3月24日
30数年前に刊行した『偶然の家族』という小説が、
先日、まさに30数年ぶり!に復刊!した。
最初は婦人公論別冊だったか、小説雑誌に掲載され、単行本→文庫本(30数年はどこから数えるのかはわからないが)、そしていつの間にか消えていた作品である。
ちょっと惜しい気もする小説だった。
ゲイの、それもかなりの年代の恋人同士が登場するということで、いろいろ言われた作品でもあった。
当時のことである。わたしにはゲイの友人たちが(男性でも女性でも)少なくなかったので、そして彼女たち彼らの存在が「色もの」風や「お笑い」的にまさに「扱われること」に腹が立って仕方がなかった。
わたしはやはり「普通」からはみ出さざるを得ないひとや、無意識にはみだしてしまうひとに共感する。これは今でも変わっていない。
『偶然の家族』
落合恵子/著 東京新聞出版/刊
1,540円(税込)
主人公のひとりは小学校に入ったばかりの滋という名の男の子。
彼という存在を通して、「家族とは?」、「みんな同じ苗字じゃないと、家族じゃないの?」、「結婚ってなに?」、「家族の条件とは?」という、永田町で21世紀の今も話題の、別姓や同性婚、家族の条件等をテーマとして描いたいものだ。
当時、この本を読んで、血縁ではなく、結縁の家族を作っていくと言っていた看護師(当時は看護婦さん)たちのグループ。LGのひとたちからも随分、「ありがとね」と言われた。
その中の、30代のファッション関係の男性カップル(と周囲が言うと彼らは異議申し立てをしたものだ)は、こう言っていた。
「あたしたち、『カップル』として生きているんじゃないのよ。ひとりひとりとして、自立して仕事をしているの。で、ひとりひとりであるお互いが惹かれ合い、プライベートな時間の中では、ふたり自身になるのよ、わかる?
そう、絵本の、何だっけ? そ、『あおくんときいろちゃん』の世界なのよ」 。
彼らのひとりは、去年、亡くなった。互いを尊敬し合い、愛し合った素敵なふたりだった。
この本を30数年ぶりに復刊してくれたのは、後書きでも記したように、東京新聞の女性記者のかた。
以前から知り合いの記者さんだった。
新聞社に入って、いろいろな壁にぶつかった頃、
「『偶然の家族』に、ほんと救われたんですよ」
彼女は今年の秋に定年を迎え、退職する。それだけ年月がたったのだ。
その最後の仕事としてこの本の復刊を立案し、実行してくださった。
「今、この時代に必要な本に思えたから」と。
幸せな本である。今回、多少加筆修正を重ねた日々の中で、
わたしも、この時代、この社会に、
「こういう視点、大事だよね」と改めて考えた本でもある。
どうか、よろしく。