山頭火の日記 ㉔
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946130168&owner_id=7184021&org_id=1946147233 【山頭火の日記(昭和8年5月13日~、行乞記・室積行乞)】より
『行乞記』(室積行乞)
一鉢千家飯
山頭火
□春風の鉢の子一つ
□秋風の鉄鉢を持つ
雲の如く行き
水の如く歩み
風の如く去る
一切空
【行乞記(室積行乞)】
『行乞記』(室積行乞)には、昭和8年5月13日から昭和8年6月3日までの日記が収載されています。
【春風の鉢の子一つ】
ここに、「春風の鉢の子一つ」の句があります。福島県須賀川市長沼町の鉢の子窯(伊藤文雄氏宅)庭内、広島県三原市西野の後藤氏宅玄関内に、この句碑があります。また、山口市小郡下郷の其中庵跡には、この句と「いつしか明けてゐる茶の花」の句碑があります。
五月十三日 (室積行乞)
まだ明けないけれど起きる、まづ日暦を今日の一枚めくり捨ててから空模様を見る、有明月の明るさが好晴を保證してゐる。今日はいよいよ行乞の旅へ旅立つ日だ。いろんな事に手間取つて出かけるとき六時のサイレン。汽車賃が足らないから、幸にして、或は不幸にして歩く外ない。長沢の池はよかつた、松並木もよかつた。大道――プチブル生活のみじめさをおもひだす。それから、――それから二十年経過! 佐波川の瀬もかはつてゐた。若葉がくれの伯母の家、病める伯母を見舞ふことも出来ない甥は呪はれてあれ。私を見つめてゐた子供が溝に落ちた、あぶない。暑い風景である。おもひでははてしなくつづく。宮市……うぶすなのお天神様! 肖像画家S夫妻に出くわした、此節は懐工合よろしいらしく、セル、紋付、そして人絹! 富海で、久しぶりに海のよさをきく。大道、宮市、富海――あれこれとおもひでは切れないテープのやうだよ。お宮の松風の中で昼食、一杯やりたいな。転身の一路がほしい。富海行乞、戸田行乞、二時間あまり。さりとは、さりとは、行乞はつらいね! S君の家はとりこぼたれてゐた、S君よ、なげくな、しつかりやつてくれ。自動車、それは乗客には、そして歩くものにはまさに外道車! 旧道はよろしいかな、山の色がうつくしくて、水がうまくて。今、電話がかかつてゐるから、行乞の声をやめてくれといふ家もあつた、笑止とはこれ。一銭から一銭、一握の米から一握の米。暮れて徳山へついた。徳山は伸びゆく街だ。白船居では例のごとし、酒、飯、そしてまた酒。雑草句会に雑草のハツラツ味がないのはさみしかつた、若人、女性を見分したのは白船老のおかげ、感謝、感謝。白船居の夢はおだやかだ、おだやかでなければならない。白船老いたり、たしかに老いたり。けふいちにちはあるきつづけた、十里強。行乞はつらいね。可愛い子には遍路をさせろ。行乞は他を知り同時に自を知る。
月見草もおもひでの花をひらき
春まつりの、赤いゆもじで乳母車押してきた
春もゆくふるさとの街を通りぬける
はぎとる芝生が春の草
かきつばた咲かしてながれる水のあふれる
五月晴、お地蔵さんの首があたらしい
松蝉があたまのうへで波音をまへ
たちよればしづくする若葉
夏山のトンネルからなんとながいながい汽車
踏切も三角畑の花ざかり
竹の子みんな竹にして住んでゐる
はるかに墓が見える椎の若葉も
まつなみきゆくほどに朝の太陽
ここでやすまう月草ひらいてゐる(大道)
音もなつかしいながれをわたる(佐波川)
ふるさとの山はかすんでかさなつて(宮市)
水にそうてふるさとをはなれた
誰もゐない蕗の葉になつてゐる
線路がひかるヤレコノドツコイシヨ
春はゆく鉢の子持つてどこまでも
ここは水の澄むところ藤の咲くところ
埃まみれで芽ぶいてゐる
【徳山】
この日の日記に、「暮れて徳山へついた。徳山は伸びゆく街だ」とあり、徳山の白船居に泊まっています。徳山動物園前庭に、「新しい法衣いつはいの陽があたたかい」の句碑があります。
五月十六日
まだ降つてゐる、残酒残肴を飲んで食べる、うまいうまい、そしてM氏のために悪筆を揮ふ。朝酒は身心にしみわたる、酔うて別れる、誠二さんはすでに出勤、書置を残して、そして周東美人を連れて! 宿の奥さん、仕出屋の内儀さんの深切に厚くお礼を申上げる。雨、雨、雨、ふる、ふる、ふる、その中を歩く、持つてきた一本を喇叭飲みする、酔ひつぶれて動けなくなつた、松原に寝ころんでゐたら、通行人が心配して、どうかなさいましたかといふ、まことに恥晒しだつた。工合よく、近くに安宿があつたのでころげこむ、宿銭がないから(酒と煙草とは貰つてきたのがありあまるほどあるけれど)、すまないと思ひつつ、誠二さんへ手紙を書いて、近所の子供に持たせてやつた。誠二さんの返事はありがたかつた、すまないすまない、人々に酒と煙草とを御馳走する。
松風のみちがみちびいて大師堂
夏めいた雨がそそぐや木の実の青さや
雨音のしたしさの酔うてくる
これからどこをあるかう雨がふりだした
ずんぶりぬれて青葉のわたし
【山頭火の置手紙】
