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山頭火の日記 ⑦

2018.03.25 03:58

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945640524&owner_id=7184021&org_id=1945671079 【山頭火の日記(昭和5年12月2日~)】より

十二月二日 曇、何をするでもなしに、次郎居滞在。

毎朝、朝酒だ、次郎さんの厚意をありがたく受けてゐる、次郎さんを無理に行商へ出す、私一人猫一匹、しづかなことである、夜は大根膾をこしらへて飲む、そして遅くまで話す。

   次郎居即事

 朝の酒のあたたかさが身ぬちをめぐる

 ひとりでゐて濃い茶をすする

 物思ふ膝の上で寝る猫

 寝てゐる猫の年とつてゐるかな

 猫も鳴いて主人の帰りを待つてゐる

 人声なつかしがる猫とをり

 猫もいつしよに欠伸するのか

 猫もさみしうて鳴いてからだすりよせる

 いつ戻つて来たか寝てゐる猫よ

 その樅の木したしう見あげては

 なつかしくもきたない顔で

 徹夜働らく響にさめて時雨

 家賃もまだ払つてない家の客となつて

 痒いところを掻く手があつた

 機械と共に働らく外なし

 機械まはれば私もまはる

 機械動かなくなり私も動かない

 人は動かない機械は動いてゐる

 今夜のカルモチンが動く

 投げ出された肉体があざわらつてゐる

寸鶏頭君、元寛君に、先日来方々から寄せ書をしたが、感情を害しやしなかつたか知ら、あまりに安易に、自己陶酔的に書き捨てて、先方の感情を無視してゐた、慙愧々々。

或る友に与へて、――

   私はいつまでも、また、どこまでも歩きつづけるつもりで旅に出たが、思ひかへして、熊本

   の近在に文字通りの草庵を結ぶことに心を定めた、私は今、痛切に生存の矛盾、行乞の

   矛盾、句作の矛盾を感じてゐる、……私は今度といふ今度は、過去一切――精神的にも、

   物質的にも――を清算したい、いや、清算せずにはおかない、すべては過去を清算して

   からである、そこまでいつて、歩々到着が実現せられるのである、……自分自身で結ん

   だ草庵ならば、あまり世間的交渉に煩はされないで、本来の愚を守ることが出来ると思ふ、

   ……私は歩くに労れたといふよりも、生きるに労れたのではあるまいか、一歩は強く、そ

   して一歩は弱く、前歩後歩のみだれるのをどうすることも出来ない。……

【歩々到着】

この日の日記に、「すべては過去を清算してからである、そこまでいつて、歩々到着が実現せられるのである」とあります。山頭火は随筆「歩々到着」に、次のように書いています。

「禅門に『歩々到着』という言葉がある。それは一歩一歩がそのまま到着であり、一歩は一歩の脱落であることを意味する。一寸坐れば一寸の仏という語句とも相通ずるものがあるようである。私は歩いた、歩きつづけた、歩きたかったから、いや歩かなければならなかったから、いやいや歩かずにはいられなかったから、歩いたのである、歩きつづけているのである。きのうも歩いた、きょうも歩いた、あすも歩かなければならない、あさってもまた。――

  木の芽草の芽歩きつづける

  はてもない旅のつくつくぼうし

  けふはけふの道のたんぽぽさいた

  どうしようもないワタシが歩いてをる 」

最後の句「どうしようもないワタシが歩いてをる」と同時期に、「涸れきつた川を渡る」の句があります。冬枯れの野を彷徨う放浪人山頭火、木枯らしに吹かれるまま山道を抜けて、行き先が開けたと思いきやそこは川岸でした。涸れきった川、それは次第に朽ち果ててゆく山頭火の行く末を暗示するもののようです。川は時の移ろいを映し、人の浮き沈みを静かに見つめながら四季の輪廻の中で形を変え続けます。人がこの世に別れを告げ、あの世に旅立つ時に渡るのも三途の川なのです。そんな不吉な思いを、無理に頭を振って打ち消しながら、また山頭火はしっかりと歩み始めます。

