天然痘が流行した時代~何が今と違うのか~
これまで、ワクチン目線で天然痘のことを語ってきました ただ、マハトマ・ガンジー氏の発言のように、天然痘そのものを恐れる必要がない、という発言を聞いても、いまいちイメージが湧きにくいのではないかと思います
アルフレッド・ラッセル・ウォレス氏も、「不潔な環境条件を対処しないまま」と言葉を遺しており、環境的な要因が大事だとはいえるのですが、では当時の人々はどういう環境に生きていたのか?
この現代とは具体的に、生活環境がどのように異なるのか? 環境目線で病を捉えるという目線が非常に大事になってくるかと思います
我々が反ワクチンであるのは、病の原因は環境中に山程転がっている、病原体だけに注目する前に考えるべき要因を他に向けるべきであり、それを考えることなく、都合よく病を避けようとするのはそもそもオカシイ、という思想が基盤にあります
ということで、今回は趣向を変えて、違う目線で病を捉えた人物の発言を取り上げたいと思います
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はい、こちら!クリミアの天使こと、フローレンス・ナイチンゲール様です
現代からすれば当然過ぎて考えもしない話を、当時に生きる方々の話を聞くことによって、今の生活がどれだけ先人達の健闘の上にあるのかが分かるというものです
「そんなことを言わないといけないの?」という話を、真剣な筆致で書かれているところをみて、当時の生活や価値観の違いが浮き彫りになるというものです
また、現代人が見ても、原点に返るという行為は重要なことを気付かせてくれます
特に今の感染症騒動、やたらと換気換気と騒がれていますが、手段が目的化している節があります
本当に重要なことは一体何なのか、これこそ「先人達に学ぶ」べきことです
ナイチンゲールの有名な著書・"看護の覚書"「Notes on Nursing」にて、天然痘についても触れている、第二章「Health of Houses」を翻訳いたします
Ⅱ.Health of Houses
●家庭内の健康における必須の5要素
家庭内での健康を保つために必須の5要素があります
- 新鮮な空気
- 新鮮な水
- 効率的な排水
- 清潔さ
- 光
これら無くして、健康になれる家などありません
そして、それらが不足すると、同じように人も不健康になります。
-*--*-端書-*--*-
馬車の健康、特に箱馬車の健康は、ここで触れる程の普遍的な重要性はありません。
子供たちの存在は、常に衛生状態の最も繊細な試験紙です。
一般的に、彼らが病気にならずに箱馬車に入ることはできません。
そうであるが故に、彼らにとっては幸運なことなのです。
馬の毛のクッションと裏地は有機物で飽和しています。
それに囲まれた箱馬車は、天井に窓を設置しようものなら、乗り物の中で最も不健康なものの一つとなります。
その中で呼吸をしようなど馬鹿げた話です
アンガス・スミス博士は、時速30マイルで走る混雑した鉄道車両内が、強烈な下水臭や、マンチェスターにある不潔な街道の中でも更に不潔な法廷の裏庭と同程度に不健康であることを示しました
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●新鮮な空気
1.新鮮な空気を得る為には、外気が部屋の隅々まで行き渡るように家屋を組み立てなければなりません。
家屋の建築は、このことがほとんど考慮されていません。
建築の目的は利益の最大化に向けられており、入居者の医療費を節約させることではありません。
しかし、
・入居者自身が、そうした不健康な構造の家への入居を拒めるほどに賢明になるか
・保険会社が、顧客の住居の管理目的に、衛生調査員を出向させるほど、自分たちの利益を徹底的に理解するようになれば、
投機的な建築家はすぐに正気に戻ることでしょう
見る限りにおいて、彼らは報酬を目的に建てています
また、いつの世も、そうして建てられた家を選ぶ愚かな人々はいるものです
そして、時が経つにつれ、その家族が亡くなっても、よくある話ですが、その結果を「(自然の)摂理」以外の何かに原因を求めようとは、誰も考えないものです。
誤った知識を植え付けられた医学者たちは、「流行病」のせいにすることで、この迷信を助長しているのです。
