日本語は本当に特殊な言語か?
日本語は難しい、日本語は特殊だという意見は散見されます。
日本語は、世界中の他の言語と比べて突出して難しいわけでもないし、特殊な言語でもないと思っていますが、その理由が簡潔に書いてあり、興味深く読みました。(下記リンク参照)
子どもに限らず、日本語初学者が必ず言うのは「ひらがなカタカナの他に、こんなにたくさんの漢字をおぼえるの!?」「イタリア語(英語)なら、アルファベット26字だけで済むのに」「文字だけで3種類もあるなんて!」というものです。
海外で日本語学習をしている子ども達にも「漢字がなければ日本語の勉強を続けていた」「漢字をやらなくていいなら、もっと楽しいのに」等の意見は決して少なくないと思います。
面倒くさいですよね、漢字の勉強。
おぼえてもおぼえても次の新出漢字がある、何回練習してもおぼえられない、しばらくしたら忘れている、漢字をおぼえても熟語が読めない書けない、意味がわからない......
漢字の学習は、まさにこれらとの戦いに近い感じです。
継承日本語に限って言えば、漢字はあきらめる、読み書き能力まで望まないというショートカットも、本人と保護者が納得しているのならアリだと思っています。単に漢字が嫌だという理由だけで、日本語そのものを低学年の段階ですっぱり諦めるよりはずっと良いと思うからです。
ただ、あまり早期に漢字を切り捨てると、そこからどうやって日本語の表現や語彙を増やしていくかという壁に当たるのも事実です。漢字と日本語は切っても切れない関係にあるからですね。
会話さえできればいいのだから文字(漢字)は必要ないと考えるのは、少々短絡的ではないかと思います。
ひらがなだけでどうやって小学4年の国語教科書の語彙を説明したらいいのか?私にとってはこちらの方が難しいように思えます。
成人外国人の日本語学習でもローマ字だけで高度な日本語を習得するのは、やはり限界があると思います。日本人がアルファベットを一切おぼえないで、英語を高度に習得できるのかという話と同じです。耳からおぼえる英会話と言う感じのものになるかと思いますが、その方法で応用力もつけるなら、かなりの会話と聴解の練習を繰り返すことが必要だろうと思います。
わかりきった話なのに、継承日本語教育の場面では漢字は完全に悪役ですね。
漢字そのものが悪いのではなく、日本語の学習方法、インプットの量、カリキュラムの組み方等の問題解決が大切ではないかと感じているのですが、どう思われますか?
私としては、できるだけ漢字もあきらめず、日本語のしっかりした基礎を可能な限り作ってあげたいなという気持ちでいます。