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象潟や雨に西施がねぶの花

2018.03.27 02:45

https://www.minyu-net.com/serial/hosomichi/FM20200224-462351.php  【【 象潟 】<象潟や雨に西施がねぶの花> 憂いを帯びた『美女の趣』】 より

蚶満寺付近から望む象潟の九十九島の景色。左は駒留島。記録的な暖冬で象潟付近も全く雪がない=2月2日、秋田県にかほ市

 象潟は、秋田県にかほ市にあった無数の小島が点在する入り江である。昔から松島と並び称される景勝地として知られた。

 そして松尾芭蕉が訪問を熱望した「おくのほそ道」(以下「ほそ道」)の旅最北の到達地だ。象潟の場面はこう始まる。「美しい景色を数限りなく見て来て、いよいよ象潟に赴く今、期待に心が気負い立つ」(意訳)。芭蕉の高ぶりが伝わってくるだろう。

だが、象潟について何も知らない記者は、ピンと来ないまま2月上旬、列車に乗り込んだ。

 よく変わる天気

1689(元禄2)年6月15日(陽暦7月31日)、芭蕉と河合曽良は、酒田(山形県酒田市)をたち、吹浦(ふくら)(同県遊佐町)で1泊した後、翌16日、雨の中を象潟のほとりの集落、塩越にたどり着いた。折から塩越では熊野神社の祭り。芭蕉たちは混んだ宿を変えるなど、気ぜわしく過ごしつつも、海に近い象潟橋で雨の夕景を楽しんだ。

 翌17日は、待望の象潟巡りである。水辺の蚶満寺(かんまんじ)から絶景を楽しみ、昼には雨も上がり日が差してきた。さらに祭礼での踊り見物、夕食後は舟での象潟遊覧と、バカンスさながらの様子が曽良の「日記」には記される。

 この事実に基づきながらも、「ほそ道」では、しっとりとしたドラマが展開される。

 例えば象潟への道中。右手の鳥海山は雨で見えない。「雨も又奇(き)也(雨もまた味なもの)」だが、雨上がりの景色も期待できると、浜辺で野宿する。翌朝は一転晴れ上がり、朝日の中、象潟に舟を浮かべる―。この雨景と晴色との対比、実に美しい。

 ただ、分かりやすい演出だなと記者は思っていた。しかしだ、象潟駅に降り立ちしばらくすると「演出でもなさそうだ」と思い始めた。現実の象潟も、実に天気が変わりやすいのだった。

 心を騒がす風景

 空模様を気にしつつ記者は、まず道の駅象潟「ねむの丘」の展望塔に上った。そして、陸の方角を望むと、芭蕉の高ぶりが一気に腑(ふ)に落ちた。

 国道7号と山裾の間の枯れ野に、小ぶりな丘が無数にある。かつて入り江だった象潟は、1804(文化元)年の地震で隆起し陸になった。点在する小丘は、すべて当時の小島だ。さらに遠景には、鳥海山を盟主とする山並みがそびえ、振り返ると日本海。巨大で現実離れしたパノラマを完成させている。

 この心を騒がす風景を、芭蕉は美女にたとえた。

 〈象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花〉。象潟の美景の中、雨にぬれる合歓(ねむ)の花は、眠りについた西施の面影を彷彿(ほうふつ)とさせる、の意(佐藤勝明氏訳)。西施は、越の国から呉の国王に献上された中国古代の美女のことだ。

 芭蕉はこうも記す。「象潟は松島に似ていて、また違う。松島は笑うようで、象潟は恨むようだ。その土地の趣は(悲しい境遇の)美女が憂いに閉ざされているようだ」(意訳)と。

 確かに、先刻までの青空がうそのように降り出す小雪の中、田んぼになった昔の島々の間を歩きながら見る風景は、憂い顔の美女を思わなくもない。しかし、少々渋すぎではないか...。

 すると訪れた蚶満寺で、修行中の横山智弘さん(29)が「象潟を見るなら田植えの頃が一番」と教えてくれた。春には小丘群の間の田に水が張られ、その風景は、しっとりと美しく、海だった象潟を思わせるのだと言う。

 とぼとぼと季節はずれの旅人か―とつぶやきつつ戻った道の駅で、うどんをすする。すると店の佐藤洋子さんに「芭蕉が象潟で最初に食べたのは、うどんだったのよ」と言われ驚く。確かに「日記」にあった。そこへ佐藤さんの夫と、にかほ市観光案内人協会の伊藤良孝さん(78)が現れ「〈汐越や鶴はぎぬれて海(うみ)涼し〉の句は、海に足をつけた女性の立ち姿を詠んだ」と語り、ついでに「松島が鈴木京香なら、象潟は壇蜜」なんてことも言う。

 ああ、この雰囲気、象潟の場面を締めくくる3句と同じだと思い当たった。それぞれ、祭りの食事、夕涼みする家族、岩の上のミサゴの夫婦を詠んだ曽良たちの3句は、スナップ写真のように、土地の人の温かさ、家族の情を写し出している。象潟の場面の秀逸なエピローグである。


http://www.basho.jp/senjin/s1407-1/index.html  【象潟や雨に西施がねぶの花】 より

芭蕉 (おくのほそ道)  より

 象潟の景色。雨に濡れた合歓の花は、まるで傾国の美女と言われた西施が憂いに沈んで眠っているようだ、という意。象潟の憂いを含んだ景色を称えている。「ねぶ」と「眠る」を掛けて表現。象潟は芭蕉が「松嶋は笑うが如く 象潟はうらむがごとし」と述べたように、松島と並び『おくの細道』においてヤマ場の歌枕である。松島では句を記さなかった芭蕉だが、象潟では二句詠んでおり掲句はそのうちの一句。ただこの句の初案は

     象潟の雨や西施がねむの花    (『曽良旅日記』俳諧書留)

であった。何故芭蕉は推敲したのか。現代に俳句を詠む者として考えてみると、まずリズムの上から、初案が中七の途中で「や」を使っているのに対し、推敲句は上五に「や」を置いている。俳句には本来5・7・5のリズムがあり、中七の途中で切れ字の「や」を使うとそのリズムの効果が薄れてしまう。明らかに推敲句が上である。

 一方内容面で言うと、初案では「象潟の雨」と「西施がねむの花」と並列的に読まれるのに対し、推敲句ではまず「象潟や」と大づかみにし、「雨に西施がねぶの花」と視点を「ねぶの花」へ移動する。後者の方が大景から小景への転換が鮮やかで合歓の花が浮きあがって見える。

この二つの点から私は推敲句が上回るのは間違いないと思う。