粗末に建てられた家は、粗末な病院が病をもたらすことと同じく、健康な人へ影響します。
一度、家の中の空気が淀んでしまうと、病気はその後確実に発生します。
-*--*-端書-*--*-
神はある物理法則を敷いています
神がそうした法則を施行するのは、私たちの行い次第です。
※これは非常に乱用されています
無鉄砲な行動の責任、それは神の法則が確実に実行されるとはいえない話でしょう
それにもかかわらず、私たちは、神が奇跡を起こしてくださることを絶えず期待しているように見えます
つまり、法を破りながら、責任を軽くしようとしているのです
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●新鮮な水
2. 新鮮な水は、衛生改革者の健闘により、以前よりも一般住宅に普及しています。
ここ数年前は、ロンドンの大部分は 下水道やトイレ排水で汚染された水を、日常的に使う習慣がありました。これは幸いにも改善されました。
しかし、この国の多くの地域では、深刻に汚染された井戸水が家庭用に使用されています。
そして、疫病が流行した際、そうした水を利用している方々はほぼ確実に罹患することになります。
●排水
3. 確認してみたいものです、どれだけのロンドンの家庭が、効率よく排水されているのか。
大半の方々が、ほぼ全ての家庭が該当すると答えるでしょう。
しかし、多くの人は、「水はけが良い」とは何かを知りません。
彼らは、街道にある下水道と、家から下水道に繋がるパイプの存在で良い排水だと思っています。
全ての下水道は、流行病や不健康を家の中に滞留させる実験室に過ぎない可能性があります。
下水道に直結する防臭弁のない排水管を持つ家は、その源がトイレ、シンク、またはガリー格子※であれ、決して健康的であることはできません。
※ガリー格子とは:参考リンク
防臭対策されていないシンクは、邸宅に住まう者の間で発熱や膿血症をもたらす可能性があります。
●シンク
普通の長方形型のシンクは忌まわしいものです。
あのいつも濡れたままになっている大きな石の表面は、常に空気中に(匂いを)吐き出しています。
私はシンクから漂う家庭や病院の匂いを知っています。
私は、ロンドンの大邸宅にて、シンクから漂って裏階段にまで充満する強烈な下水臭の流れに遭遇したことがあります。これはスクタリ※での遭遇と同じようなものでした。
※スクタリ:トルコの都市イスタンブールに隣接する一地区
そうした邸宅で、全ての部屋のドアが解放され、全ての廊下は窓が閉じて、換気ができていない光景を見たことがあります。これは下水臭が可能な限り寝室へ運ばれ、滞留するようになっています。"素晴らしい"ことです。
家の建設における、もう一つの大きな悪事は、家の下に排水口を通すことです。 そのような排水管は決して安全ではありません。全ての家の排水は壁の外で完結させるべきです。
多くの人々は、理論の上では、これらの重要性を容易に認めることでしょう
しかし、家庭内の病気を、こうした原因から知的に遡ることができる人は、なんと少ないことでしょうか!
猩紅熱、麻疹、天然痘が子供たちの間で発生したとき、始めに思い至るのは、その子供たちが「どこで」その病気に「罹った」のかということではないでしょうか?
そして、親はすぐに,自分たちが一緒にいた可能性のある全ての家族のことを頭の中に思い浮かべるでしょう。彼らは、諸悪の根源がどこにあるのか、まさか家庭内にあるとは決して考えません。
近所の人の子供が天然痘に罹患した場合、最初の疑問は、その子供の予防接種の有無です。 予防接種を過小評価する人はいないでしょう。 しかし、家庭内にある原因を、外部へ人々の目を逸らすよう誘導する時、それは社会にとって利益といえるかは疑わしいものです。
●清潔さ
4. 清潔でなければ、室内外において、換気はあまり役に立ちません。
ロンドンのとある不潔な区画では、
貧困層の人々は、悪臭が家内に入ることを嫌い、窓やドアを開けることに反発していました
富裕層は、家の近くに厩舎や糞の山があることを好みます
しかし、この手の配置で彼らの身に起こったことから、窓を解放するよりも閉めたままにすることが安全といえるでしょうか?
