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Oimachi Act./おい街アクト

昭和の珍現象を回顧してみる

2021.03.25 03:00

1960年初頭はアメリカやイギリス、フランスのヒット曲を日本人が日本語で歌ことに対して、あまり違和感はなかったし、日本語で歌っても"歌"として通用する世界が日本にはあったように感じる。


日本人が英国の歌詞で唄を歌う方が、俗に言う"カッコ付けて"とか、大して英語がしゃべれないのに"生意気だ"とか、聞く側を"バカにしている"とか、評価が厳しかった。

そんな時代が一変してしまうのは、ビートルズやストーンズが日本でも大ヒットしてからだ。


本場のロックを日本人では出来ない、という烙印が押されたようなものだ。

それ以前は、日本人向けに米国の歌手が日本語で歌う"唄"がヒットしまくった。

中でもその筆頭にあがるのが、コニー・フランシス。

1938年12月生まれ。だから今は82歳。

11歳の時にショーに出演。1955年に歌手デビュー。

1960年代前半にはヒット曲を連発させた。

コニー・フランシスが日本でウケたのは、英語の歌詞の歌と、日本語の歌詞をつけて歌う唄の両方があり、それも20曲以上もシングルやアルバムで発表したことが、日本のファンには珍現象であったこと。


有名な曲は

「ボーイ・ハント」「夢のデイト」

「大人になりたい」「かわいいベイビー」

「ヴァケーション」「想い出の冬休み」

「ダンケシェーン」…。

これらの唄は日本では弘田三枝子や中尾ミエ、藤ゆかりなどが当時歌う。

ラジオからはコニー・フランシスの日本語の唄が流れる。

相乗効果もあっただろうし、ティーンに受ける題名と歌詞の内容が、戦後の日本に"アメリカいいナ"旋風を巻き起こしたからだろう。


コニー・フランシスはイタリア系で、日本語をローマ字で読み覚えることが出来たので、日本語がうまく聞こえたことがあげられる。

これを企画したレコード会社は笑いが止まらなかっただろう。

ペギー・マーチ、ジョニー・ティロットソン、ジョニー・ソマーズ、ガス・バッカスらも、日本語で歌い、ヒット曲を作った。


65年になると、もうビートルズやストーンズ、アメリカのフォーク・ロックの波に前記した歌手は押し流されて消えていった。

ディランが日本語で歌ったらファンが嫌になるだろう。


ミュージシャンと歌手の色分けは、こんなところでも判別できる、ということだ。

クィーンやポリスも日本人受けの為(?)か、

歌詞の中に日本語を入れたりしたそうだが

、デーンと構えて欲しいし、日本人にそんなサービスは必要ない。

K・POPでも日本語を使って歌ったりしているが、余計なことはしないで純粋にK・POPを歌った方が評価は上がるのに。



さて、コニー・フランシスは当時、甘~い声で、日本の青少年に"色気"というものを唄を通じて教育したように感じる。


この色気に日本の歌手は"反発"して、清純ぽく歌った、と伝えられる。

参考までに「ヴァケーション」はコニーよりも弘田三枝子の方がシングル盤の売り上げは高かったのだ。


補足するとコニー・フランシスは声で想像するほどの"純"なイメージはなく、男を狂わせるヤリ手の熟女、というイメージを写真を見て受けた。