山頭火の日記 ㉛
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【山頭火の日記(昭和9年2月4日~、其中日記五)】より
『其中日記』(五)
おかげさまで、五十代四度目の、
其中庵二度目の春をむかへること
ができました。 山頭火拝
天地人様
【行乞記(五)】
『行乞記』(五)には、昭和9年2月4日から昭和9年3月20日までの日記が収載されています。
二月四日
明けてうららかだつたが、また曇つて雪がふりだした。身心不調、さびしいとも思ひ、やりきれないとも感じたが、しかし、私は飛躍した、昨夜の節分を限界として私はたしかに、年越しをしたのである。朝、冷飯の残りを食べただけで、水を飲んで読書した、しづかな、おちついた一日一夜だつた。
第三句集『山行水行』に挿入する語句二章
(庵中閑打坐) (一鉢千家飯)
山があれば山を観る 村から村へ
雨のふる日は雨を聴く 家から家へ
春夏秋冬 一握の米をいただき
受用して尽きることがない いただくほどに
鉢の子はいつぱいになつた
【山あれば山を観る~】
山頭火の句集『草木塔』には、「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」とあります。山口市小郡東津上の東津河川公園には、この句と「今日の道のたんぽぽ咲いた」「咲いてこぽれて萩である」「寝ころべば青い空で青い山で」「雑草にうずもれてゐるてふてふとわたし」「曼珠沙華咲いてこがわたしの寝るところ」「ふるさとの山はかすんでかさなつて」などの句碑があります。
二月十三日
晴れてあたたか、曇つてあたたか、ぢつとしてゐても、出て歩いてもあたたか。樹明君を訪問して、切手と煙草と酒代とを貰つた。倦怠、無力、不感。夜を徹して句作推敲(この道の外に道なし、この道を精進せずにはゐられない)。
はれてひつそりとしてみのむし
火鉢ひとつのあたたかさで足る
なむからたんのう御仏の餅をいただく
ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
汽車のひびきも夜あけらしい楢の葉の鳴る
火の番そこから遠ざかるふくらう
【なむからたんのう御仏の餅をいただく】
この日の日記に、「なむからたんのう御仏の餅をいただく」の句があります。年中空腹をかかえている山頭火にとって、「御仏の餅」は見過ごせぬご馳走でした。それに手を出すことに、多少の気の咎めがあったとしても、そこは大慈悲にすがって、生身の飢えを満たすことが、御仏をかえって喜ばすものと勝手に解釈して、むしろ、いそいそと手を伸ばしたのかもしれません。
二月十八日
雨、しとしとと春めいて降る、出立を延ばした。午後、風呂へいつた留守に樹明来、ハムを持つてきたといふ、一杯やらずはなるまいといふ、まことに然りで、一杯やる、おとなしく別れる、めでたし、めでたし、ああめでたし。餅をたべつつ、少年時代に餅べんたうを持つて小学校に通うたことをおもひだす、餅のうまさが少年の夢のなつかしさだ。アルコールのおかげで、ぐつすり一ねむり、それから読書。
風の中の変電所は午後三時
風ふく西日の、掘りつづけてゐる泥蓮
風をあるいてきて新酒いつぱい
寺があつて墓があつて梅の花
風が出てきて冬が逃げる雲の一ひら二ひら
水底しめやかな岩がある雲のふかいかげ
ちかみちは春めく林の枯枝をひらうてもどる
夜あけの葉が鳴る風がはいつてくる
明日から、東行前記ともいふべき
(北九州めぐり) 旅日記
二月十九日
晴、寒い、いよいよ出立だ。樹明君が、約束の珍品を持たせて寄越す、五十銭銀貨弐枚を酒代として、そして旅の餞別として地下足袋、かたじけなく頂戴して歩きだしたことである。まことに久しぶり行乞の旅である、絡子をかけることを忘れたほど、あはてていそいだ(これは禅坊主として完全に落第だ!)。峠はよいかな、よいかな、昔の面影が十分に残つてゐる、松並木がよい、水音がよい、風もわるくない。……風は吹いても寒くはなかつた、昼飯はヌキにして酒一杯と饅頭五つ、下手な両刀つかひだ! 厚狭まで歩いて、それから汽車で長府まで、そしてまた歩いて、黎々火居に地下足袋をぬいだ、君はまだ帰宅してゐない、日記をつけたり本を読んだりして待つ、黎々火居の第一印象はほんとによかつた、家も人も何もかも。今日は何故だか労れた(六里強しか歩いてゐないのに)、老のおとろへもあらう、なまけ癖もあらう、出発がおくれたためもあらう、風がふくからでもあらう(風は孤独者には禁物だ)、待ちきれなくて、勧められるままに、ひとりで酒をいただき餅をいただく、酒もうまく餅もうまい、ありがたいありがたい。やうやくにして黎君帰来、しんみり飲んで話しつづける、酔うて労れて、ぐつすり寝る。……返事をしない男! 厚狭駅の待合室で、新聞を読んでゐる男に読まして下さいといつたら、彼は黙つてゐた、物をいふことが惜しいといつた風に!