十二月三日 晴、一日対座懇談、次郎居滞在。

今日は第四十八回目の誕生日だつた、去年は別府附近で自祝したが、今年は次郎さんが鰯を買つて酒を出して下さつた、何と有難い因縁ではないか。次郎さんは善良な、あまりに善良な人間だ、対座して話してゐるうちに、自分の不善良が恥づかしくなる、おのづから頭が下る――次郎さんに缺けたものは才と勇だ! ポストへ行く途上、若い鮮人によびとめられた、きちんとした洋服姿でにこついてゐる、そしておもむろに、懐中時計を買はないかといふ、馬鹿な、今頃誰がそんな詐欺手段にのせられるものか、――しかし、彼が私を認めて、いかさま時計を買ふだけの金を持つてゐたと観破したのならば有難い、同時に、さういふイカサマにかへらる外ない男として、或は一も二もなくさういふものを買ふほどの(世間知らずの!)男と思つたのならば有難くない。夜は無論飲む、次郎さん酔うて何も彼も打ち明ける、私は有難く聴いた、何といふ真摯だらう。

 雑巾がけしてる男の冬

 鰯さいても誕生日

 侮られて寒い日だ

 飛行機のうなりも寒い空

 話してる間へきて猫がうづくまる

 涙がこぼれさうな寒い顔で答へる

十二月五日 曇、時雨、行程三里、福岡市、句会、酒壺洞居。

お天気も悪いし、気分もよくないので、一路まつすぐに福岡へ急ぐ、十二時前には、すでに市役所の食堂で、酒壺洞君と対談することが出来た(市役所で、女の給仕さんが、酒壺洞君から私の事を聞かされてゐて、うろうろする私を見つけて、さつそく酒壺洞君を連れて来てくれたのはうれしかつた)、退庁まではまだ時間があるので、後刻を約して札所めぐりをする、九州西国第三十二番は龍宮寺、第三十一番は大乗寺、どちらも札所としての努力が払つてない、もつと何とかしたらよささうなものだと思ふ。夜は酒壺洞居で句会、時雨亭さん、白楊さん、青炎郎さん、鳥平さん、善七さんに逢つて愉快だつた、散会後、私だけ飲む、寝酒をやるのはよくないのだけれど。……さすがに福岡といふ気がする、九州で都会情調があるのは福岡だけだ(関門は別として)、街も人も美しい、殊に女は! 若い女は! 街上で電車切符売が多いのも福岡の特色だ。存在の生活といふことについて考へる、しなければならない、せずにはゐられないといふ境を通つて来た生活、『ある』と再認識して、あるがままの生活、山是山から山非山を経て山是山となつた山を生きる。……役所のヒケのベルの音、空家の壁に張られたビラの文字、――酒呑喜べ上戸党万歳!……ただこの二筋につながる、肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ、……この境地からはなかなか出られない。……

 ボタ山も灯つてゐる

 別れる夜の水もぞんぶんに飲み

 しぐるる今日の山芋売れない

 親一人子一人のしぐれ日和で

 新道まつすぐな雨にぬれてきた

 砂利を踏む旅の心

 焼き捨てる煙である塵である

 車、人間の臭を残して去つた

 地下室を出て雨の街へ

 飾窓の人形の似顔にたたずむ

 大根ぬいてきておろして下さるあんただ(次郎さんに)

 濡れてもかまはない道のまつすぐ

 窓をあけた明るい顔だつた

 水を挾んでビルデイングの影に影

 お寺の大銀杏散るだけ散つた

 ぬれてふたりで大木を挽いてゐる

 しぐるるやラヂオの疳高い声

 買ふことはない店を見てまはつてる

 窓の中のうまいもの見てゐるか

 どの店も食べるものばかりひろげて

 よんでも答へない彼についてゆく

 十二月の風も吹くにまかさう(寸鶏頭さんに)

【福岡での句会】

この日の日記に、「夜は酒壺洞居で句会、時雨亭さん、白楊さん、青炎郎さん、鳥平さん、善七さんに逢つて愉快だつた」とあり、酒壺洞居で句会を開いています。

十二月七日 晴、行程四里、二日市町、わたや(三〇・中)

早く眼は覚めたが――室は別にして寝たが――日曜日は殊に朝寝する時雨亭さんに同情して、九時過ぎまで寝床の中で漫読した、やうやく起きて、近傍の大仏さんに参詣して回向する、多分お釈迦さんだらうと思ふが、大衆的円満のお姿である、十一時近くなつて、送られて出立する、別れてから一時頃まで福岡の盛り場をもう一度散歩する、かん酒屋に立ち寄つて、酢牡蠣で一杯やつて、それでは福岡よ、さよなら! ぽかぽかと小春日和だ、あまり折れ曲りのない道をここまで四里、酔が醒めて、長かつた、労いた、夕飯をすまして武蔵温泉まで出かけて一浴、また一杯やつて寝る。

