シンガポール歴史散歩@Bukit Pasoh road and Teo Hong road
ブキットパソ ロードは、Bukit(丘)Pasoh(土で出来た壺)で、米と水の貯蔵場所だった丘と使用したていた土の壺を表すマレー語にちなんで名付けられた通り。
19世紀の終わり頃までは、別荘にいくつかのマレースタイルの家、そして家に通じる小路だけがある田舎で、タンジョンパガー ドックへの鉄道が建設された時に発展し始めたそうだ。
道路が完成し、建物が建ち始めると「ミストレス(愛人)ストリート」のニックネームで呼ばれていたそうで、多くの氏族協会や娯楽クラブで有名な通りでもある。
Ee Hoe Heanクラブはシンガポールの最も古いミリオネア クラブの1つ。
1895年に設立されたこのクラブ、表向きは気の合うチャイニーズ系ビジネスマンがネットワークを作り、アイデアを交換するソーシャルクラブだけれど、
メンバーは社会的及びビジネスクラブとして以上に、20世紀初頭の中国の政治的発展に積極的に関与していたと言う。 第二次世界大戦中には東南アジアにおける反日中国救済運動の本部にもなったそう。
20世紀にゴム産業で財を成した有名人タン カーキー(旧日本軍が華僑粛清の時に血眼になって探していた人物)もここの一員だったとか。
日本軍が昭南島としていた時このクラブは日本の軍隊がソーシャルクラブとして使用していて、人が変わっても使用用途は変わっていないと言う・・・・・
今現在ブキットパソと言えば、ここ!
エドワード朝時代後期のバロック様式の複雑な金属細工が特徴のバルコニーがアクセントになった3階建てのパステルカラーのショップハウスが並んでいる。
映画Crazy Rich Asiansのロケ地。
そしてブキットパソと続いていて、言われなければ分からない短い通りのテオホン ロード。
アールデコ調とシンプルなロココ調がミックスされた通り。
福建省出身の大工から後に建物の請負業者になったTeo Hongに付けられた通りで、
彼はジュロンでパイナップルとゴムのプランテーションを所有していたそう。