窓の下に糞の山がある中で、新鮮な空気など吸えるはずもありません
これらはロンドンの至る所でよく見られます
そして、"風通しの良い"大きな保育園・寝室で育った子供達が、伝染病に罹患することに人々は驚いているのです
もし彼らが、子供の健康問題にある自然の法則を学んだなら、それほど驚くことはないでしょう。
家の中の汚物以外にも、そうした汚物に暴露する機会はあります
何年も放置された古い紙張りの壁、汚れたカーペット、洗っていない家具など、地下室に糞の山があるのと同じく、それらは空気を汚す原因となります。
人々は、家を健全に保つ方法を考える教育と習慣がなく、故にそうした話を全く考えたことがなく、あらゆる病が襲ってきたときには"神の手によるもの"として諦め、当然のものとして受け入れてしまいます。
或いは、自分の家の健康を義務として維持しようとする考えを、それを実行する際に、あらゆる種の "怠慢や無知"に委ねてしまいがちなのです。
●光
5. 暗い家は、常に不健全で、常に淀んだ空気で、常に汚れた家です。
光の渇望は成長を止め、子供たちの間で、瘰癧※、くる病※などを促進します。
※瘰癧(るいれき):頸部リンパ節が数珠状に腫れる、結核症の特異型
※くる病:骨軟化症。骨の石灰化障害により非石灰化骨基質(類骨)が増加した病態 ビタミンD不足で発症
人々は暗い家の中では健康を失い、病気になれば、そうした環境中で健康を取り戻すことはできません。 このことについては、後ほど述べます。
●家の健康管理における3つの過ち
一般的に、家の健康を管理する際の、多くの「怠慢と無知」の内の3つを、ここでは例として挙げます。
- 1.毎日建物の隅々まで見回る必要性を考えていない、あらゆる建築物の責任者にある女性長
家の健康状態の管理について、管理責任のある自身を差し置いて、部下たちにより注意を払ってもらうことをどうやって期待できるのでしょうか?
- 2.人がいない間の部屋の空気や日光、清潔さを保つことの不可欠さが考慮されていないこと
これは、衛生の初歩的な概念を単に無視し、あらゆる病の種を撒くことでしかありません。
- 3.その窓、一つの窓は、部屋に空気を通すに十分に考慮されているか
暖炉のない部屋が、いつも締め切っている光景を見たことがないでしょうか? また、暖炉があるとしたら、煙突の蓋だけでなく、煙突の喉元にハトロン紙※を敷き詰めて、煤が落ちてこないようにしているでしょうか?
※ハトロン紙(brown paper=patroonpapier(蘭)):薬莢用の丈夫な紙
煙突が汚れている場合は、掃除をしてください。
ただ、絞り穴一つで部屋の空気が吸えることを期待してはいけません
部屋を閉め切ることが綺麗に保つ方法と思ってもいけません
部屋とその空間にあるものは全てを汚すのが一番の方法です。
(部屋の)責任者であるあなた自身がこれら全てに注視していないなら、部下があなたよりも慎重になる光景を想像してはいけません。
今の女主人の中には、使用人の不満を口にすることで、彼らの言い訳を受け入れているかのように見えます。
不満も言い訳も余地のない方法を提示しているようには見えません。
●管理者は、自身に対してではなく、家の衛生状況に責任を持たなければなりません
しかし、改めて、自身でこれら全てに注視することは、自力で行うことを意味するものではありません。
"私はいつも窓を開けている"と責任者はよく言います。
自分で実行する場合、確かに、全く行われないよりは遥かに良いことです。
しかし、
①自分で(窓開けを)しなかった際に、開けたことは保証できませんか?