 朝日かがやく大仏さまの片頬

 まともに拝んで、まはつて拝む大仏さま

 師走の街のラヂオにもあつまつてゐる

 小春日有縁無縁の墓を洗ふ

 送らるるぬかるみの街

 おいしいにほひのただよふところをさまよふ

 ぬかるみもかはくけふのみち

 近づいてゆく山の紅葉の残つてゐる

 どつかりと腰をおろしたのが土の上で

 三界万霊の石塔傾いてゐる

 ころがつてゐる石の一つは休み石

 酔がさめて埃つぽい道となる

 からだあたたまる心のしづむ(武蔵温泉)

福岡の中州をぶらぶら歩いてゐると、私はほんたうに時代錯誤的だと思はずにはゐられない、乞食坊主が何をうろうろしてると叱られさうな気がする(誰に、――はて誰にだらう)。すぐれた俳句は――そのなかの僅かばかりをのぞいて――その作者の境涯を知らないでは十分に味はへないと思ふ、前書なしの句といふものはないともいへる、その前書とはその作者の生活である、生活といふ前書のない俳句はありえない、その生活の一部を文字として書き添へたのが、所謂前書である。

【すぐれた俳句】

この日の日記に、「すぐれた俳句は――そのなかの僅かばかりをのぞいて――その作者の境涯を知らないでは十分に味はへないと思ふ、前書なしの句といふものはないともいへる、その前書とはその作者の生活である、生活といふ前書のない俳句はありえない、その生活の一部を文字として書き添へたのが、所謂前書である。」とあります。

十二月十一日 晴、行程七里、羽犬塚、或る宿(二〇・中ノ上)

朝早く、第十八番の札所へ拝登する、山裾の静かな御堂である、札所らしい気分になる、そこから急いで久留米へ出て、郵便局で、留置の雑誌やら手紙やらを受け取る、ここで泊るつもりだけれど、雑踏するのが嫌なので羽犬塚まで歩く、目についた宿にとびこんだが、きたなくてうるさいけれど、やすくてしんせつだつた。霜――うららか――雲雀の唄――櫨の並木――苗木畑――果実の美観――これだけ書いておいて、今日の印象の備忘としよう。

 大霜の土を掘りおこす

 枯草ふみにじって兵隊ごっこ

 うららかな今日の米だけはある

 さうらうとしてけふもくれたか

 街の雑音も通り抜けて来た

【羽犬塚】

昭和5年、山頭火は熊本へ戻る途中、12月11日に羽犬塚に宿をとります。当初は、久留米で泊まる予定でしたが、「雑踏をさけて羽犬塚に泊まった」と書いています。山頭火が歩いたかつての豊前街道沿い(国道209号線)には、筑後工藝館、社日神社(「お経をあげてお米もろうて百舌鳴いて」の句碑、山頭火が泊まった或る宿「木賃宿・喜楽屋」はこの近くにあったようです)、藤島橋、二本松橋に山頭火の句碑があります。

十二月十三日 曇、行程四里、大牟田市、白川屋

昨夜は子供が泣く、老爺がこづく、何や彼やうるさくて度々眼が覚めた、朝は早く起きたけれど、ゆつくりして九時出立、渡瀬行乞、三池町も少し行乞して、普光寺へ詣でる、堂塔は見すぼらしいけれど景勝たるを失はない、このあたりには宿屋――私が泊るやうな――がないので、大牟田へ急いだ、日が落ちると同時に此宿へ着いた、風呂はない、風呂屋へ行くほどの元気もない、やつと一杯ひつかけてすべてを忘れる。……

