山頭火の日記 ①
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945513084&owner_id=7184021&org_id=1945541106 【山頭火の日記(昭和5年11月8日~)】 より
十一月八日 雨、行程五里、湯ノ原(ゆのはる)、米屋(三五、中)
やつぱり降つてはゐるけれど小降りになつた、滞在は経済と気分とが許さない、すつかり雨支度して出立する、しようことなしに草鞋でなしに地下足袋(草鞋が破れ易いのとハネがあがるために)、何だか私にはそぐはない。九時から一時間ばかり竹田町行乞、そしてどしどし歩く、村の少年と道づれになる(一昨々日、毛布売の青年と連れだつたやうに)、明治村、長湯村、赤岩といふところの景勝はよかつた、雑木山と水声と霧との合奏楽であり、墨絵の巻物であつた、三時近くなつて湯ノ原着、また一時間ばかり行乞、宿に荷をおろしてから洗濯、入浴、理髪、喫飯(飲酒は書くまでもない)、――いやはや忙しいことだ。竹田といふところはほんたうにトンネルが多い、入るに八つくぐつたが、出るに五つくぐつた、それはトンネルと書くよりは洞門と書いた方がよい。
雨だれの音も年とつた
一寝入してまた旅のたより書く
酔ひざめの水をさがすや竹田の宿で
朝の鶏で犬にくはれた
谷の紅葉のしたたる水です
しぐるる山芋を掘つてゐる
ぼうぼうとして山霧につつまれる
いちにちわれとわが足音を聴きつつ歩む
水飲んで尿して去る
ここは片田舎だけれど、さすがに温泉場だけのよいところはある。着いてすぐ一浴、床屋から戻ってまた一浴、寝しなにも起きがけにもまたまた一浴のつもりだ! 湯の味は何だか甘酢っぱくて、とても飲めない。からだにはきけるやうな気がする。とにかく私は入浴する時はいつも日本に生まれた幸福を考へずにはゐられない。入浴ほど健全で安価な享楽はあまりあるまい。造り酒屋へ行つたら、酒がよくてやすかつたので、おぼえず一杯二杯三杯までひつかけてしまつた、うまいことはうまかつたが、胃が少々悪くなつたらしい、明日はたくさん水をのまう。夜もすがら瀬音がたえない、それは私には子守唄だつた、湯と酒と水とが私をぐつすり寝させてくれた。
【湯ノ原温泉】
山頭火は11月8日、雨の中を5里(約20㎞)、竹田を10時ごろに出発して午後3時ごろに湯ノ原(ゆのはる)に着きました。湯ノ原(長湯温泉)は古い温泉場です。
【雨だれの音も年とつた】
この日の日記に、「やつぱり降つてはゐるけれど小降りになつた、滞在は経済と気分とが許さない、すつかり雨支度して出立する」とあり、有名な「雨だれの音も年とつた」の句があります。年とったのは雨だれのはずですが、老い疲れた山頭火が聞くとき、雨だれの音そのものも年とったもののように聞こえたのでしょう。軒から滴り落ちる雨だれの音が妙に耳につき、その単調なくり返しのなか夢かうつつかまどろんでいると、放浪しつづける日々が脳裏をかけめぐります。また耳を澄ませれば、雨だれが相変わらず闇の中に響いてきます。しかし今度は、思い出に囚われていた山頭火にはその音さえも、過去を引きずりくたびれたように感じられるのでした。
【米屋跡】
山頭火が泊まった米屋跡には、「宿までかまきりついてきたか」の句碑があります。
【天満神社】
芹川にかかる天満橋を渡った先にある天満神社境内の飲泉場の右に、「壁をへだてて湯の中の男女さざめきあふ」の句碑があります。
【権現山公園】
権現山公園にも、「まだ奥に家がある牛をひいてゆく」の句碑があります。
十一月九日 晴、曇、雨、后晴、天神山、阿南(あなみ)屋(三〇・中)
