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山頭火の日記 ⑱

2018.03.25 03:17

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945967000&owner_id=7184021&org_id=1945997008 【山頭火の日記(昭和7年9月21日~、其中日記一)】より

『其中日記』(一) 

九月廿一日

庵居第一日(昨日から今日へかけて)。朝夕、山村の閑静満喫。虫、虫、月、月、柿、柿、曼珠沙華、々々々々。

 移つてきてお彼岸花の花ざかり

 蠅も移つてきてゐる

近隣の井本老人来庵、四方山話一時間あまり、ついで神保夫妻来庵、子供を連れて(此家此地の持主)。――矢足の矢は八が真 大タブ樹 大垂松 松月庵跡――樹明兄も来庵、藁灰をこしらへて下さつた、胡瓜を持つてきて下さつた(この胡瓜は何ともいへないうまさだつた、私は単に胡瓜のうまさといふよりも、草の実のほんとうのうまさに触れたやうな気がした)。酒なしではすまないので、ちよんびりシヨウチユウを買ふ、同時にハガキを買ふことも忘れなかつた。今夜もよう寝た、三時半には起床したけれど。

 さみしい食卓の辛子からいこと

 柿が落ちるまた落ちるしづかにも

【其中日記(一)】

『其中(ごちゅう)日記』(一)には、昭和7年9月21から昭和7年12月31日までの日記が収載されています。

【移つてきてお彼岸花の花ざかり】

この日の日記に「庵居第一日」とあり、「移つてきてお彼岸花の花ざかり」の句があります。また、其中庵の句として「この柿の木が庵らしくするあるじとして」「雪ふる其中一人として火を燃やす」があります。其中庵のほとりにある井戸は、雨乞山からの水脈にあたり、深くはありませんが清い水が常に湧いています。山頭火は、庵を構える場所の条件の一つに水の良いところをあげていました。其中庵の周辺の水は、遠方から茶席用にくみにくるほど味のよい水だったたといわれ、雨の翌日などは濁り隣りからもらい水をしていたといいますが、日々の山頭火の生活を支える水はこの井戸から得ることができました。この井戸に関して、次の句があります。

 やつと戻つてきてうちの水音

 朝月あかるい水で米とぐ

 いま汲んできた水にもう柿落葉

十月五日

めづらしく朝寝した、もう六時に近かつた、それほど私は心地よく酔うたのである。柿の落葉はわるくない、掃いてゐるうちに、すぐまた落ちる、それがかへつてよろしい、掃き寄せて、その樹、その実を仰ぐ気持はうれしい。前の家から柿を貰つた、さつそく剥いだ(私はあまり木の実を食べないが、柿だけは以前から食べる)、いはゆる山手柿を味つた、うまかつた、私は柿を通して木の実が好きになるだらうと思ふ。柿は枝振も木の葉も実も日本的だ(茶の木が花が日本的であるやうに)。この秋日和! もつたいないほどである。達麿忌である、廓然無聖、冷暖自知。樹明兄から約束の通りに寄贈二品、一は白米、これは胃腸薬として、そして他は砂糖、これは風邪薬として。ウソでもない、ジヨウダンでもない、ホントウだ、私にはもう食べるものがなくなつてゐたのだ、風邪をひいて咳が出て咽喉がいたいのに砂糖湯さへ飲めなかつたのだ。だから、今日の樹明はメシヤだつた! 何と久しぶりに、そして沢山、甘い物を飲んだことよ。寥平兄からなつかしいたよりがあつた、熊本はなつかしくもいやな土地となつた、私にとつては。湯屋でゆつくり、そして酒屋でいつぱい、それから栄山公園の招魂祭へいつた、そこは小郡町唯一の遊覧地である、まづ可もなし不可もなしだらう。ゆうゆうとしてぶらふへら帰庵すると、樹明兄が待つてゐた、招魂祭で早引けだつたから、ちよいと寄つてみたといふ、忙しい忙しいといひながら(事実、彼は農学校の書記であり、山手の百姓であり、小郡町の酒徒であり、そして私たち層雲の俳人でもあるのだ)来庵せずにはゐられないところに(そして私自身も彼の来庵を期待してゐる)、そこに私たち二人の友情があり因縁があるのだ、私としては彼の世話になりすぎると思うてゐるけれど、彼としては私に尽し足らないと考へてゐるかも知れない(彼の場合はやがて敬治坊のそれでもあらうか)。今日はほうれんさうを播いた、昨日のやうに二うね耕したのである(樹明兄は一気呵成に、まつたく彼らしく一うね耕してくれた)。播く――何といふほがらかな気持だらう。

