倭寇って一体何?簡単にわかりやすく解説するよ!【中世アジアの外交事情】
https://manareki.com/wako 【倭寇って一体何?簡単にわかりやすく解説するよ!【中世アジアの外交事情】】 より
今回は日本の海賊、倭寇(わこう)について紹介をします。
教科書なんかで唐突に登場する倭寇。九州北部を拠点として、室町時代、朝鮮半島や明の沿岸部分を荒らし、人々を苦しめた存在として有名です。この記事では
倭寇って一体何者なの?倭寇は具体的に何をしていたの?という2点を中心に解説をしていきます。
倭寇の始まり
そもそも、なぜ日本人が明や朝鮮を襲うようになったのでしょうか。
・・・実は日本人が海賊を始めた理由ははっきりとわかっていません。が、通説みたいなものはあって、日本人が海賊を始めたきっかけは鎌倉時代中期に起こった元寇にあると言われています。
元寇は文永の役・弘安の役を中心とした元による日本への侵略戦争です。詳しくは、以下の記事を合わせて読んでみてください。元寇の話は面白いですよ。
今回は元寇の第2回戦、弘安の役(こうあんのえき)について紹介します。 1274年に文永の役が起きた後、少し間を...
日本は防衛に成功しますが、対馬半島を中心に甚大な被害を被りました。
倭寇の始まりは、この元寇に対する復讐などから始まったのではないか?と言われているんです。
ただ、少し想像してみると、復讐以外にも様々な事情があったのだろうとも思えてきます。例えば、「奴隷として売られた仲間を探しに行く」「戦乱で土地が荒廃し、海賊業で生計を立てなければいけなかった」などなど。
何れにせよ、倭寇の登場には元寇が深く関与していたようです。
倭寇は一体何者なのか?
そんな倭寇ですが、室町時代初期(南北朝時代)になると存在感を強めていきます。
倭寇の勢力は九州北部の島々に集中し、壱岐・対馬に加えて九州北部の松浦地域が中心でした。
そして、一言に倭寇と言っても実に多様な勢力が存在したと言われています。具体例を挙げると大きく3つに分かれます。
1 貧しい人々が集まった荒くれ者集団
2 一族で編成した本格的な水軍集団
3 武装商船(普段は商船だが、たまに海賊行為を働く)
私たちがパッとイメージするのはおそらく1番でしょう。しかし、朝鮮や明にもっとも被害を与え、恐れられていたのは2番の勢力でした。
海賊に1番の印象を持っていると「なぜ大国の明が、海賊ごときに苦しんでいるの?」と疑問に思うかもしれませんが、実際の海賊は本気で編成された水軍に近く、簡単に倒せる相手ではなかったんです。
倭寇は何をしていたの?
壱岐・対馬・松浦の水軍らは朝鮮半島や明の沿岸部分を頻繁に襲撃し、略奪行為を繰り返しました。
島や沿岸部に住む人々にとっては、それは生計を立てる手段であり、貧しい土地で畑を耕して自給自足の生活を目指すよりも、得意の船を使って周辺を略奪する方が手っ取り早かったわけです。
この他にも、倭寇たちは「この海を渡りたきゃ関税をよこせ!」と商船から金を奪う・・・なんてこともしていました。
また、倭寇が活躍していた南北朝時代は、九州地方が戦乱の舞台となっていたため、戦争に必要な兵糧確保のために大陸へ略奪を働いたのでは?なんて話もあったりします。
何れにせよ、倭寇にとって海賊行為は生きるために必要不可欠な手段となっていたのです。
日明貿易と倭寇
そんな倭寇ですが、1404年に日本と明との間の国交が開かれ、公式な貿易が開始されるようになると少しずつですが、勢力が衰えていきます。
倭寇が衰えた理由は、日本が朝鮮や明と安全に貿易をするため、本格的な倭寇対策が行われるようになったからです。
しかも、倭寇対策は日本だけでなく朝鮮や明でも行われていて、朝鮮は倭寇の拠点の1つである対馬に対して武力行使まで行なっています。(これを「応永の外寇」と呼ぶ)
こうして、1400年代後半になると倭寇は姿を消していきます。
おまけ:もう1つの倭寇
ところが、1500年ごろになるとこれまでと違った新しいタイプの倭寇が登場します。
活動場所は台湾などの南方面に変わり、「倭」と言いつつ、その中身はほとんどが中国(明)の人々になっていました。
大陸には明という大国がありましたが、明は正式な手続きを経た一部の商船としか貿易を認めなかったため、自由な貿易ができず、これに困っている人たちが大量にいました。
そこで自由に貿易をするために人々が注目したのが東南アジアの国々でした。明と自由に輸入・輸出ができなくても、明と正式に貿易のできる東南アジアの国々を中継すれば、間接的に明と貿易できることになります。いわゆる中継貿易と言われるものが流行りだしたんです。
そして、中継貿易の普及に伴って南方面に商船が頻繁に行き来するようになると、次はそこで略奪行為が行われるようになったわけです。おそらく、当時のアジア諸国では海賊=倭寇だったので、中身が中国人でもそのまま倭寇の名前が使われているのだと思います。
ちなみに、この中継貿易のおかげで琉球王国(今の沖縄県)はガッポガッポ儲かることになります。(この話はいずれまた別の記事で)
倭寇まとめ
以上、倭寇のまとめでした。
歴史の上では倭寇は前期倭寇と後期倭寇の2つに分けられ、
朝鮮半島周辺で活動し、日明貿易の開始と共に衰えた最初の倭寇を前期倭寇
明の閉鎖的な貿易政策を受けて、東南アジア方面で中国人を中心に活動していた倭寇を後期倭寇
倭寇と一言に言っても、実に複雑ですね。ちなみに、室町時代の話で頻繁に登場するのは前期倭寇になります。(というか、後期倭寇は倭と言いつつ、ほとんど日本人じゃないですしね・・・)