暗いうちに眼が覚めてすぐ湯へゆく、ぽかぽか温かい身心で七時出発、昨日の道もよかつたが、今日の道はもつとよかつた、ただ山のうつくしさ、水のうつくしさと書いておく、五里ばかり歩いて一時前に小野屋についたが、ざつと降つて来た、或る農家で雨宿りさせて貰ふ、お茶をいただく、二時間ばかり腰かけてゐるうちに、いろんな人々が来て、神様の事、仏様の事、酒の事、等々々、そのうちにやうやく霽れてきた、小野屋といふ感じのわるくない村町を一時間ばかり行乞して、それから半里歩いて此宿へついた。昨夜の湯の原の宿はわるくなかつた、子供が三人、それがみんな掃除したり応対したりする、いただいてゐてそのままにしてゐた密柑と菓子とをあげる、継母継子ではないかとも思ふ、――とにかく悪くない宿だつた、燠を持つてくる、めづらしく炭がはいつてゐる、お茶を持つてゐる、お茶受としてはおきまりの漬物だが、菜漬がぐつさり添へてある、そして温泉には入り放題だ。朝湯――殊に温泉――は何ともいへない心持だ、湯壺にぢとしてゐる時は無何有郷の遊び人だ、不可得、無所得、ぼうばくとしてナムカラタンノウトラヤヤ……。
今日は草鞋をはいた、白足袋の感じだけでも草鞋はいい、いはんや草鞋はつかれない、足についてくる(地下足袋にひきずられるとは反対に)、さくさくとして歩む気持は何ともいへない。歩いてゐて、ふと左手を見ると、高い山がなかば霧にかくれてゐる、疑ひもなく久住山だ、大船山高岳と重なつてゐる、そこのお爺さんに山の事を訊ねてゐると――彼は聾だつたから何が何だか解らなかつた――そのうちにもう霧がそこら一面を包んでしまつた。家々に唐黍の実がずらりと並べ下げてあるのは、いかにも山国らしい、うれしい風景である(唐黍飯には閉口だけれど)。道ゆく人々がみんな行きずりに、お早うといふ、学校生徒は只今々々といふ(今日は日曜だが、午後は只今帰りましたといふ)、これも山国らしい嬉しい情景の一つである(その癖、行乞の時は御免が割合に多い、未就学児童が、御免々々といふのは何としても嬉しくない)。山々樹々の紅葉黄葉、深浅とりどり、段々畠の色彩もうつくしい、自然の恩恵、人間の力。このあたりは行人が稀で、自動車はめつたに通らない、願はくは風景のいいところには山路だけあれ、車道を拓くべからずだ!頬白、百舌鳥、鵯、等々、小鳥の歌はいいなあ。どこへいつても道路がよくひらかけてゐるのに感謝する、そして道路の事だつたら道路工夫にお訊ねなさい、其地方の道路については彼はよく知つてゐる、そしてよく教へてくれる、決して田舎の爺さん婆さんに道路のことを訊くものぢやない、なあに二里か三里だよといふ、労れた旅人に二里か三里かは大した相違ぢやないか、彼等はよくいふ、ついそこだといふ、そのついそこだが五丁の時もあり、十丁の時もあり、一里の時もないことはない、まあ仕方のない時は小学生の上級生に訊ねると、大した間違はない、もつとも、そこの停車場を知らない生徒もないではないが(因みにいふ、その地方の山の名、川の名を知つてゐる地方人が稀なのにはいつも驚かされる)。今日の道はよかつたが、下津留附が最もよかつた、これについては別に昨日の赤岩附近の景勝といつしよに書く、それはそれとして、今朝、湯ノ原から湯ノ平へ山越しないで幸だつた、道に迷ふばかりでなく、こんな山水を見落すのだつた。
明けはなれゆく瀬の音たかく
あかつきの湯が私ひとりをあたためてくれる
壁をへだてて湯の中の男女さざめきあふ
見る見る月が逃げてしまつた
物貰ひ罷りならぬ紅葉の里を通る
一きわ赤いはお寺の紅葉
電線の露の玉かぎりなし
脚絆かはかねど穿いて立つ
ホイトウとよばれる村のしぐれかな
手洟かんでは山を見てゐる
枯草の日向の蝶々黄ろい蝶々
しつとり濡れて岩も私も
蝶々とまらう枯すすきうごくまいぞ
枯草、みんな言葉かけて通る
剃りたてのあたまにぞんぶん日の光
さみしい鳥よちちとなくかよこことなくかよ
日をまともに瀧はまつしぐら
青空のした秋草のうへけふのべんたうひらく
あばら屋の唐黍ばかりがうつくしい
まだ奥に家がある牛をひいてゆく
山家一すぢの煙をのぼらせて
ぬかるみをとんでゐる蝶々三つ
去年(こぞ)の色に咲いたりんだう見ても(熊本博多同人に)
宿までかまきりついてきたか
法衣吹きまくるはまさに秋風(改作)
ずんぶりぬれて馬も人も働らく
(後略)
【今日は草鞋をはいた】
