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日本古典と感染症

2018.03.26 12:22

https://www.nijl.ac.jp/koten/learn/post-14.html 【日本古典と感染症】より

新型コロナウイルス感染症に際して、当館館長 ロバート キャンベルから皆様へメッセージをお届けします。

国文学研究資料館は、たくさんの古典文学を原本とそのデジタルイメージの形で所蔵しています。そのなかには、江戸時代にたくさん書かれた日本で流行した疫病に関する物語や詩歌、医学書なども含まれ、当時の人々がどのように厄災と向き合い、乗り越えていったのか、今に役立つ有益な情報が、美しく豊かな絵とともに記されています。今回は、その一端を紹介する動画を作りましたので、ぜひ自由にご覧ください。

江戸時代、日本列島の人々が疫病などの厄災を乗り越えてきたように、私たちも今の状況を乗り越える時が必ず来ます。その過程で、日本の歴史文化、古の文学の中から、コロナウイルスと戦う希望の種を見つけられるのかもしれません。

【館長 ロバート キャンベル メッセージ全文】

(国文学研究資料館とは?)

 こんにちは。国文学研究資料館のロバート・キャンベルです。

 国文学研究資料料館という名前を聞いたことがない方が、多分多いと思うんですけれども、ここ立川市、東京からちょっと西のほうに離れた、すごく広々とした場所におります。50年ほど前に設立された、もともと国の機関、大学共同利用機関といいまして、1つの大学ではちょっとできない、アーカイブをつくったり、共同研究を促進したりするための日本独自の教育・研究、そしてデータの集積、ナショナルセンターというふうに考えていただければよいかなというふうに思います。

 この、私の、今、周りを見ていただけますように、たくさんの古い文献がここにあります。私は今、この国文学研究資料館の船底のような大きな収蔵庫の中に座っていまして、お話をしているわけです。ふだんは司書の方々が出たり入ったり。世界中からたくさんの利用者が、私たちの図書館、あるいは私たちのギャラリーもありますけれども、研究者たちが世界中から集まってここを使うわけですが、残念ながら、今の新コロナ感染の拡大、パンデミックに当たって閉館をしているところです。私は館長ですので、きょうは特別にこの書庫の中で話を少し皆さんにしようと思った次第です。

 ここは何か、どういう本なのかということの話から始めようと思うんですけれども。こういった江戸時代の書物、あるいはそれ以前の書物を実際に多くの方々、日本人であっても手に取ってひもといたことは多分ないと思うんですね。とても軽いんですね。で、大きさはさまざま。いろいろな特徴があるわけですけれども。

 今、足を運んで、ここ国文学研究資料館に実際においでいただけないかわりに、私たちは数十年前から少しずつ、情報通信の技術の進歩とともに、ここにあるような何十万冊の和古書、古典籍、こういう古い糸とじの本を画像にとり込んで、書誌データ、研究データ、いろいろなデータと一緒に整理をして、ウェブサイト、私たちのホームページに載せて世界中に無料で文化資源として提供しているわけです。今なかなか、古書店に行く、美術館に足を運ぶ、あるいは我々の図書館のようなところに来ることはできない。そのかわりに、今だからこそ、電子情報としてまずは私たちのウェブサイトに、ログインをする必要は全くありませんで、自由に中に入り、さまざまな資料、材料、例えば学校が休校になったお子さんたちが家にいらっしゃるような家庭であれば教材としても使えるかもしれない。たくさんの、遊べる、学べる、見て何かを気づく、あるいは勇気づけられる資料が、実は私たちのところにオンラインでアクセスをすることができます。

 それとあわせて、こういう本ってどういうものなのかということを同時に知っておかないとおもしろくないですよね。少し、日本の和古書の特徴をきょう紹介をさせていただこうというふうに思っております。

(古典籍の特徴)

 まず、日本のこの古い文献には幾つか特徴がありまして、私は大きく分けて3つあるように考えています。

 1つには、とてもたくさんの絵が入っているということです。もちろん、日本の漫画、アニメはサブカルチャーとして有名ですけれども、江戸時代、室町時代、鎌倉、あるいは平安時代にさかのぼってまで、実は日本人は、仏教であるとか、儒学であるとか、あるいはいろいろな、例えば医療ですとか植物学、環境を学ぶときに、文字だけではなくて絵をたくさん見て学んで、共有をしている文化があります。絵入り本というふうに私たちは呼んでいるわけですけれども、中国や朝鮮半島、あるいはヨーロッパと比べても、絵と文字の共有、合わさった形ということが日本の古い本の特徴です。そうしますと、今どんどんデジタル化していきますと、世界中の人々が言葉とは関係なく、国を越えて、海を越えても絵として直感的に情報を取り込むことができるわけですね。それが1つの特徴です。