山頭火は5月14日、室積にあった女子師範学校の教師で、俳友の大前誠二氏の下宿を訪れ、おりしも普賢まつりで賑わう町中や御手洗湾などを散策し、夜は大前氏や大前氏の同僚の水田氏とお酒を酌み交わしながら、俳句談義などで過ごし、16日まで滞在しました。16日の朝、大前氏が出勤した後、山頭火は次の置き手紙をして大前氏の下宿を発ち、呼坂へ向けて雨の中を歩き出しました。「周東美人一箇連れてゆきます! 残滴なし! ずゐぶん御厄介をかけました、酔うて今から呼坂へまゐります、「わがままな旅の雨にぬれてゆく」といつたやうな気分で、―おそくとも二十日までには帰庵して、そして三八九を出して、それから北九州の旅です、黒ダイヤのよさを味うてきませう、「つたうてきて電線の露のぽとりぽとり」苦しい一句でした、どうぞあしからず 山生 」
この置き手紙の中の、「わがままな旅の雨にぬれてゆく」は室積みたらい公園に、「つたうてきて電線の露のぽとりぽとり」は郷土館入口に句碑があります。山頭火はこの置き手紙を残した後、出立に当たって「周東美人」という銘のお酒を携えて、飲みながら歩き、途中酔いつぶれて雨の松原の中で歩けなくなってしまったので、近くの山崎屋という木賃宿に投宿しましたが、宿代がないので、借金を大前氏に頼む手紙を出しています。この宿に一泊して、山頭火は帰っていきました。この室積訪問の際、大前氏らが勤務中の間、普賢まつりで賑わう町中を抜け、周辺を散策し、句集『行乞記』に「松風のみちがみちびいて大師堂」「夏めいた雨がそそぐや木の実の青さや」「やたらにとりちらかしてお祭りの雨となつた」「警察署の木の実のうれてくる」などの句を残しています。また、室積行乞に出立するにあたり「春風の鉢の子一つ」という句を作り、この句碑は松山にあります。
五月廿六日
曇、后晴れて風が出た、時々雨がふつた。御飯を炊いてゐると、聞き覚えるのある、そして誰とも思ひだせない声がする、出て見たら、意外にも義庵老師であつた、上京の帰途、立ち寄られたのである、いろいろ話してゐるうちに熊本がなつかしうなつた。お茶もないし、何も差上げるものがないので、S店へ走つてビールと鑵詰と巻鮨とを借りて来て、朝御飯を食べて貰つた。八時の汽車に間にあふやう、駅近くまで見送つていつた。樹明君がやつてきて、冬村新婚宴はいよいよ今晩だといふ、うんと飲んで面白く騷がう。もう米がなくなつたから、気はすすまないけれど陶行乞、五時間ばかり歩きまはつた。(中略)六時のサイレンをきいてから樹明居へ出かける、風呂に入れて貰つて、同道して冬村居へ、めでたし冬村君、冬村君御馳走でした、酔うてふらふらして戻つて、そのままごろりと寝てしまつた。
祝句
空はさつきの、一人ではない
青葉に青葉がふたつのかげ
端午が近づいた、笹の葉を活けて粽をのしのぶ。馬刀貝を食べつつ旦浦時代の追憶にふける。
【義庵老師(熊本大慈寺住職)】
この日の日記に、「御飯を炊いてゐると、聞き覚えるのある、そして誰とも思ひだせない声がする、出て見たら、意外にも義庵老師であつた。・・・朝御飯を食べて貰つた。八時の汽車に間にあふやう、駅近くまで見送つていつた」とあります。後年、大山澄太が望月義庵老師を熊本川尻の大慈寺へお訪ねした時、次の其中庵お立より話がでました。
「あの男、律儀なところもあってな、わしは夜汽車で小郡駅に降り、一寸のぞいて見ました。暗いうちに起きて台所で何かしていましたが、走って出ていろいろ買って来て、御馳走してくれたことを覚えています。その後、永平寺から戻りにも立ち寄りましたが、まあまあ、俳句の世界では、なかなか世間から認められているのですな。」
この師あっての山頭火です。行乞することができるのも、僧籍に入れて貰い、笠・衣・鉢・禅書等すべてこの老師からのいただきものでした。
六月一日
酔中夢なし、ほつかり覚めて、飯を炊く、そして酒を飲む。今日一日のさびしさは飯の生煮であつた。冬村居から青紫蘇の苗を貰うて来て植ゑる。柿の花はおもしろいかな。待つてゐる――敬坊来、間もなく樹明来、かしわで飲む、何といふうまさ、友情そのものの味はひだ! 敬坊の奥さんが子供をみんな連れてやつて来られた、敬坊に信用なし、奥さんに理解なし、女といふものは、妻といふものは。――敬坊おとなしく、奥さんうれしく、樹明つつましく、帰つてゆく、私はぽかんとしてあるだけの酒を飲む、……よかつた、よかつた、よかつた、よかつた。
もう明けさうな窓あけて青葉
蛙がうたうてゐる朝酒がある
肉が煮えるにほひの、赤子が泣く
めつきり夏めいて机の上の蟻も
ながい毛がしらが
もらうてきてうゑてをくよいくもり
【ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる】
この日の日記に、「ほつかり覚めて、飯を炊く、そして酒を飲む」とあります。山頭火の句に、「ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる」があります。一人暮らしの平安の中で、山頭火の心境はしだいに澄んでいきます。
六月三日
徹夜だつたから早い、五時にはもう支度が出来た、あまり早うて気の毒だつたけれど、ルンチヤンを起す、六時のサイレンが鳴る前に二人は出立した、彼は故郷鳥取へ、私は北九州へ。