金山町・三島町「県道237号線」 2016年 紅葉
今日は朝から天候に恵まれた。予定には無かったが、急きょJR只見線の列車に乗って、見頃を迎えている沿線の紅葉を見たいと思った。
昨日の地元紙の一面の中央に、只見線「第一只見川橋梁」を渡る列車の写真が掲載されていた。
おととい(10日)が冷え込み会津地方を中心に雪が降ったため、冠雪した山と紅葉のコントラストを映した、美しい写真だった。
私はこれを見て『乗りたい』と思い、晴れた今日、一週間ぶりの只見線の旅を決行した。
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の撮影スポットー / ー只見線の秋ー
急ぎ準備をして、郡山駅11時20分発の磐越西線・会津若松行きの列車に飛び乗った。
この時点で行き先の候補は二つ。
①「早戸駅」から「会津宮下駅」を自転車で走る
②只見線の不通区間「会津川口駅」から「只見駅」までを自転車で走る
どちらにしようかと思ったが、天気は下り坂で復路が暗くなるということで、喜久田駅を通過する頃に②を却下し、①に決めた。
会津若松から只見線の会津川口行きに乗車して、早戸(三島町)で降り輪行した自転車を利用。国道から県道237号線に入り、沿道から只見線や風景を見ながら走り、会津宮下(三島町)から再び只見線に乗って会津若松に戻る、というのが今日の旅程となった。
電車は紅葉の中を走った、磐梯熱海駅(郡山市)手前、ユラックス熱海の、山を模した白い建物が彩られた山々を背景に際立っていた。
中山峠を越え、会津地方に入り電車は猪苗代の平野を疾走。「磐梯山」山頂は雲を被っていた。
12:59、定刻に会津若松に到着し、急ぎ連絡橋を渡り只見線の4番ホームに移動。折り畳み自転車を輪行バッグ(約12kg)に入れて持っているので、結構難儀だった。
13:07、会津川口行きの列車は出発。土曜ということもあり、只見線の車内はまずまずの混みよう。BOX席にはそれぞれ乗客が居た。
郡山~会津若松間は「Wきっぷ」のため、会津若松~早戸間の切符は車内で車掌から購入した。
列車は快調に進み、会津平野から七折峠を登坂し奥会津地域に入って行く。
会津柳津(柳津町)のホーム側の山の斜面は綺麗に色づいていた。一週間前(11月5日)より明らかに濃くなっていた。
滝谷を過ぎてまもなく現れる滝谷川沿いの紅葉は見頃で、ほとんどの乗客が車窓に上半身を向け、釘付けになっていた。
会津桧原(三島町)を過ぎ「第一只見川橋梁」を渡る。こちらも、一週間前から紅葉が進み木々が色濃くなっていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧」
「第一橋梁」を通過する間際に、窓際を移動し、後方に向けシャッターを切った。逆光の影響を避けるためだったが、陽の光を浴びた木々の鮮やかな色合いが撮れた。
この写真、撮った時は気づかなかったが、あとで見てみると、川岸に何やら人影があり、カメラマンが二人居た事が分かった。
「第一只見川橋梁」は只見線随一の撮影スポット。今日は土曜日という事で、「ビューポイント」を始め、只見川沿いに多くのカメラマンが“最高の一枚”を求めシャッターを切っているだろうと思った。
会津西方を過ぎると、まもなく「第二只見川橋梁」を渡った。真っすぐ伸びる濃紺の只見川を取り囲む紅葉美。手前に架かる電線の存在を忘れてしまうほどの眺めだった。
「第一橋梁」と「第二橋梁」に美しさを与える“湖面鏡”は、東北電力㈱柳津発電所・柳津ダムが創り出している。
そして、次駅の会津宮下を出ると、東北電力㈱宮下発電所の調整池である宮下ダムが創り出す新たな“湖面鏡”が現れ、そこに映し出された紅葉を見る事ができた。
窓の曇りがなければ、より感動的になるだろうと思い、窓を開けてみたくなったが、車内温を下げてしまうのでその思いは封印した。
このあと、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。
