A city freed from smallpox
ワクチンの歴史について記事を投稿してきましたが、その凄惨な歴史ばかりをご紹介してきましたので、今回は趣向を変えて、実際に人類は天然痘に対してどのように打ち勝ってきたのか?その栄光の歴史をご紹介したいと思います
ナイチンゲールの記事より、当時の人々の衛生観念が現代とはかけ離れたものであるとご紹介しましたが、その衛生改革によって天然痘を一掃したという、クリーブランドのエピソードを翻訳いたしました。
19世紀後半、クリーブランドの天然痘対策として、保健委員会の責任者に就任したMartin Friedrich氏の報告書です
マーティン・フリードリッヒ ※多分
John Hodge医師の著書「The Vaccination Superstition」に収録されている報告書です
オハイオ州クリーブランドの保健委員会の責任者であるフリードリヒ博士は、天然痘から完全に解放された大都市の例を文明世界にもたらした実績がある。
彼がこの成果を出す上で、まず取り掛かったことは、予防接種の完全撤廃であったことが注目されるべきだ。
このような成果を生み出した方策は非常に重要なことであり、故に、この病を撲滅する上で実施されたその詳細が記された報告書をここに全編公開したいと思う。
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家中を消毒することで天然痘から解放されたクリーブランドの実績は喜ばしいことである。
1901年8月23日から、今時点の1902年4月1日に至るまで、この町で発生した例は一件もなく、7件外部から入ってきている。
1898年以来、この病はこの町で途切れることなく猛威を奮っていた。
我々は、この病に対抗する最も効果的な手段として、予防接種と検疫に依存していた。
しかし、我々の努力虚しく、毎年倍増していき、昨年の記録をまた繰り返す見込みとなっていた。 それは丁度、1900年の993例報告され、1901年1月1日から7月21日にかけて1223例にまで達したようにだ。
この日、私は17人の患者を抱える保健所の責任者として招集された。
1899年以来、私は市の職員として働き、クリーブランドで発生する天然痘の症例について調査と診断を行うことが仕事だった。
その間に、天然痘が発生した家庭にホルムアルデヒドで消毒を実施すると、その家庭には二度と発生しないことを発見した。
一方で、予防接種は色々と厄介な症状を呈することが多かった。
多くの場合、それは全く効いていなかった。
全症例の1/4が、ワクチーニ※ではなく敗血症を発症した。
※牛痘接種で一時的に生じる局所感染症
手首関節まで腫れあがった例もあり、銀貨ドルとほぼ同じ大きさの肉片や、2倍の厚さの肉片がすぐに落ちて来て、醜い、膿んだ傷を残した。多くの場合、その治療は3か月以上要した。
最終的に、予防接種後に破傷風が4例発生したため、当然人々は危機感を抱くようになった。
私はこれらの事実をジョンソン市長に伝え、予防接種を完全に中止し、代替として天然痘が蔓延した街のあらゆる箇所をホルムアルデヒドで徹底的に消毒し、清潔にすることを提案した。
市長は私の計画に賛同した上、必要な援助をしていただいた。
私は、消毒士の2つの分隊を結成し、この任務に医学生を優先的に採用した。
各分隊は20人で構成され、その隊長格に正規の衛生パトロール員が就任し、隊員は各々ホルムアルデヒド発生装置を装備させた。
この病の予兆を見せた街のあらゆる区画、家庭内の部屋の隅々に至るまで消毒を実施した。
雑菌の温床であろう冬服には細心の注意を払った。 この任務には3か月以上を要したが、結果は満足のいくものであった。
7月23日以降、7例報告され、最後の症例は8月23日であった。
その結果、クリーブランドは今や天然痘から解放され、最悪の感染都市から、最も清潔な都市へと生まれ変わったのだ。