②そこに背を向けた時、元に戻らないことを保証できますか?
※訳注
①:自分でやらなかったらやったと確信できないのか?
②:開けたことを目で確認してその場から離れた後に閉まっているなんて事態は起こらないか?
これが「責任者」であるということです。
そして、それはとても重要なことでもあります。
前者①は、責任とは自身の手で実施したことだけを意味します。
後者②は、やるべきことを必ず実行するという意味です。
●神はこれらをそれほど真剣に考えているでしょうか?
今、あなたは、これらのことを些細なこと、或いは、少なくとも大げさだと思っていることでしょう
しかし、あなたが何を"思うか"、私が何を"思うか"は、些細なことです
神が考えることを見てみましょう
神はいつも、自身の言葉を正当化されます
私たちが考えている間に、神は教示しておられます。
私は、病院の膿血症の症例が、立派な民家の中では、最悪の病院と同じくらい深刻で、同じ原因、すなわち、悪臭が原因であることを知っています。
しかし、誰もこの教訓を学びませんでした。
誰もそれから全く何も学んでいないのです。
彼らは考え続けました
「患者が親指をひっかいた」
「使用人が皆ひょう疽※になった」
「今年は何かが多い」
「うちの家にはいつも病気がある」
といったことをです
※ひょう疽:手指あるいは足の指に細菌が感染して起こる病気
爪の周囲に小さい傷があったり指しゃぶりでいつも湿った状態になりやすい乳幼児、水仕事の機会の多い女性や調理人など、手荒れが起こりやすい人に多くみられる
これは、好まれる思考の形式です
これらの一般的な「ひょう疽」の一様な原因を問うことへは繋がらず、全ての疑問を抑圧する方向に行き着きます。
"病"が"いつもそこにある"ことは、どのような意味で「そこにある」ことを証明するのでしょうか?
●神はどうやって自分のルールを実行しているのでしょうか?
この病院の膿血症が、あの大きな民家にあった原因をお伝えしましょう
- 不適当に設置されたシンクから漏れ出る下水臭が、全てのドアを解放し、全ての廊下の窓を閉めることで、徐々に部屋の中に流れていった為です
- 泥水が足鍋(フットパン)に入っていた為です
- キッチン用具が綺麗に洗浄されていなかった為です
- 来客用の食器が、汚染水で洗浄されていた為です
- ベッドを揺さ振ったり、空気を含ませたり、バラバラに選んだり、買い替えられていない為です
- カーペットやカーテンが常にカビ臭い為です
- 家具が常に埃を被っている為です
- 紙張りの壁が、汚れで一杯になっていた為です
- 床が一切掃除されていない為です
- 人が住んでいない部屋は、日光も入らず、掃除もされず、風通しもされていない為です
- 戸棚が淀んだ空気の掃溜めになっていた為です
- 夜になると、窓はいつもきつく閉め切られていた為です
- 昼間でさえ、計画的に窓を開けていなかった、或いは適切な窓を開けていなかった為です
空気を求めて息切れしている人が、窓を開けてしまうこともありました
しかし、使用人は、窓を開けることも、ドアを閉めることも教育されていませんでした。
開けたとしても、風通しの良い中庭ではなく、高い壁の間にある、じめじめした井戸の上でした
或いは、部屋の空気を入れ替える為に、ドアを開けて、風通しのないホールや廊下に吐き出していました
これは空想ではありません、事実です。
●神はどんなルールを教示しているのでしょうか?