下流側でカメラを構え、“ガタゴト”と橋桁を渡る音に変わってからシャッターに手を掛けたが、景色が開けた瞬間に陽の光が飛び込んできて、逆光で撮ることはできなかった。『何とかこの風景を』と思い、急ぎBOX席の向かいに移動し、後方を振り返り撮影した。慌てて撮った割には、“湖面鏡”に映り込んだ黄金色の山肌や界の沢の滝も収まるなど、良い構図で満足した。
14:45、列車は滝原トンネル、早戸トンネルを抜け、早戸に到着。私と一緒に、3人の乗客も降りた。乗り込む1人の若者もいた。
ここを利用するのは4度目。初めて複数の乗降客を見て、ここが誰もが利用する駅であることを改めて思った。
駅のホームには花壇があり、白と桃色のコスモスが綺麗に咲いていた。
ここからは自転車で移動。さっそく、輪行バッグから自転車を取り出し、4ステップで組み立てた。
今回もDAHON社製「Route」に乗って、一駅区間という短い旅だが、沿道の景色を楽しもうと移動を開始した。
坂になっている側道を登り国道252号線に合流し、振り返り早戸駅の全景を眺めた。この、駅とは思えない、景色と一体化した趣きが、やはり素晴らしいと思った。
右奥に見えるのが国道252号線の三島大橋。「第一只見川橋梁」と同じく三島町の特産品「桐」の花と同色の薄紫になっているが、紅葉のこの時期が一番味わい深い感じがした。
国道252号線を進み、早戸温泉の「つるの湯」を見下ろし「竹のや旅館」の前を過ぎ、右折。沼沢湖に向かう町道に入り、只見川に架かる「早三橋」から景色を眺めた。青空の下、日向と日陰で色合いが、複雑な山の稜線とともに重厚な景観を創り出していた。
上流(只見方面)の風景を見る。右(北)岸の切り立った岩肌と紅葉の組み合わせが美しかった。左(南)岸に見える集落は金山町雨沼集落。
下流(会津若松方面)の風景。
只見川右岸には、廃止された東北電力㈱沼沢沼発電所(1952(昭和27)年~2002(平成14)年)の跡地と放流口が見えた。沼沢沼発電所は日本初の純揚水式水力発電所、建設当時は東洋最大規模を誇っていた。現在は第二沼沢発電所がその役割を引き受けている。*参考:水力ドットコム「東北電力 沼沢沼発電所跡」URL:http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/numazawa/numazawa.html
早三橋を渡り金山町に入り、さらに自転車を進めた。
急な坂道のカーブを抜けしばらく進むと、この沼沢沼発電所の水圧鉄管跡前にたどりついた。
見るのは三度目。冬、夏、そして今日、秋。観光施設として活かせないものか、と思わずにはいられない歴史と威容をこの水管跡は持っている。地元(金山町)にはその案があるのだろうか。気になる。
また、自転車を進める。
しばらくすると「県道237号線」にぶつかった。今日の旅の中心となる道路。「第三只見川橋梁」の“ビューポイント”から国道252号線との十字交差点付近まで、只見線と接して走る道だ。
この県道237号線は「小栗山宮下線」で、(三島町)宮下地区の中心部を通り抜け国道252号線に接続し、反対の(金山町)小栗山地区では先日私が通った国道400号線に接続している。冬季閉鎖されるため、福島県宮下土木事務所の“道路情報”掲示板が設置されていた。
右折すると沼沢湖に行くが、今回は左折し、坂を下った。
下り坂の右カーブを超えると、正面に施設が現れた。
「東北電力㈱第二沼沢発電所」と正面には標記されていたが、門の表札を見ると屋外開閉所なっていた。発電所本体ではないようだった。
また自転車を進めると、前方にトンネルが見えた。左前方には只見川沿いにコンクリートの構造物が見えた。
坂をくだり、沼沢トンネルに入った。
この沼沢トンネルの構造が珍しく、全体がV字で中央付近が低くなっていた。トンネルに入ると、下り坂の傾斜が増し、前方に二ヶ所の“分岐”が見えてきた。
分岐の先には二つの横抗があった。
右(南)側には「東北電力 第二沼沢発電所」、左(北)側には「東北電力 第二沼沢発電所 放水口」との銘板が掲げられていた。沼沢トンネルを入る前、左手に見えたコンクリート構造物はこの放水口だったようだ。
私には事前の情報が無く、二つの横坑の役割が分からないまま、坂を登り沼沢トンネルを抜けた。