 もう1つは、日本人は、文字というものが日本列島に中国から渡ってきてできて以来、とてもたくさんのことを観察し、記録をしています。つまり、観察記録を日本人は奈良時代、あるいはそれ以前からいろいろな形でしているわけです。その背景としては、自然災害が多くて自然が常に変わる。四季が非常にはっきりしていて、場合によってはそれが生活を脅かすような状況。戦はもちろんあるわけですね。その中で、人々が淡々と自分の身の回り、社会、インフラ、あるいは自然の変動というものをとても細かく、それを見て記録する。

 多くの国々と違って、日本は一度も実は日本語を失ったことはないんです。これは、日本人からすれば当たり前に聞こえるかもしれませんけれども、多くの場合は、地球上、一度、例えば植民地になったり、ほかの人たちが攻め入って言葉が変わる、交代をするということ、私は英語が母国語ですけれども、まさに11世紀に英語が大きく変わるという歴史的な事件が幾つもあるわけですね。日本語は日本語としてずっと、8世紀、9世紀あたりから仮名というものができていて、ずっと日本語で書かれて、そしてそれが残る。今、周りを見ていただけるように、人口や国土の割には、日本にはこういう古い文献が残る、伝世する、伝来をする割合というのは、世界の中でも本当にピカイチじゃないかと思うぐらいに残してくれているわけですね。

 3つ目の特徴。これは、現在のように、図書館に入ると、あるいは書店に入りますと、文学は文学、漫画は漫画、雑誌は雑誌というふうにすごくきちんと分類されているわけですけれども。江戸時代、あるいはそれ以前は、文学の中に植物学の情報が入っていたり、あるいは例えば女性の健康、女性はどういうふうに健康を保ち、生きるかということを書かれた医学書の中に歌がたくさん書かれていたり、歌と絵とそれから役に立つ情報が一緒になって今でいう文学をつくっているわけです。ミックスメディアという言い方をしてもいいかもしれません。そういう、いろいろな分野を超えながら、日本人はさまざまなことを記録し、そして特に江戸時代に入ってきますと都市文化がとても成熟をするので、ものすごく洗練された表現、こういうものがたくさんあるわけです。

(古典と現代のコラボレーション)

 ここ、国文学研究資料館の中で私たちは文学研究だけをしているわけではないんです。例えば食事。日本人は、地球の中でも、世界の中でもグルメが多くて、三つ星とか四つ星とかという、本当に日本は料理が大好きですけれども。

 江戸時代には、料理をつくる、いろいろな人たちが力を合わせて料理をつくって一緒に食べるという文化があります。ここに1冊ありますけれども、レシピ集、料理本がたくさんあるんですね。18世紀の大阪で出版された『豆腐百珎』という、読んで字のごとく、100種類の豆腐料理がレシピとしてずっと書かれているわけですね。すごく簡単につくれる、本当に冷や奴のようなぱっと出せるようなものもあれば、二、三日仕込んでおいて発酵させるようなものもありますし。これ、すごくおもしろいんですね。田楽を焼いている女性たちのかわいらしい挿絵があったりするわけですが。

 ここ、国文学研究資料館では、3年ほど前に大きな百貨店とコラボレーションをして、デパ地下の料理人たちと一緒に江戸料理を復刻する、200年、300年、誰も食べていない、でもおいしいかもしれない料理を一緒につくって、江戸料理フェアを行って、デパ地下でセミナーを開いたりするというようなことをしました。実は今、コラボレーションをすれば、おもしろいこと、イノベーションできるかもしれない。そういう小さなドングリが、日本のこういう古い書物の中にいっぱい詰まっているわけです。

(古典のなかの感染症)

 私たちは今、この新型コロナ感染症、パンデミックの真ん中にあります。苦しんでいる、あるいは不安な日々を送っている人たちはたくさん、今この動画を見ていらっしゃる方々の中にいらっしゃると思いますし、世界中にいるわけです。実は、江戸時代以前からずっと感染症、つまり疫病というものとともに日本の文化、日本の社会というものが歩んできた長い歴史があり、こういう資料の中には200年前、500年前の人々がどういうふうにそういったことに向き合って闘い、そういった疫病がピークを超えて治った後に社会をどういうふうに再生させるかという知恵が、実は古典の中にいっぱいあるんですね。

 私は18世紀から19世紀の江戸で書かれた文学が専門ですけれども、こういう伝染病について書かれた文学作品がたくさんあります。江戸の人たちはすごく、何て言うんでしょう、口が悪いというか、粹というか、何でもパロディにする、本当にお笑いが大好きな人種なんですね。僕はそれがすごく好きで、いろいろなものを読みますけれども。伝染病とお笑い、それをパロディ化したり、何か笑って済ませるような話では決してないわけですね。

 ただ、江戸時代の中でいえば、薬も、抗生剤であったり、治療法であったり、予防注射って当然ないわけで、どうして病気が蔓延するのか、どうすれば治るのか、治らない人、かかった家族をどういうふうに看病したり、亡くなった方々をどういうふうに見送りをするかということは、本当に生きる上での大変な状況であったんです。20年、30年ごとに病気が、1人の人生の中で2度、3度ぐらい、波のように入ってくるわけですね。