あの大邸宅にて、ある夏に、3人の膿血症患者を診たことがあります
1人は静脈炎※ 2人は肺炎性の咳をしていました
汚染された空気の産物です
※静脈炎:静脈壁に生じる炎症で,しばしば血栓の形成をみるので血栓性静脈炎とも呼ばれる。
急性期の症状は発熱,局所の疼痛,硬結などで,慢性になるとその静脈の腔腸,色素沈着、潰瘍形成,チアノーゼなどが認められる。敗血症のような症状を伴う場合もある
温暖気候では、家庭内は冬より夏に不健康な条件となりますが、それは何かが間違っていることの確かな兆候です。
それなのに誰も教訓を学ばないのです
そう、神は、常に自身の言葉を正当化されます。
あなたが学んでいない間にも、神は伝えているのです
この貧しい体は指を失い、そして命を失う
全ては簡単に防げる原因なのです
-*--*-端書-*--*-
●使用人の部屋
使用人の寝室について一言言わなければなりません。
部屋の建築方法、いえ、部屋の維持方法、そして何ら知的な検査が実施されていないことから、そこは常に悪臭の巣窟となっています。
そして、使用人達の健康には、国の中においてさえ責任の所在がありません。
私はロンドンの家だけを話しているわけではありません。
ここロンドンでは、あまりにも頻繁に、使用人が地下室や屋根の上に住むようになっています。
しかし、田舎の "大邸宅 "では、これは本当に"大邸宅"でしたが、私は猩紅熱で同じ部屋で眠る3人のメイドを知っています。
"何と分かりやすい"、と零れました。
部屋を一目見て、匂いを嗅ぐだけで十分でした。
もはや"責任がない"とすらいえないものでした。
部屋は小さくはなく、階段を上ったところにあり、2つの大きな窓がありました。
しかし、前述した怠慢の全てがここにありました。
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●家族の中の身体の退化、その原因
この世代の祖母や曾祖母の家、少なくとも田舎の家は、冬でも夏でも、玄関と裏口が常に開いていて、風が常に吹き抜けていました。
昔は身の回りの物を擦って、清潔にして、磨いて、精錬していたものです
それは今の世代の祖母に当たる代や、曾祖母の代ではより浸透していました。
教会に出向く時を除いて、屋外でボンネット※を被ることもありませんでした。
※ボンネット:婦人帽の一種 (画像借用元:上質帽子オリジナル通販 ボンネット)
以上の話は、曾祖母の代に顕著に見られた事実を表しています
人の体力が、曾祖母の代を起点に、祖母の代にかけて低下していることです
ただ、この代では、恐らく体力は減ったものの、極めて健康体で、芯まで健全だったのでしょう
母の代になるにつれ弱々しくなり、馬車移動が増え、家に閉じこもるようになったのです
挙句、娘の代では、病気がちになり、ベッドから離れないようになりました
年間死亡率が低下していようと、このように退化していく人種や、況や家族を見かけることはよくあることだと覚えておいてください
貧しく、碌に洗濯されていない襤褸切れや、高貴な家柄の子供達が、無益で荒廃した生活の中で、道徳的にも肉体的にも苦しむ様子を目にするかもしれません
一方で、結婚し、そうした子供達を世に生み出す人々は、「どこに住むか」「どんな生活をするか」といった、自分の都合のことしか打ち明けないのです
●病室を家全体の通気立坑※にしてはなりません
※立坑(たてこう):地面に垂直に掘り下げた、運搬・搬出入・通気用の地下道
画像借用:鍋立山トンネル換気立抗へ行ってみたその2
病人のいる家の健康状態に関して、病室が、他の部屋から漂う空気の立坑になっていることがよくあります。 常時、家は閉め切り、空気は回らず、淀んでいますが、病室の窓は少しだけ開いており、ドアは時々開けられます。 さて、そこにはある種の犠牲者がいます 病人を匿っているその家自身が、人を病人にしているのです それは、訪問者を縛り上げ、道に藁を敷くようなものです 何故自身を清潔にしようとはしないのでしょう? 何故風通しの良い状態にしないのでしょう? 何故病人を敬わないのでしょう?