食べもの食べつくし旅へでる春霜
これから旅も春風のゆけるところまで
春がきた水音のそれからそれへあるく
梅もどき赤くて機嫌のよい頬白目白
ここからは長門の国の松葉ふる
誰もゐない筧の水のあふれる落葉
岩を白う岩から寒い水は走る
ここで泊らうどの家も餅がほしてある(改作)
春が来たぞな更けてレコードもをんなの肉声
追加二句
灯つてまたたいてあれはをなごや
春寒いをなごやのをんなが一銭持つて出てくれた
【東上の旅に】
山頭火はこの日から九州へと旅たち、その足で東上の旅にでかけます。
二月二十日
五時すぎにはもう起きた、お雑煮はいつでもおいしい、お辨当まで貰つて、いつしよに出立、朝ぐもりの寒さだ。黎君は汽車で局へ出勤、私は海岸線を下関へ。関門風景はよろしい、なつかしい、ゆつくりと歩く、ぼつりぼつり句もできる、おもひでの感慨多少。長府はまことにおつとりとした遊園地だ、享楽場ではないが、とにかく、ブルヂヨアの土地だ、プロレタリヤの土地でもあるが。下関へ着いたのは九時だつた、唐戸市場を見物する、どうしても行乞気分になれない、あちこち歩きまはるだけ。下関といふところは、何と食べ物の多いこと! 食べる人の多いこと! かうして歩いてゐると、私といふ人間がどれだけ時代錯誤的であるかがよく解る、世間と私との間にある距離を感じる、しかし、私の悩みはそこにはない、私の悩みは、なりきれない――何物にもその物になりきりえないところにある。花屋さんがもう、菜の花を売つてゐる、八百屋には蕗の薹。街の老楽師! なんとみじめな。午後、地橙孫居を訪ねて閑談二時間。四時、唐戸から船で大里へ、大里から荒生田まで電車、公園の入口でひよつこり星城子君にでくわす、よかつた。入浴、身心ややかろし、酒、飯、話。……同道して井上さんを訪ねる、また酒だ、シヤンもゐらつしやる。酔うて戻つて熟睡、大鼾であたりをなやましたらしい。井上さんがトンビを供養して下さつた、私にはよすぎるほどの品である、トンビはむろんあたたかい、井上さんの人情と共に。
トンビでもほしい夜のトンビをもらつて着てゐる
帰途の一句である。
朝はつめたい煙草も分けてさようなら
なかなか寒い朝から犬にほえられどうし
崖にそうてきて曲れば蘭竹二株の早春
汽笛(ふね)とならんであるく早春の白波
昇る日は春の、はいつてくる船出てゆく船(関門風景)
日が出るとあたたかい影がながう枯草に
早春のさざなみが発電所の石垣に
投げて下さつた一銭銅貨の寒い音だつた
春もまだ寒い街角で売る猪の肉で
きたない水がちろちろと寒い波の中へ(御裳川)
そこらを船がいつたりきたり岩に注連をかざり(壇ノ浦)
鴎が舞へば松四五本の春風(巌流島)
あの娘(こ)がかあいさうでと日向はぬくいおばあさんたち
春めいた風で牛肉豚肉馬肉鶏肉
こんなに食べる物が食べる人々が
みんな生きねばならない市場が寒うて
背中流してくれる手がをさなうてぬくうて
星城子居即事
冬木をくぐつて郵便やさんがうらから
かけごゑかけてかつぎあげるは先祖代々の墓
よい道がよい建物へ、焼場です
【よい道がよい建物へ、焼場です】