 朝やけ雨ふる大根まかう

 うれておちる柿の音ですよ

 ふるさとの柿のすこししぶくて

   秋晴二句

 秋晴れの空ふかくノロシひびいた

 秋晴れの道が分れるポストが赤い

   招魂祭二句

 ぬかづいて忠魂碑ほがらか

 まひるのみあかしのもゑつづける

 秋ふかく、声が出なくなつた

 道がなくなり萩さいてゐる

 このみちついて水のわく

 またふるさとにかへりそばのはな

 そばのはな、ここにおちつくほかはない

 虫も夜中の火を燃やしてゐる

【道がなくなり萩さいてゐる】

この日の日記に、「道がなくなり萩さいてゐる」の句があります。この句と「思い出は悲しい熟柿おちてつぶれた」の句碑が、愛媛県伊予市のえひめ森林公園にあります。

十月十日

今朝も朝寝だつた、といつても五時過ぎだつたが。咳嗽には閉口する、閉口しながら、酒は飲むし、辛いものは食べるし、そして薬は飲まないのだから、それが当然だらう。暁の百舌鳥の声は鋭い。俊和尚からのハガキ一枚、それがどんなに私を力づけたか(昨日、預けてあつた冬物を、寒いので急に思ひだしたといつて送つてくれたのである)。ほんとうによいお天気だ、洗濯をする(三枚しかない)、雑巾がけをする、気持がシヤンとした。さてもうららかな景色ぢやなあ、ほがらかなことでござる。大根を間引く、間引いたのはそのままお汁の実。人間は――少くとも私は――同じ過失、同じ後悔を繰り返し、繰り返して墓へ急いでゐるのだ、いつぞや、口の悪い親友が、私のぐうたらを観て、よく倦けませんね、おなじ事ばかりやつてゐて、――といつたが、それほど皮肉を感じたことはなかつた、現に、小郡に来てからでも、私は相も変らず酒の悪癖から脱しえないではないか。……午後入浴、自分で剃髪する、皮膚がピリピリするので利久帽をかぶつたままで起居する、いやどうも自分ながら古くさくなつたぞ、破被布を羽織つて、茶人帽をいただいて火鉢の縁を撫でてゐては、あまりに宗匠らしい、咄。

 二葉となりお汁の実となり(大根の芽生に)

 日本晴れの洗濯ですぐ乾く

 萩もをはりの、藤の実は垂れ

 くみあげる水がふかい秋となつてきた

 ふるさとのそばのあしいよいよあかし

 さみしさがけふも墓場をあるかせる

さみしいから(或る日はアルコールでまぎらすけれど)あてもなくあちこちあるきまはる、藁麦畑、藷畑、墓場、大根畑、家、人。このあたりは柿も多いが椿も多い、前のF家の生垣は椿である、ところどころに大椿がある、実がなつてゐる、家に乾してもあるだらう。井戸の水が毎朝めつきり減つてゆく、釣瓶の綱をつないでもまたつないでも短かくなる、ここにも深みゆく秋の表現がある。だんだん食べるものがなくなつてゆく、――もう醤油も味噌も酢もなくなつたが、――まだ塩がある(米だけは、ありがたいことは大丈夫だ、樹明菩薩が控へておいでだから!)。掃くよりも落ちるが早い柿の葉だ、掃いたところへ散つた葉はわるくない(私もだいぶ神経質でなくなつたやうだね)。夕ぐれ、ばらばらと降つた、初時雨だらうか、まだ時雨が本質的でなかつた。晩課諷経の最中に誰だか来たけはいを感じたが、そのまま続ける、すんでから出てみると、農学校の給仕君が、樹明君からの贈物だといつて、木炭一俵を持参してゐる、かたじけなく頂戴、時雨のなかを帰つてゆく彼に頭をさげた。夜は十日会の月次例会、集まつたものは樹明、冬村二君に過ぎつたが、しんみりとした、よい会合だつた、ことに折からの時雨がよかつた、時雨らしい音だつた、樹明君の即吟に、

