪神淡路大震災では火災による犠牲者が多かった。倒壊した建物の下敷きになった人々を必死に助け出そうとするも、近づく火勢にあきらめざるを得ない。この様子も想像するだけで身震いがする。
いずれも阿鼻叫喚の世界である。
これらの震災体験が私の記憶に刻み込まれ、生きることの意味を問い続けている。
震災後「花は咲く」という歌がよく歌われる。
<これは死者と語る歌で生者の呼びかけに答える、励ましの歌である。>
山形孝夫(宗教人類学者)の解説を紹介します。
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「花は咲く」は死と生に引き裂かれた愛し合うふたりの、噴きこぼれるような悲しみの歌である。
残されたものが歌う。「叶えたい夢もあった、変わりたい自分もいた、今はただなつかしい、あの人を思い出す」
不思議なのはそこからだ。「誰かの歌が聞こえる」という。それが誰かを励ましている。笑顔も見える。いったい励ましているのは誰なのか。
歌い手は「花は花は、花は咲く、わたしは何を残しただろう」と繰り返し、余韻を残して消えていく。歌っているのは死者ではないか。
被災地には、ひとには明かし得ない無念の思いが、黒い海の記憶の一つになって忘却の時を待っている。生者も死者も待っている。言いたいことが山ほどある。
「ごめんね、ママが助けてあげられなくてごめんね」母親たちの声にならない声である。
その呼びかけに答えられるのは誰か。「大丈夫だよママ、ごめんね、ずっとママを見守っていくからね」
こうした生者と死者の「語り」が「花は咲く」にはおおらかに歌いあげられている。それが涙をさそうのだ。
だがそれは悲しみの涙ではない。死者と共に未来へ向かう優しい希望の涙のようなのだ。そこにこの歌の不思議な魅力がある。
(2013年3月16日 朝日新聞より引用)
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私は被災地東北へ支援活動を続ける「山口東北人会」に所属しているが、この度、被災地への思いを伝えるツールとしてYouTubeチャンネル「山口東北人会」を立ち上げた。
そこで「花は咲く」をとことん練習した。必死に覚えた。
深く歌い込むにつれ涙が溢れてくるのだ。それこそ生かされている命を実感されるかのように・・・・。
代表取締役 加藤慶昭 (3月13日記す)