帰宅後に調べてみると、この右(南)側の横坑が何なのかが分かった。「東北電力㈱ 第二沼沢発電所」の入口だった。そして、地図を見て驚いた。なんと「第二沼沢発電所」はこの入口から“地続き”の地下にあったのだ。
この南側横坑の先が「第二沼沢発電所」になっていて、間口 約25m・高さ 約50m・奥行 約100mの空間が広がっているという。知る人ぞ知る施設、ということだろうが驚きとともに、もっと周知してもよい稀有な施設だと強く思った。
この「第二沼沢発電所」は「会津地域 産業観光スポット」になっておりホームページにも詳しく記載されていた。*参考:会津若松市産業資産利活用推進協議会会津地域産業観光ガイド 産業観光スポット「東北電力㈱第二沼沢発電所」
一見変哲のない沼沢トンネルの内部に、これほどの施設があろうとは思いもよらなかった。“魅せる事のできる”産業施設だと、改めて思った。*参考:科学技術振興機構 サイエンスチャンネル 夢をつむぐ人々(72) 「水力発電を守る 東北電力発変電課員」(2002年)
「東北電力㈱ 第二沼沢発電所」施設見学も予約を受け付けているようで、次の機会が訪れたいと思った。
沼沢トンネルを抜けて振り返ると、右隅に、あまりにも小さな標杭が見えた。
“妖精界入口”を示していた。金山町は“妖精の里”とPRしていて、「妖精美術館」がある沼沢湖への入口となっているこの沼沢トンネルに、“妖精界入口”の標杭が設置されたのだろうか。
少し自転車を進め、右カーブで振り返ると、冬季は積雪の影響で通行止めになる際に閉まるゲートが設置されていた。
魅力的な沼沢トンネルを後にして自転車を進めた。まもなく、宮下ダムが作る“ダム湖”(実際は只見川)が見えた。
さらにペダルを漕ぎ、スノーシェッドを抜けると傾いた陽に照らされた鮮やかな紅葉が目に飛び込んできた。
また、しばらく進むと、前方に自動車が数台停まっていた。近づくと全てが県外ナンバーだった。
15:26、幅の広いカーブの突端の“スペース”に到着。ガードケーブルの向こうにカメラの三脚が並べられ、1人のカメラマンが何かに照準を合わせていた。
ガードケーブルに近づき、見下ろしてみた。すると只見線の「第三只見川橋梁」が見えた。この三脚群は、「第三橋梁」を渡る列車を撮影するためのものだった。
「第三只見川橋梁」、只見線(当時、国鉄会津線)の延伸工事でつくられた(1953(昭和28年)完成、1956(昭和31)年供用開始)、上路式トラス橋(正式名称は「単線上路式プレートガーダー1連 + 単線上路式3径間連続ワーレントラス」)。 *参考:Wikipedia 「第三只見川橋梁」
アーチ式の「第一橋梁」との構造はもとより、近距離で見下ろす形で列車が撮影できるという違いがある。
「第一橋梁」が開放された自然美、「第三橋梁」が凝縮された自然美とも言え、そこに同じ列車が通過し風景を構成する。豊かな自然を背景に、多様な橋梁を持つJR只見線の魅力の一つだと思った。
この「第三只見川橋梁」は立地は三島町だが、この「県道237号線」沿いの撮影場所は金山町にある。三島町の「第一橋梁」の「ビューポイント」は整備され案内板もあったが、ここに案内板の類は何も無かった。駐車スペースもなく、自治体が違うため観光地として整備しづらいのは理解できるが、「第三橋梁」が持つ魅力を考えるともったいない気がした。
金山町と三島町、行政の垣根を超え、“只見線の観光スポット”という共通の財産を観光客にPRし、観光客が水平展開できるPR法・誘導法などを考えてもらいたいと思った。
金山町側の「第三只見川橋梁」“ビューポイント”を出て、自転車を進めた。
「界の沢」に架かる短い「界橋」を渡ると三島町に入り、坂を下ると、また人影があり、県外ナンバーの車が停車していた。ここからも「第三橋梁」を撮影できるのだろう、と思った。
さらに、進んだ。下りだから快適だった。まもなく、宮下ダム湖が近づいてきた。
只見線の列車からの車窓もよいが、“生”で見る景色も良かった。この山の中腹には国道252号線が走り、何基ものスノーシェッドが設置されている。わずかに見える岩肌は、「天狗岩」の一部だと思われた。
宮下ダムが創り出す湖面鏡。只見線の鉄路が直近を走っているのがよく分かった。