 三人(みたり)のしぐれとなつた晩で

といふ一句があつた、まことにみたりのすべてであつた、別れる前にあまり腹が空いたので(といつて食べるものを売るやうな店は近くにないので)白粥を煮て、みんなで食べた、おいしかつた、とろとろするやうな味はひだつた、散会したのは十二時近く、もうその時は十一日の月がくわうくわうとかがやいてゐた。

 落ちついてどちら眺めても柿ばかり

 ゆふべうごくは自分の影か

 月夜のわが庵をまはつてあるく

 月からこぼれて草の葉の雨

 夕雨小雨そよぐはコスモス

 ぬれてかがやく月の茶の木は

 わが庵は月夜の柿のたわわなる

 壺のコスモスもひらきました

 しぐれてぬれて待つ人がきた

 しぐれて冴える月に見おくる

 月は林にあんたは去んだ

【ハガキ一枚】

この日の日記に、「俊和尚からのハガキ一枚、それがどんなに私を力づけたか」とあります。また、山頭火の句に「けふは凩のはがき一枚」があります。今日の郵便物はハガキ一枚でした。それを手にした山頭火は、今日一日、ことさら身に染みるものがあったと思われます。

十月十一日

労れて朝寝、もう東の空が白んでゐた、どうも咳が出て困る、幸にして音声はとりもどしたが、咽喉が痛い。寒うなつた、米を磨ぐ水のつめたさが指先からしみこんでくる、今朝は何だかしようぢようたるものを感じた。待つてゐる音信が来ない。しかし、よいお天気で、よい気分で。塩で食べてゐたが、辛子漬も菜漬もおしたじがないとうまくないので(といふのも私にはゼイタクだが)、財布をはたいてみたら、一銭銅貨が四つあつた、そこで小さい罎を探しだして醤油買に出かける、途中でその売子さんに逢ふ、ついでだから彼の手数を煩はさないですむので、一杯詰めて貰ふ、一升二十銭といふから、まさに一銭五厘位の支払だ、支払ふとしたら、いらないといふ、あげますといふ、彼は私の風采(破被布に利久帽だ)を見て、おせつたいするつもりらしい、そこで妥協してお賽銭一銭あげて、ありがたく万事解決した、彼は若い鮮人だつた、鮮人から報謝をうけたのはこれが二度目だ、一度は行乞流転中にどこかで鮮人の若いおかみさんから一皿の米をいただいたのである。昨夜の事を考へる、草庵――時雨――白粥――はあまり即きすぎて句にもならないが、それは涙ぐましいほどの情愛だつた、うれしかつた。駅の物売の声がよくきこえる、風向のよい夜などはハツキリきこえる、だが何といふ言葉だかはあまりよく解らない、よく解つては困ります、べんたう、すし、ビール、まさむね、サイダーなどとやられては、食べたくなつたり、飲みたくならうではないか、風よ、向うへ吹け。山東菜を漬けてをいたのがちようど食べ頃となつた、うまい、うまい、これからは自分で作つて自分で漬けて食べられます。三八九の原稿整理。私の事を私よりも周囲の人々がヨリ心配して下さる、私はあんまりノンキかも知れない、ノンキなルンペン!

