「過去の自分も、今の自分も、ありのままの自分」で転機をチャンスに!
大手レコード会社からベンチャー企業の広報室長、オンラインギフトサービスのPRディレクター、バイヤーとして活躍した後、
2020年からフリーランスのモデル、企業のPR・マーケティングアドバイザーとして活動している 秋枝未来さん。
3人の子育てをしながら「はたらく」をどのように「ひろげてきた」のか、お話を伺ってきました。
企業のPR・マーケティングアドバイザー 秋枝未来(あきえだ みき)さん
がむしゃらに働くわたしも自分らしくて面白いって思えるんです
大学で、福祉・教育のことを勉強されていた秋枝さんが、新卒の就職先に決めたのは
大手レコード会社でした。そもそもなぜ、そのような選択をされたのでしょうか。
「私の学部は教員志望が多く就職活動をする友達があまりいなかったのですが、
就職活動で知り合いになった友達が増えていき、おかげで様々な業界に興味を持つようになりました。
その中で、ドラマが大好きだったのでドラマを作ってみたいと思い、
TV局やエンターテイメント業界に絞り就職活動をするようになり、
大手レコード会社に採用されました。」
自分の「好き」を羅針盤に、大手レコード会社でアーティスト・役者・タレントのCMキャスティング営業として社会人のキャリアをスタートさせます。
「とにかく働いていました。1日中。
気が付けば1ヶ月休みなしということもありました。 でも、誰がやるの?私だ!という気持ちでがむしゃらに働いていましたね(笑)」
「そんな仕事に振り回されてヘトヘトな私も、自分らしくて面白いって思えてしまうのです(笑) なんでこんなに働いているんだ?(笑)って。
でも、色々なことを任せてもらえて、社会人としての土台を築くことができました。」
成果を出し続けるには、中途半端なことはせず、これだけやらないといけないんだ!という意識が強かったそうですが、そんながむしゃらに働く新人時代も自分らしくて面白いと楽しめたという秋枝さん。
1社目を退職し、1年ぐらい旅したり仕事ではないことをやってみようと思っていた時、
新卒の就職活動時に内定が出ていた企業の女性社長から熱心なお誘いがあり、
上場直前のベンチャー企業に転職することになります。
3人の子育てと仕事の両立、そして、今の働き方に迷いが
ベンチャー企業で新規事業の営業として活躍していた2012年に、第一子をご出産。
育休中に第二子をご懐妊され、 続け産休・育休に入ります。
会社の理解もあり、第二子の育休復職後は、新たなチャレンジとして広報室の立ち上げを
任されます。
「今でも2社目の会長・社長には感謝しています。
いつも私以上に私の適性を考えて、
期待して任せてくれて、それにより、私の経験やスキルが知らず知らずのうちに
広がっていったので、 本当に有難いなと思っています。」
-広報の仕事は未経験だったと思いますが、どう学んだのですか?
「最初は何もないところからのスタートでした。他社のPR・広報を見よう見まねです。
でも、必ず週1回はプレスリリースを出す!と目標を立てて、
様々な媒体に企画書を持っていき、メディアリレーションを築いていきました。
テレビ局に新規開拓の電話もしました!
1つでも開拓できたら、そこからは色々なつながりができていきました。」
-2人の子育てと広報の立ち上げはとてもハードであったのではないですか?