この日の日記に、「今日は草鞋をはいた、白足袋の感じだけでも草鞋はいい、いはんや草鞋はつかれない、足についてくる」とあります。山頭火はその日記に、時々草鞋について書いています。また、「けふはここまでの草鞋をぬぐ」「だまつて今日の草鞋穿く」の対になる句があります。山頭火のように日々旅から旅へ食うや食わずの生活を送っている者にとっては、夜は一時の憩の時間でした。しかし一夜明ければ、世間師としての辛い現実が待っています。今日食うための稼ぎ、今日の晩の宿賃のための稼ぎを得なくては、本心ではゆっくりのんびり休んでいたい遊びたい、しかし気持ちとは裏腹に、時がくれば腹もへり眠くもなります。それに堪えられない煩悩の世界にいる限りは、だまって日々行乞をしていくしかないのです。何でもないようにうたって、今日もまた生きる。山頭火の感慨を一言で表しています。
【まだ奥に家がある牛をひいてゆく】
この日の日記に、「まだ奥に家がある牛をひいてゆく」の句もあります。「分け入つても分け入つても青い山」の句のように、「まだ」「奥」へと「入って」(ひいて)行く気がします。無音の不思議な「音」が聞こえるようです。
十一月十日 雨、晴、曇、行程三里、湯ノ平温泉、大分屋(四○、中)
夜が長い、そして年寄は眼が覚めやすい、暗いうちに起きる、そして『旅人芭蕉』を読む、井師の見識に感じ苦味生さんの温情に感じる、ありがたい本だ(これで三度読む、六年前、二年前、そして今日)。冷たい雨が降つてゐるし、腹工合もよくないので、滞在休養して原稿でも書かうと思つてゐたら、だんだん霽れて青空が見えて来た、十時過ぎて濡れた草鞋を穿く、すこし冷たい、山国らしくてよろしい、沿道のところどころを行乞して湯ノ平温泉といふここへ着いたのは四時、さっそく一浴一杯、ぶらぶらそこらあたりを歩いたことである。
秋風の旅人になりきってゐる
ここ湯ノ平といふところは気に入った、いかにも山の湯の町らしい、石だたみ、宿屋、万屋、湯坪、料理屋、等々々、おもしろいね。ルンペンの第六感、さういふ第六感を、幸か不幸か、私も与へられてゐる、人は誰でも五感を通り越して第六感に到つて、多少話せる。朝寒夜寒、山の谷の宿はうすら寒い、もう借衣ではいけないらしい、どなたか、綿入一枚寄附してくだされ、ハイカシコマリマシタ、呵々。これは行乞ヱピソードの一つで――嘘を教へる、しかも母が子に嘘を教へる、――さういふ微苦笑劇の一シーンに時々出くわす――今日もさういふことがあつた、――御免、お御免、留守、留守と子供がいふ、子供はさういふけれど母親はゐるのだ、ゐて知らない顔をしてゐるのだ、――子供は正直にいふ、お母さんが留守だといへといつたといふ――多分、いや間違ひなく、彼女は主婦の友か婦女界の愛読者だらう、そして主婦の友乃至婦女界の実現者ではないのだらう。
いちにち雨ふり一隅を守つてゐた(木賃宿生活)
あんたのことを考へつづけて歩きつづけて
大空の下にして御飯のひかり
貧しう住んでこれだけの菊を咲かせてゐる(改作)
阿蘇がなつかしいりんだうの花
人生の幸福は健康であるが、健康はよき食慾とよき睡眠との賜物である、私はよき――むしろ、よすぎるほどの食慾を恵まれてゐるが、どうも睡眠はよくない、いつも不眠或は不安な睡眠に悩んでゐる、睡られないなどとはまことに横着だと思ふのだが。此温泉はほんたうに気に入つた、山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよい、といふ訳で、よく飲んでよく食べてよく寝た、ほんたうによい一夜だつた。ここの湯は熱くて豊かだ、浴して気持がよく、飲んでもうまい、茶の代りにがぶかぶ飲んでゐるやうだ、そして身心に利きさうな気がする、などとすつかり浴泉気分になつてしまつた。
【湯ノ平温泉の句碑】
この日の日記に、「ここ湯ノ平といふところは気に入った、いかにも山の湯の町らしい、石だたみ、宿屋、万屋、湯坪、料理屋、等々々、おもしろいね」とあります。山頭火はひどく気に入ったようです。湯平駅前に、「しぐるるや人のなさけに涙ぐむ」の句碑があります。湯ノ平温泉入口付近の県道脇にもこの句碑があり、碑の下に『行乙記』の一節と山頭火が泊まった大分屋の写真があります。この句碑の近くに大分屋がありました。
http://www.bungobunka.com/pro5.html