ナイファンチ三段の歪さ
以下の文、私ナイファンチの初段(小)と、全伝(大)。そして、チャンナン大・小の修行から学んだことを、アトランダムで記していきます。
特に、ナイファンチ全伝(大)の最後の部分、すなわちナイファンチ三段と言われる部分を、完全に解明した今、自分の備忘録としても・・・。
かつ、浅才の身で道に迷いつつ学んでいったことで、後学の方々への少しでも参考になるような、道しるべとしても・・・。ここに、記します。
ナイファンチ、ナイハンチ、または鉄騎とも呼ばれる形は、その初段が広く普及していました。
ナイファンチの形は、空手の形の始めであり・・・。そして、終わりである・・・。
などと、言われていました。
それは、入門形であり、最終形であると意味なのでしょう!
でも、そこで取り上げられるナイファンチとは、私の見解では、ナイファンチの初段だけだと解釈されてしまい・・・。
二段、三段の形、は付録、オマケ。あるいは、刺身のつまのような扱いを受けています。
これは、現在も同様です。
上記の如く、ナイファンチの重要性は広く、長く、沖縄空手の修行者の間では、謳われていたのです。
しかし、近代に入って初段も含めて、二段、三段も、空手家個人、そして空手の諸流派では、ゼンゼン重要視されてきませんでした。
ナイファンチのリバイバル、または再評価が起こったのは、拙著「沖縄武道空手の極意」の、発刊を待つ以外に無かったのです。
無理も、ありません。
だって・・・。
ダーレも、初段の形を含めて、ナニをやっているのか?
の意味が、不明だったからです。
まぁ~、ブッチャケて言えば、ホントウは全ての空手の形がそうなのですが・・・。特にナイファンチには、それが酷かったということでしょう。
この形、ナンか、カニの横歩きのような歩法で、意味の解らない事をやっている。
蟹の横歩きはともかく、敵は何処なの?
っという、基本中の基本さえも、定かでは無い形なのです。
その為に、便宜上、対峙する相手は、自分の真正面と左右と言う事になりました。演じる本人の顔が、正面と左右を向くからなのでしょう?!
そして意味の解らん、足を上げる動作は、左右から相手が自分の足を蹴ってくるのを避ける。っという解釈などが、無理やりに作られました。
その後にナンだか良くワカランが、腕を使っての攻撃で、相手に反撃するという塩梅です。
でも相手の足が、私の様に極端に短い場合は、例外として・・・。
相手の足で出す蹴りの間合いと、この腕の攻撃の間合いは、信じられないほどに異なるのです。
一歩相手が入ってくるか、または自分が相手に一歩入る以外に、相手に腕による技が、届くはずが無いのです。
さらには前方で対峙する人間が、二本の腕で同時に突いてくるのを、自分も二本の腕で、上下に受けるっということになりました。
エーッと、ですね・・・。人間は、二本の腕では突きません。
足と手、あるいは二本の腕での同時攻撃と言えば、ナンか相手の反応が鈍化して、ナンだか物凄い攻撃に思えるけど・・・。
打撃系の業・技は腕と脚の一本づつ、あるいは左右の腕を一本づつ出した方が、運動エネルギーと位置エネルギーを効果的に使えるのです。
ですから 相手が完全に自分に対して正対しているならいざ知らず、相手の二本の腕に長短が出来てしまうために、効率が絶対に悪い。
だから、そんな技を人間は出さない!のです。
まぁ、腰を回すな! の説明で、私はいまでも、時々その動作を使いますがね・・・。
さらにナイファンチではダメ出しをされる、腰を回し、肩を出し、地面を蹴り、顔を作るなどという事が、空手の形のダイナミックスさに繋がるのだ。という概念しか持たなかった、我々現代の空手練習者です。
それらの概念からは真逆のナイファンチの形などは、その教えるものを、本気で信じる人間は居ませんでした。
心身操作としてのナイファンチの形では、近代では唯一、「本部の猿」こと、本部朝基・師が、見事な形を使っていますが・・・。残念なことに、武術的用法というものを、彼は学ぶことの出来る世代では、もう在りませんでした。
これらが、誰も本気でナイファンチ、鉄騎の形を真剣に修行することの無かった、理由の一つでしょう。
そして、歴史の流れの中で、そな形は意味が解らないだけでは無く、練習するに値する価値の無いものであるとして、打ち捨てられる運命でしかなかったのです。
あのですね・・・。
ここまでが、漸く初段の評価です。
ナイファンチの二段、三段の形が辿った運命は、もっとヒドイものです。
まず、この二段、三段の存在理由が分からない?
無理もありません。初段の形の存在理由も、形の意味も分からないのに、ナンでその続編にあたるであろう、二段、三段の意味が解るのか? っということになりますもん・・・。
巷では、糸洲先生がナイファンチを初段、二段、そして三段に分けた。
あるいは、糸洲先生が、ナイファンチの二段、三段を作った。
などと、言われています。
ある意味、両方とも正しいのです!?
一応、一般の読者に、私が、修行中に思った疑問を、簡単に以下に記します。
詳しくは、日本時間の4月24日(土)の午前10時から行われる、直弟子限定・オンライン稽古会で、ご視聴なされ、ご質問ください。
ナイファンチの三段が、なぜ他の初段と二段と違って、足の歩数が違うのか?
なぜ、上記の二つの形と異なって、歪なカタチで、左右対称になっているのか?
そして、なぜ三段の形は、同じ動作が二回続けてられるのか?
答から、簡単に記します。詳細は直弟子稽古会(オンライン)にて・・・。
それは糸洲安恒・師が二段と三段を分割し、かつ内容を簡素化した時に、三段は動作が足りなくって、増加(水増し)させたからです。
これは、糸洲師の形の完全解明を果した後で、唖然としつつ、私の中で了解が行ったものの一つです。
すなわち糸洲師の肩の上に乗ることで、漸く見えてきたものの、最大のものの一つだとしても良いでしょう。
特に前回の直弟子限定・オンライン稽古会で説明した、チャンナンの大と小の関係と、その意図するものを解いた時に、この三段の経緯も克明に説明できるようになったものです。
この稿、続きます。