下り坂が終わる頃、「県道237号線」がクランクする場所から、短い橋(第一左靭橋梁)が見えた。ここは撮影スポットになっていて、見事な構図の一枚が得られる。
只見川電源流域振興協議会が発行している「奥会津の旅」という小冊子の表紙はここから撮影された一枚だ。
自転車を進めると、宮下ダムに到着。ダムの水は水路を通って、500mほど下流にある東北電力㈱宮下発電所に送られている。只見線はすぐ脇を走っている。
宮下ダムの躯体。1941(昭和16)年着工、1946(昭和21)年運用開始の越流型直線重力式コンクリートダムだ。 *参考:水力ドットコム「東北電力㈱ 宮下発電所」URL:http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/miyasita/miyasita.html
近くには宮下ダム関連工事で亡くなられた方々の慰霊碑(1959(昭和25)年4月建立)があった。春は桜に包まれる。
ここで、列車の出発時刻が気になった。会津宮下駅発が15時54分で、現在は15時42分。ぎりぎりの時間だ。ここからはスピードを上げて自転車を進めた。
国道252号線との交差点を抜け、三島町のメインストリートを駆け抜けた。 10分ほどで会津宮下駅に到着。無事に「県道237号線」を辿る旅が終わった。
会津宮下駅の駅頭には、次から次に大型の観光バスがつけられていて、騒がしかった。
バスからは、ぞろぞろを人が降り、駅に吸い込まれ、ホームに向かっていた。
私も、急ぎ自転車を折り畳み、輪行バッグに入れてホームに向かった。
15:54、出発時間に列車が入線した。2両編成だが全ての乗客を乗せる事ができるだろうか、と不安になった。
ホームにあふれていた観光客が次々に列車の中に入ってゆく。私は最後に乗り込んだ。何とか無事に全ての乗客が乗車した。
列車は定刻を5分程遅れて会津宮下を出発。この観光客、おそらく列車から「第一只見川橋梁」の景色を見るためのツアーではないかと思った。
発車してまもなく「第二只見川橋梁」を渡るとき、小さな歓声が車内で上がり、会津西方を出て、名入トンネルを通過し、「第一只見川橋梁」を渡り始め景色が開けた瞬間、車内には大きな歓声があちこちで上がった。
また、「第一橋梁」を通過した後は、車内には感想を言い合う姿が見られた。
その中で『窓が曇って、よく見る事ができなかった』という感想が複数聞かれた。この混雑、人いきれで窓が曇ってしまったのだろう。残念なことだ思った。せっかく来て、天候も悪くはなかったのに見られなかったのだ。
これは、技術的に解決できると思う。外窓の清掃だけではなく、内窓に結露防止の処置をすれば、このような悲劇は回避できたはずだ。観光路線「只見線」として地位を確立するために、行政も費用分担などを念頭にJR東日本と協議すべきだと思った。
列車は会津桧原、滝谷、郷戸の各駅を過ぎ、予想通り、ツアー客は4つ目の会津柳津で降り、待ち受けていた観光バスに乗り込んでいった。そして、列車内は静かになり、座席に余裕ができた。
ここで、私は車掌から切符を購入することができた。
会津坂本から七折峠に入り、塔寺を出て下りきると、列車は会津平野に入り進んだ。日が暮れ始め、月が薄群青の空で淡い光を出していた。
列車は会津平野を快調に駆け抜け、阿賀川(大川)を渡河した後に住宅地に入り、終点・会津若松には定刻をわずかに遅れて到着した。
私は、18時12分発の磐越西線の電車に乗換えて、自宅のある郡山に帰った。
今回は、初めて『そうだ只見線に乗ろう』と企画した思いつきの旅だったが、天候と景観に恵まれ充実したものになった。
既存施設とは言え、「県道237号線」の「沼沢トンネル」内に入口を持つ「第二沼沢発電所」の存在を初めて知り、今後の楽しみもできた。
只見線が自然美だけではなく、その自然の力を利用した歴史ある発電施設を多く持っているという教育的価値が実感できる路線であることを、改めて知った良い旅にだった。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室
「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。