この日の日記に、「よい道がよい建物へ、焼場です」の句があります。焼場(やきば)とは火葬場のこと。今日も行乞の旅を続けている山頭火。ごつごつした田舎道を抜ければ、思わず整った広い道が目の前に現れます。ふと道の先の方を見やれば、細い煙突から煙がたなびく立派な建屋が、そこは死者が荼毘に付される焼き場でした。ここでそういう場に居合わせたのも何かの巡り合わせであろうと、道脇に歩を止めてそっと手を合わせて念仏を唱えるのでした。考えようによっては、肉体から解き放たれ魂が旅立っていく場が焼き場なのです。だからこそこの句は、明るさが垣間見える調子をもっています。
二月廿一日
春光うららかである、満ち足りた気持である。星城子君我慢不出勤、自から称して緑盗人といふ、いつしよにぶぶら歩いて到津遊園鑑賞。動物園はおもしろい、獅子、虎、熊、孔雀、兎、鶴、等々には好感が持てるが、狐、狸、猿、鸚鵡、等々には好感が持てない、殊に狐は悪感をよぶばかりだ。七面鳥はおしやれ、鳩はさびしがりや、鶴はブルヂヨア、いやさインテリゲンチヤ、鸚鵡はどうした、考深さうに首をかしげてゐる!総じて、獣よりも鳥が好き、人間は人間にヨリ遠いものほど反感をうすらげますね。星城子なげくところの犬の墓を見た。顔は生活気分を表象する、私の顔の変化についての、星城子君の言説は首肯する。ちよつと四有三居訪問、「一即二」の額がまづ眼についた、井師がよく出てゐる。それから小城さんの白雲閣を襲ふ、赤ん坊が生れてゐる、おめでたい、主人がすゝめられるままに、二階で飲む、牛肉がうまいやうに芋がらもうまかつた、酒のうまさは握飯のそれに匹敵した。星城子君は飲めないから飲まない、山頭火君は飲めるから飲む、などゝ、小城さん思つたかどうだか。……暮れてお暇乞する、次良さんの事を話しながら戻つた、二郎さんは不幸な人だ、彼の善良と不幸とは正比例してゐる。読書するつもりだつたが、しぜん眼があけてゐられなくなつた。
到津遊園
人影ちらほらとあたたかく獅子も虎もねむつてゐる
白雲閣即事二句
お産かるかつたよかつた青木の実
訪ねて逢へて赤ん坊生れてゐた
【人影ちらほらとあたたかく獅子も虎もねむつてゐる】
この日の日記に、「人影ちらほらとあたたかく獅子も虎もねむつてゐる」の句があります。北九州市小倉北区の「到津の森公園」の観覧車付近にある山頭火句碑は、山頭火の自筆です。到津遊園は昭和7年の開園で、終戦後は西日本鉄道が経営してきましたが、経営不振により北九州市に譲渡され、改装後2002年に到津の森公園として再出発しました。
二月廿二日
曇、何か降つてきさうだ。九時、星城子さんは役所へ、私はアスフアルトの街道へ。星城子さんは好きだけれど、八幡は好かない。小倉の寝十方花庵を訪ねる、庵主不在、奥様と話しながらよばれる、酒は飲んでも飯は食べない、お嬢さんはホガラカで、しごくよろしい。降りだした、濡れて戸畑へ、そして若松へ。病院で入雲洞君に逢ふ、退けるまで待つて、また戸畑へ、入雲洞居へ、あつい風呂はうれしかつた、酒も肴もおいしかつた、奥さんはお留守で、すべてが主人みづからの心づくしだ。病院は病院くさい、それでよいのだらうけれど、まめでたつしやな私は嫌だ。食べられるだけ食べて、いや、そのまへに飲めるだけ飲んで、さてこれから寝られるだけ寝ればよい。今日は風が吹いた、風は禁物だ、ルンペンのからだへ吹きつける風のさびしさよ。飲んで食べてから、入雲洞も出かけてゆく、奥さんが手伝してゐる近所の婚礼へ、――私はまづ留守番といつた体、ほろ酔で漫読、よろしうございます。
みちはうねつてのぼつてゆく春の山
これでも住める橋下の小屋の火が燃える