「確かに、本当にハードでした。
広報の撮影が延びて、保育園の閉園間際にお迎えに行くこともありました。
でもやはり、誰がやるの?私しかやる人いないじゃん!という気持ちで
がむしゃらに働いていましたね(笑)」
しかし、さすがに1年もすると疲弊し、このやり方では続かないのではと思うようになったとか。
そんな時に、新しく開設した医療型短期施設の記事を新聞で見つけます。
※「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」
(略称:障害者総合支援法)に基づき行われている事業。
「”私、こういうのがやりたかったんだ!” と思い出し、ボランティアで何か関われることができないかと連絡をしてみたんです。
そして休日ボランティアに参加して、学生時代に学んだ福祉・教育の世界に触れ、仕事と子育て以外にまた別の自分で社会と関わる場所を得たことで、肉体的やスケジュール的には忙しい日々でしたが、やりたいと思ったことに携われている、自分で自由にやりたいことを選べているという満足感を得られることができました。」
そして、2017年に第三子をご出産され、三度めの育休に入り2018年に復職します。
復職後は広報の仕事と並行して、オンラインギフトサービスのPRディレクター、バイヤーとしてのキャリアも加わり、仕事の幅を広げていきます。
ギフトサービスのPRやバイヤーの仕事もとても楽しくて、毎日本当に充実していたのですが、子どもが成長するに従い、保育園よりも小学校の方が親の出番は多くなり、もう少し子どもに向き合う時間を増やせる働き方ができないかな?と思うようになっていきました。
過去の私はハードワークをして、そんな私も自分らしくて好きだったけど、
3人の子どもの親になり、会社からの期待に "私しかやる人いないじゃん!" とがむしゃらに働くスタイルをこれからもずっと続けていくのか?と考えるようになりました。
「自分らしくはたらく」を求めてフリーランスへ!今、私が出来ることをやってみよう!
自分の働き方に迷いがあった秋枝さんに、また転機が訪れます。
「私が携わっていたオンラインギフトサービスが大きな転換点を迎え、自分の役割も大きく変わるタイミングが訪れました。
その時、社長から自分の仕事をどうしていいきたいか大きく2択(広報かギフトサービスのPRディレクター)を自分で決めて良いと言ってもらえたので、とても良い機会だったので、もう一つの選択肢、3択目の一度会社員を辞めてみようと決めました。
ちょうど新型コロナの感染拡大もあり、在宅ワークをする中で、子どもと接する時間が増えたこともきっかけになったのかもしれません。」
-会社員からフリーランスは怖くなかったですか?
「正直、怖かったです。
前職の社長にも、何社かちゃんと案件が取れてからフリーランスになった方が良いと言われたけど、 私は、本当にPR・広報をこの先の仕事にしたいのか?
という部分もよく分からなかったから、 一度全部手放してみて、一から私が出来ることを見つけていきたいと思ったのです。
辞めていこうとしている人間にもこんな風に親身に相談にのってくれて、前職の会長・社長には本当に感謝しています。」
-2020年からフリーランスになられて、今はどのような生活スタイルですか?
「時間的に融通が利くようになったので、それまでやっていたモデルの仕事を増やしたり、子どもがやりたがっていた習い事を増やしたりして、自分の生活、子どもとの生活を充実させてみました。」
そうすると、自分がやりたいこと、自分に出来ることにこだわっていきたいと思うようになってきたと秋枝さんは言います。
「様々なお声がけをいただくなかで、今は「これなら本当にやってみたい!」と思ったものだけ受けるようにしています。
PR・広報にまつわるお仕事内容が多いですが、クライアントさんのご要望に応えていくことがとても楽しく、様々なご要望を自分らしく応えられたときは、やはりとても嬉しいです。
試行錯誤しながらご要望に応えている今の私も自分らしく頑張れていると思います。」
その時々で、自分の気持ちに正直に向き合い、フリーランスという「はたらく」を選択している秋枝さんですが、この先もきっと、変化を楽しんで新たなチャレンジをされていくことでしょう。
-最後に、お仕事と子育ての両立を頑張っているママへ一言お願いします。
「仕事をしている、していないに関わらず、すでにママはみんな本当に頑張っていると思います。
自分に自信がなかったり、子育てに自信が持てなかったりする方も、
すでに頑張っているんです。
だから、自分のよく出来ているところに少し目を向けて
"きらくにそのままでいいんだよ" て言ってあげたいです。
ママたちがほっとできるような、ありのままで良いんだと思えるような、そんなことをお手伝いできるような仕事を今後新たにやっていきたいなと思っています。
仕事も子育ても、自分がやりたいことも、頑張りすぎずに自分に優しくなって、
お互い人生を楽しみたいですね!」
様々な転機を自分らしくチャンスに変えていった秋枝さん。
がむしゃらに働く過去の自分も、フリーランスで自分らしく働いている今の自分も肯定し、 ありのままの自然体で「はたらく」を広げていらっしゃいました。
文責:大瀧佳奈子