 郵便やさん、手紙と熟柿と代へていつた

 垣のそとへ紫苑コスモスそして柿の実

 秋風、鮮人が鮮人から買うてゐる

 ふるさとはからたちの実となつてゐる

 わが井戸は木の実草の葉くみあげる

 あの柿の木が庵らしくする実のたわわ

 そこらいつぱい嫁入のうつくしさ干しならべてある

これで午前の分をはり、めでたしめでたし。どうも腹が空つてくると飲みたくなる、空腹へギユツとひつかける気持は酒好きの貧乏しか知らない、そこでまだ早いけれど夕飯にして、また出かける、どこへでも行きあたりばつたりに行くのである、いはば漫談に対する漫歩だ。一時間ばかり歩きまはつて戻つてくると、誰やら庵の前で動いてゐる、樹明君だ、忙しい中を新菊を播いて、苣(ちさ)を植ゑてくれてるのである、ありがたしありがたし。飲む酒も食べる飯もないから、辛子漬でお茶をいれてあげる、辛子漬の辛いのも一興でないことはあるまい。ばらばらとしぐれた、今夜もしぐれるらしい、かうしてしぐれもだんだん本格的になつてゆく。貧すりや鈍するといふ、まつたくだ、金がないと、とかく卑しい心が出てくる、自家の醜劣には堪へがたい。毎日待つてゐるのは――そしてそれが楽しみのすべてといつていいが――朝は郵便、それから新聞、それから友人だ、今日はその三つがめぐまれた。

 人がゐてしぐれる柿をもいでゐた

 庵のぐるりの曼珠沙華すつかり枯れた

 つゆくさ実をもち落ちつかうとする

夜はまた粥を煮て食べた、私には粥がふさはしいらしい、その粥腹で、たまつた仕事をだいぶ片付けた。これでまづ今日いちにちのをはり、あなかしこあなかしこ。横になると咳が出る、絶え入るばかりに咳き入るといふが、じつさいさうである、咳き入つてゐると、万象こんとんとして咳ばかりになる、しばらくして小康、外へ出て歩く、何とよい月だらう。

【ふるさとはからたちの実となつてゐる】

この日の日記に、「ふるさとはからたちの実となつてゐる」の句があります。山頭火の随筆「『鉢の子』から『其中庵』まで」に、次のように書いています。

「雨のふる日はよい。しぐれする夜のなごやかさは物臭な私に粥を煮させる。風もわるくない。もう凩らしい風が吹いている。寝覚の一人をめぐって、風はどこから来てどこへ行くのか。さみしいといえば人間そのものがさみしいのだ。さみしがらせよとうたった詩人もあるではないか。私はさみしさがなくなることを求めない。むしろ、さみしいからこそ生きている、生きていられるのである。

  ふるさとはからたちの実となつてゐる

そのからたちの実に、私は私を観る。そして私の生活を考える。雨ふるふるさとはなつかしい。はだしであるいていると、蹠(あしうら)の感触が少年の夢をよびかえす。そこに白髪の感傷家がさまようているとは。――

  あめふるふるさとははだしであるく 」

【あめふるふるさとははだしであるく(妹の家で)】

先の随筆の最後の「あめふるふるさとははだしであるく」の句は、山頭火が他家に嫁に行った妹・しづのところに一泊した後に、ふるさと近くを行乞していた時のものだといいます。妹の元へ行っても、妹は暖かくもてなしてはくれますが、子供には山頭火のことを伯父さんだとは告げられないのです。泊まった翌朝、妹は床にいる山頭火にこういいます。

「兄さんすまんことですがのんた。近所の家が起きぬ間に、早く去んでおくれ、ほいと(方言で乞食の意)、ほいとと言われると困るからのんた。御飯はもうちゃんとできちょる。」

そして忘れずに二合徳利の朝酒を添え、山頭火の頭陀袋に五十銭玉を入れるのでした。山頭火は、涙を隠しながら妹の家を後にし、そんな妹の思いやりを黙って受け取るしかありません。肉親ならではの情のありがたさを感謝し、何もしてやれない兄たる自分が情けなく思うのです。雨の中で、はだしでふるさとの土の感触をかみしめるように歩く山頭火。ふるさとで堂々と生きることを許されない山頭火は、少しでも躰にふるさとへの想いを刻みつけたかったのではないでしょうか。そんな山頭火を思うと、涙があふれてきます。