放送塔を目じるしにたづねあてた風のなか
さてどちらへ行かう風のふく
招かれない客でお留守でラヂオは浪花節
さんざ濡れてきた旅の法衣をしぼる
若松病院
病人かろがろとヱレーターがはこんでいつた
戸畑から若松へ、入雲洞君に
あんたとわたしをつないで雨ふる渡船
宿直室も灯されて裸体像などが
待たされてゐる水音の暮れてゆく
宵月のポストはあつた旅のたよりを
旅のたよりも塗りかへてあるポスト
【さてどちらへ行かう風のふく】
この日の日記に、「さてどちらへ行かう風のふく」の有名な句があります。山頭火の旅は自分を見つめる旅ですが、しかしなかなかわからないのが自分です。一体自分は何のために生きているのか、生かされているのか、そして自分は何をしていくべきなのか・・・。そんなことを思いながら歩いていると、二股に分かれた道にさしかかります。あてのない旅ですから、さあどちらへ行こうか・・・。道の迷いは人生の迷いです。思いあぐねていると一陣の風が吹いてきました。迷っている自分にはっと気づき、これではいけないと思いながらも、結局風に身をまかしてしまう山頭火でした。
三月七日
晴、春風しゆうしゆうだつたが、午後は曇つて降つた、しかし昨日の雪のとけるといつしよに冬はいつてしまつたらしい。草が萠えだした、虫も這ひだした、私も歩きださう。一片の音信が、彼と彼女と私とをして泣かしたり笑はしたりする、どうにもならない私たちではあるが。街へ出て、米すこしばかり手に入れる、餅ばかりでは困る。心臓がわるい、心臓はいのちだ、多分、それは私にとつて致命的なものだらう。どうせ畳の上では徃生のできない山頭火ですね、と私は時々自問自答する、それが私の性情で、そして私の宿命かも知れない!
晴れて風ふく春がやつてきた風で
日がのぼれば見わたせばどの木も春のしづくして
むのむしもしづくする春がきたぞな
木の実ころころころげてくる足もと
豚の子のなくも春風の小屋で
まがればお地蔵さまのたんぽぽ咲いた
【まがればお地蔵さまのたんぽぽ咲いた】
この日の日記に、「まがればお地蔵さまのたんぽぽ咲いた」の句があります。山頭火の句にはたんぽぽを素材にした句が多く、「けふの道のたんぽぽ咲いた」などがあります。何よりも今ここに、「たんぽぽ」が咲いてくれているということ、それが山頭火の心を満たしているのです。
三月八日
降つても照つても、晴れても曇つても、風が吹いても、春が来てゐることに間違はない。日がさすと、雲雀が出てきてあるいてゐる、私も出てあるく。緑平老、春風春水、一時到! 新酒二合の元気で、街へ山へ。酔はねばさびしいし、酔へばこまるし。歩いてゐると、足がしぜんに山の方へ向く、私は本能的に山が好きだ。
遠山の雪のひかるや旅立つとする
影も春めいた草鞋をはきかへる
春がきてゐる土を掘る墓穴
これだけの質草はあつてうどんと酒
みちはいつしか咲いてゐるものがちらほら
【山が好き】
この日の日記に、「歩いてゐると、足がしぜんに山の方へ向く、私は本能的に山が好きだ」とあります。山頭火の句に、「こころつかれて山が海が美しすぎる」があります。海より山が好きだった山頭火は、山を求めて分け入り、それに包み込まれるような行程を好のみ、ここではその山と海とが一度に目に入る眺望に行き会えたのです。確かに人間は、大きく美しいものに触れて、時に自分のあまりの小ささ、醜さを思い知らされるのです。