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山頭火の日記 ㉟

2018.03.24 15:03

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946402094&owner_id=7184021&org_id=1946433089 【山頭火の日記(昭和9年11月25日~)】 より

十一月廿五日 曇、雨となる。

誰か来さうな。……うすら寒い、火鉢を抱いて漫読。麦飯と松葉薬とが(消極的には酒を飲まずにゐたことが)胃の工合をほどよくしてくれた、ここに改めてお百姓さんと源三郎君とに感謝を捧げる。御飯を炊いてゐるところへ、ひよこりと樹明君、要件を持つて山口へ出かけるから、いつしよに行かうといふ、もう誰も来さうにないし、歩くのは好きだし、二人ではアブナイと思はないではなかつたが、一時の汽車で出かける、要件をすまして、周二居に誘はれて罷り出る、いろいろ御馳走を戴いた、酒もうんと戴いたことはいふまでもない、暮れてお暇乞する、さてそれからが例によつて例の如しだつた、遺憾なく梯子酒根性を発揮した、……カフヱーからカフヱーへ、おでんやから、おでんやへ、車動車から自動車へ、……どしやぶりの中を山口から小郡まで飲みあるいた、あまり銭は費はなかつたけれど、飲んだね、たしかに飲んだね……それでもTちやんに送られて、恙なく、ひよろひよろと帰庵した、一時を過ぎてゐたらう。樹明君に銭を費はせたのは、Tちやんに後始末をさせたのは気の毒だつた、こらえて下さい。久しぶりの酒だつた、めづらしい梯子酒だつた、暫らくは飲むまい、飲みたくもない。今日の珍談は、湯田で大行司の御神酒を頂戴したことだつた、コツプ酒一杯、串肴一本。周二君のよさがよく解つた、あの純真がいつまでも失はれないやうに、世間の荒んだ空気があの家庭にはいらないことを祈る。

 櫨がまつかで落葉をふんでちかづく音で

   偶作

 ストーブもえる彼女は人妻

┌────────────────────┐

│山行水行                        │

│  雑草の中                      │

│ともかくも生かされてはゐる雑草の中       │

│  旅から旅へ                     │

│燕とびかふ旅から旅へ草鞋をはく         │

└────────────────────┘

 バスがまがつてゆれて明るいポスト

 線がまつすぐにここにあつまる変電所の直角形

┌────────────┐

│   改作            │

│ 山あれば山を観る      │

│ 雨の日は雨を聴く      │

│ 春、夏、秋、冬        │

│ あしたもよろし        │

│ ゆふべもよろし        │

└────────────┘

十一月廿六日 曇、雨。

二時間も睡つたらうか、眼が覚めたのですぐ起きる、六時のサイレンが鳴つて、やうやく明るくなつた。樹明君がふらふらしながら帰つて行く、その後姿を見送りながら、家庭といふもの、職業といふもの、酒と人生といふやうなものについて考へるともなく考へる、……私は不思議にしやんとしてゐる。樹が雫する、屋根が雫する、……庵はまたいつものしづけさにかへる、草の葉の濡れた色、国道を走る自動車の音、……しづかなるかな。柚子味噌をこしらへる、去年の事を思ひだす、酔うて柚子釜を黒焦げにして井師に笑はれたが。終日就床、読書反省。しようしようとしてふりそそぐ雨、その音はわびしすぎる。あれだけ食べて、あれだけ飲んだ昨日の今日だから、さすがに胃の工合がよろしくない、自業自得、ぢつとしてゐる外ない。昨日の麦飯をあたためて食べる、昨日の御馳走はむろんうまかつた、今日のぬくめ飯もありがたい。自己を欺く勿れ、――自分に嘘をいはせな生活、酒を愛し、酒を味はひ、酒を楽しむことは悪くないが、酒に溺れ、酒に淫することは許されない。だらしなく飲みまはるくだらなさ! 私が生かされてゐる恩寵を知つてゐるかぎり、私はそれに対して報謝の行動をしなければならないではないか。ここにかうして寝てゐる私にも時代の風波はひしひしと押し寄せてくる、私は私があまりに退嬰的隠遁的であることを恥ぢる、時としてはぢつとしてゐるに堪へないことがある、そして……ああ。……

  「酒と生活と貧乏」

私が若し破産しなかつたら、貧乏にならなかつたら、そして酒が安からたら――私は今日まで生き伸びてゐなかつたらう、そして酒の味も解らなかつたらうし、句も作れなかつたらうし、仏道にも入らなかつたらう。幸不幸はもののうらおもてである、何が幸福で、何が不幸であるか、よいかわるいか、ほんたうかうそかは、なかなかに知り難い。

  小春日――(雑草点描)――

私は晩秋初冬が好きだ。小春日のうららかさは春ののどけさ以上である。草のうつくしさ、萠えいづる草の、茂りはびこる草の、そして枯れてゆく草のうつくしさ。雑草! その中に私自身を見出す。

十二月五日 晴、疲労、倦退、悔恨。

やつぱり昨夜の酒はよくなかつた、私はさういふ酒を飲んではならない。……

入浴して不快を洗ひ落す。風のさわがしい一日だつた、私はしづかに落ちついてゐた。ちしや苗を植ゑつける、ふるさとをたべる砂吐流を思ひだして、ハガキを出す。

 松葉ちる石に腰かける

 藪から出てくる冬ざれの笹をかついで

 落葉ならして豆腐やさんがきたので豆腐を

【悔恨と懺悔】

この日の日記の表書きに、「疲労、倦退、悔恨」とあります。山頭火が、俳句の大家にも禅の高僧にもならなかったということが、詠み人の心をとらえます。それは、文字通り「悔恨と懺悔」の生涯でした。