●感染
一般的な言葉でいう所の「感染症」と呼ばれるものを忘れてはなりません
人々が広く恐れるこの病は、避けるべき習慣を頻繁に実行していることによるものです
天然痘ほど感染力や伝染力が強いと考えられてきた病はありませんでした。 先人達は、患者を厚手の寝衣で覆い、大きな火を焚いて窓を閉め切っていました。 天然痘は、こうした環境下では、非常に"感染力が強い"のです
今では人々はこの病気の管理に多少賢くなりました
患者を軽く覆い、窓を開けておくようにしていますし、昔に比べて、天然痘の「感染」という言葉を耳にすることも少なくなりました。
しかし、現代の人々は、熱病(猩々緋熱、麻疹など)の「感染」について、先人の天然痘での実践より、より豊富な知恵を持って対処しているのでしょうか?
"感染"についての一般的な考えは、患者よりも自身を大切にすべきということではないでしょうか? それは例えば、患者との時間を減らし、患者の要望に関心を持たない方が安全であるということではありませんか?
真の看護とは、予防を除き、感染を無視します。 患者に常に注意を払いつつ、清潔さを保つこと、開けた窓から新鮮な空気を取り入ることが、真の看護師が求め、必要とする唯一の防御です
患者を賢く、人道的に管理することが、感染症に対する最善の対策なのです。
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●病気とは、犬や猫のように分類される「個体」ではなく、互いに成長する「状態」なのです
病を、汚い状態・綺麗な状態のように「状態」として捉えず、私達が自身の身を置く諸条件に反して病を我々の制御下に置くより、寧ろ「自然からの親切な反応」としても捉えず、今我々がそうするように、犬や猫のような別個の「存在」として捉えるということは、持続的な過ちの中に生きていないでしょうか?
私は、科学に生きる男と、相反する女の間に生まれました。
そして、例として天然痘は、世界に自身を伝播させることになる最初の標本がかつて存在し、絶え間ない連鎖の中で、それは丁度最初の犬、或いは番いの犬達がいたように、天然痘もまた親がいなければ発生することはない、そう疑いなく信じて育ちました
それからというもの、私は自身の目で確認し、鼻で匂いを嗅ぎながら、天然痘が最初の患者から生じる様子を確認してきました。
閉鎖された部屋か、混んだ病棟、そのどちらか特定することはできませんでしたが、始まったことは間違いありません。
いえ、それ以上に、私は病気の始まり、成長、互いに移り変わる様子を見てきました。
さて、犬が猫に変化することはありません。
例えば、少し混んだ場所で発熱、そしてそれが持続することを確認し、それ以上になると腸チフスが生じます。更に放置するとチフスが生じます。
これら全て同じ病棟で起こったことです
この考えは、(病を存在と捉えるより)遥かに良く、真実的で、より実用的ではないでしょうか?
これまでの経験が示すように
病とは、名詞的な「実体」ではなく、"形容詞的"なのです。
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●何故子供は、麻疹やその他の病に罹患しなければならないのですか?
幾つかの一般的な意見はありませんが、これに関しては質問をするのに便利な時もあります。
例えば、子供は、「子供の伝染病」、「流行病」などと呼ばれているものに罹患しなければならないと考えられています。言い換えれば「麻疹」「百日咳」、そしておそらく「猩紅熱」に罹患する為に生まれるということです。
それは、歯を削るために生まれてきたというようなものです。
では,なぜ子供が麻疹に罹らなければならないのか教えてください。
それはあなたが仰るように、私達は子供を感染から守ることができないからです
他の子が麻疹になり、それを受け取る。そうすることが安全だとされているからです。
しかし、なぜ他の子供たちが麻疹に罹らなければならないのですか?
他の子供たちが麻疹になろうとも、なぜあなたの子供も罹らなければならないのですか?
清潔、換気、ホワイト-ウォッシュ、その他を徹底する家の健康を維持するルールを信じ、遵守するなら...ところで、子供は伝染病に罹患しなければならないという、貴方が暗黙の内に信じた、ただの意見の域を出ない一般論もこれもルールといえますが、
(※前者のルールを守れば)貴方の子供はそこから完全に逃れられる可能性が高いと思いませんか?