 痰が切れない爺さんと寝床ならべる

 孫に腰をたたかせてゐるおぢいさんは

 眼の見えない人とゐて話がない

 水仙一りんのつめたい水をくみあげる

 水のんでこの憂欝のやりどころなし

 あるけばあるけば木の葉ちるちる

先夜同宿した得体の解らない人とまた同宿した、彼は自分についてあまりに都合よく話す、そんなに自分が都合よく扱へるかな! 私はどうやらアルコールだけは揚棄することが出来たらしい、酒は飲むけれど、また、飲まないではゐられまいけれど、アルコールの奴隷にはならないで、酒を味ふことが出来るやうになつたらしい。冬が来たことを感じた、うそ寒かつた、心細かつた、やつぱりセンチだね、白髪のセンチメンタリスト! 笑ふにも笑へない、泣くにも泣けない、ルンペンは泣き笑ひする外ない。夜、寝られないので庵号などを考へた、まだ土地も金も何もきまらないのに、もう庵号だけはきまつた、曰く、三八九庵(唐の超真和尚の三八九府に拠つたのである)。

【三八九庵】

この日の日記に、「夜、寝られないので庵号などを考へた、まだ土地も金も何もきまらないのに、もう庵号だけはきまつた、曰く、三八九庵(唐の超真和尚の三八九府に拠つたのである)」とあります。山頭火はこの年の12月末に熊本に帰り、市内春竹琴平町の二階一室を借りて「三八九(さんぱく)居」と名付け、自炊生活を始めます。

十二月十五日 晴、行程二里、そして汽車、熊本市、彷徨。

けふも大霜で上天気である、純な苦味生さんと連れ立つて荒尾海岸を散歩する(末光さんも純な青年だつた、きつと純な句の出来る人だ)、捨草を焚いて酒瓶をあたためる、貝殻を拾つてきて別盃をくみかはす、何ともいへない情緒だつた。苦味生さんの好意にあまえて汽車で熊本入、百余日さまよいあるいて、また熊本の土地をふんだわけであるが、さびしいよろこびだ、寥平さんを訪ねる、不在、馬酔木さんを訪ねて夕飯の御馳走になり、同道して元寛さんを訪ねる、十一時過ぎまで話して別れる、さてどこに泊らうか、もうおそくて私の泊るやうな宿はない、宿はあつても泊るだけの金がない、ままよ、一杯ひつかけて駅の待合室のベンチに寝ころんだ、ずゐぶんなさけなかつたけれど。……

 あてもなくさまよう笠に霜ふるらしい

 寝るところがみつからないふるさとの空

 火が燃えてゐる生き物があつまつてくる

 起きるより火を焚いて

 悪水にそうて下る(万田)

 磯に足跡つけてきて別れる

 耕す母の子は土をいぢつて遊ぶ

 明日の網をつくらうてゐる寒い風

 別れきてからたちの垣

 身すぎ世すぎの大地で踊る

 夕べの食へない顔があつまつてくる

 霜夜の寝床が見つからない

【霜夜の寝床が見つからない】

この日の日記に、「霜夜の寝床が見つからない」の句があります。山頭火は随筆「『鉢の子』から『其中庵』まで」に、次のように述べています。

「あなたこなたと歩きつづけて、熊本に着いたのはもう年の暮だった。街は師走の賑やかさであったが、私の寝床はどこにも見出せなかった。

  霜夜の寝床が見つからない

これは事実そのままを叙したのであるけれど、気持を述べるならば、

  霜夜の寝床がどこかにあらう

となる。じっさい、そういう気持でなければこういう生活が出来るものでない。しかしこれらの事実や気持の奥に、叙するよりも、述べるよりも、詠うべき或物が存在すると思う。」

十二月廿五日 晴、引越か家移か、とにかくここへ、春竹へ。

緑平さんの、元寛さんの好意によつて、Sのところからここへ移つて来ることが出来た。……

 大地あたたかに草枯れてゐる

 日を浴びつつこれからの仕事考へる

   追加一句

 歩きつかれて枯草のうへでたより書く

だんだん私も私らしくなつた、私も私の生活らしく生活するやうになつた、人間のしたしさよさを感じないではゐられない、私はなぜこんなによい友達を持つてゐるのだらうか。

十二月廿六日 晴、しづかな時間が流れる、独居自炊、いいね。

寒い、寒い、忙しい、忙しい――我不関焉!

 枯草原のそこここの男と女

 葬式はじまるまでの勝負を争ふ

 枯草の夕日となつてみんな帰つた

 明日を約して枯草の中

これらの句は二三日来の偽らない実景だ、実景に価値なし、実情に価値あり、プロでもブルでも。

 やつと見つけた寝床の夢も

 餅搗く声ばかり聞かされてゐる

 いつも尿する草の枯れてゐる

 重たいドアあけて誰もゐない