十二月二十日 晴、そして曇。

胃は重いが頭は軽い。どうしたわけか、昨日も今日も郵便が来ないのでさびしいことかぎりなし。句集草稿をやうやく大山君に送ることができたので、のうのうして炬燵で読書。どうも腹工合がよろしくない、腹工合のよろしくないほど飲み食ひするとはあさましい! しかし、麦飯と梅干と松葉粉とがその腹工合をよろしくしてくれた。ここに寝てゐて安養浄土を感じてゐる。

 日照雨ふる朝からぽんぽん鉄砲をうつ

 晴れさうな竹の葉の露のしたたる

   緑平老に

 あなたのことを考へてゐてあなたのたよりが濡れてきた

   そこらの嫁さん

 麦まきもすんだところでお寺まゐりのおしろい塗つて┐

 鋪装道路の直線が山へ、もみづる山山        ├(雑草)

 師走の空のしぐれては月あかり             ┘

 ハガキ一枚持つて月のあるポストまで

 あるくともなくあるいてきて落葉する山

【ハガキ一枚持つて月のあるポストまで】

この日の日記に、「ハガキ一枚持つて月のあるポストまで」の句があります。

十二月廿六日 晴、冬ぐもり、晴。

食慾がない、昨日の酒がまだ一升残つてゐるのに飲みたくない、弱くなるときにはかうも弱くなるものかと嘆きたくなる。……午後、約束通りに山口の周二居へ出かける、君の入営送別句会を催ほすといふのである、句会といつたところで、家族の方々と会談して名残を惜しまうといふのである。途中湯田温泉に浸る、飯蒸器を買ふ、温泉はよいかな、そして飯蒸器はありがたいかな(こんな器具でも手持のそれとの間にはいろいろ改良された個所がある、日進月歩といへば大袈裟だらうけれど、時々刻々進んでゆきつつある時代を感じないではゐられない)。糸米あたりの山々を眺めては休む、周二居についたのは五時前、酒はお断りしてライスカレーを頂戴する、暮れて樹明君も来会、奥さんやお嬢さん方もいつしよに句作する、そして最後は御馳走になる、まことにしめやかな会合ではあつた、私も甘やかされて健の話をした、息子自慢が出来るオヤヂではないのに! やうやく最終のバスで帰庵した、折からの月がまともに庵いつぱいのひかり、寝るには惜しいやうだつたが、ぐつすりねむれた。人の情にうたる私だつた! 今夜、周二居で、壺に してあつた寒菊の白さがいつまでも眼に残つた。

 こんなところに師走いそがしい家が建つ

 枯れつくして芭蕉葉は鳴る夜の片隅

 遠く鳥のわたりゆくすがたを見おくる

 寝しな水のむ山の端に星一つ

 あすはお正月の御飯をあたためてひとり

【寝しな水のむ山の端に星一つ】

この日の日記に、「寝しな水のむ山の端に星一つ」の句があります。また山頭火の句に「けさはよい日の星一つ」があります。見上げる空に星一つ、輝きます。ふと、ひとり旅の幸せを感じます。

【あすはお正月の御飯をあたためてひとり】

また、「あすはお正月の御飯をあたためてひとり」の句もあります。御飯についての句ですが、ほかに「こころすなほに御飯がふいた」「よい朝のよい御飯が出来た」「けさの御飯はようできました観音さまへ」「お粥のあたたかさ味の素一さじ二さじ」「雪のしたたる水くんで来てけふのお粥」「水の音、飯ばかりの飯をかむ」「いただいて足りて一人の箸をおく」などがあります。おかずのない時も、しばしばあったと思われます。山頭火はそれでいても、このように御飯を詠っており、彼の生き様を見せてくれます。

十二月卅一日 雨。

昭和九年、一九三四年、私の五十三才の歳もいよいよ今日限りである。……まことにおだやかな年の暮なるかな。六時のサイレンと共に起きて、あれやこれやと一人の節季。食慾がだんだん出てくるやうだ、うれしい。Slowly and Steadily. 何事もこれでなければならない。午前、樹明君来庵、餅と輪飾とを持つてきてくれる、一本つける、私は飲めないから、彼の飲みつぷりを観てゐるだけ、すまないと思ふ。……病めば嗜好もかはつてくる、好きなものが嫌になつたり、嫌なものが好きになつたり。樹明君から古いゴムの長靴を貰つて、それを穿いて、ぼとりぼとりと街へ出かける、端書と石油と、そして年越そばを買うて戻る。午後、敬治君来庵、餅を貰ふ、餅ほどうまいものはないと思ふ、日本人と餅! 二人で一杯やつて、炬燵でしめやかに話す、かはればかはる二人であつた。後からまた来ます、帰つて子供の世話をして来ませう、ゆつくりここで年を送り年を迎へませうといつて敬治君は帰つていつたが、それきり来なかつた、私はひとりしづかに読書しつつ除夜の鐘の鳴るのを待つた。……私は期待しない、明日よりも今日である、昨日よりも今日である、今の今、これのこれが一切だ。今日、或る店でハガキ二十枚買つたら、息子が間違つて二十一枚くれた、当然その一枚は返した、そして私は愉快だつた、それは――小さな善を行つたといふよろこびでもある、受取つてはならないものを返したといふ快さでもある、しかし――私は偶然を願望しない(幸も不幸も)、人生には偶然らしいものがありがちだけれど、私は偶然を受取らない、人間の生活は当然に向つて進展しつつある、あらねばならない、必然を受納する、しなければならない。除夜の鐘が鳴りだした、私は焼香念誦した、ああありがたい年越ではある。

 昭和九年もこれぎりのカレンダー一枚

『最後の晩餐』

一家没落時代の父を想ひ祖母を想ふ。