 江戸時代の有名な小説家の中に式亭三馬という戯作者がいます。式亭三馬の作品の中に実は1803年に江戸を襲ったはしかの感染、それに当てて書かれた、ちょっとコミカルな小説があります。その名は『麻疹戯言』という書名ですけれども。まあ、この疫病というものを笑い飛ばすというか、人々が町の中を右往左往しながら、どうしようか。距離を置くということはわかる。だけれども、現在と同じように、誰も来なければ店が干上がってしまう、生きていけない、その問題。いろいろな人たちの、いろいろな分野やあるいは身分の人たちの状況をコミカルに笑いで一度浄化をする、そういう小説になっているわけですね。

 こういうふうに始まります。ちょっと現代語訳に訳してみましたので、お聞きください。「今年の夏あたりから男も女も関係なく、三十歳ぐらいの人々は次々とこういう歌を歌っている。寝るのはもったいない、早く医者の薬が効いてほしい、昨日も今日もはしかに悩まされるばかり」。そういう歌なんですね。「うめきながら、彼らが飲むもの食べるもの、全部味がしない。ひとりぼっちで体調が回復するまで12日間を指折ってふとんの中で待つ以外ないのである。その状況は、えらい人、えらくない人の区別はまったくなくて、一番上のえらい方は玉の御簾の内、その隙間から漢方薬の匂いが、炊きこめた伽羅の甘い香りよりぷんぷんと匂ってくるし、下々では、馬の世話をする下男まで咳でハスキーな声を作って、それは職業がら似合うかもしれないけれども、馬はとめても止まらない咳でだいぶ苦しんでいるご様子」。そういうふうに始まるわけですね。淡々と、いろいろな人、いろいろな身分の種々相を軽やかに、でも情報として、どういうふうに人々がどういう状況を共有しているかということを書き。

 私たちはソーシャルディスタンス、距離を置きながら、一方では連帯感を持つことを、今、多分、世界中の人たちは一番それを求めているわけですね。江戸時代の中では、これは前近代で近代的な医療は全く発達していないけれども、書物を通して情報を共有する。そして、同じ気分、同じ不安である。自分はひとりではないということを、こういう1つ1つのストーリーを通して、音読をして、読み上げて、周りの人たちをふっとちょっと、笑っちゃいけないけれども、笑わせることによって気分を落ち着かせるというような、そういうことがこの江戸時代にあるわけです。

 これも19世紀、1824年、文政7年にはしかがもう1回やってくるんですね。24年後ぐらいにやってくるわけですけれども。『麻疹癚語』という、これも小説ですね。非常に軽妙な、江戸のふだん繁盛している場所、歌舞伎の劇場ですとか、吉原のような遊郭ですとか神社仏閣、それこそ週末になるとみんなが駆け込んで買い物をしたり、楽しめるような場所、みんながいなくなっているわけですね。人のいない江戸ってどういうものなのか。そこに残され、お客が来ないと生きていけないかもしれない人々の嘆き、これも非常に絶妙のちょっと笑いで描いているわけです。

 こういう口絵がありますね。これは吉原の大門のすぐ近くにあったという薬屋さんのお店の店頭なんですけれども。遊郭の中はがらがら。花魁たちがみんな、とにかく何もすることなく退屈に過ごしているけれども、すぐ近くに薬屋さんがものすごくはやっているわけですね。「何とか葛根湯」ですとか、いろいろな薬を人々が買い出しに来て、そしてそれを持っていくという。大繁盛しているという、そういう状況が描かれたりするわけですね。

 もちろん、同時にまじめな医療書、こういう医学書、当時の医学のことがいろいろ書かれた、片仮名・漢字まじりの、一般の人も医学的な知識が身につくような本もたくさん書いているわけですね。

 こういうふうに、社会が感染病という、貴賤もなく、身分とは関係なく、あらゆる人がかかって、コレラを含めて幕末には何十万人が日本で亡くなっているという数字、データもあるわけですけれども、その中でどういうふうに生きていくのか。

 ちょうど明治維新の10年前に、安政5年、1858年にコレラがはやるわけですね。当時は本当に短期間で重症化して亡くなるということで、「コロリ」というふうに呼んでいたわけですね。コロリと倒れてしまうということです。

 ここに、安政の年の『頃痢流行記』という、これも出版物、木版で出版され、たくさんの人たちが読んでいた書物ですけれども。こういうふうに折り込みの多色刷り、ちょうど浮世絵と同じ技術でつくられた絵があります。本当に悲惨な景色が描かれています。たくさんの人たちが亡くなって、遺体をどういうふうに処理するのか。処理する場所がない。当時は冷蔵施設がなくて、棺桶に遺体を入れて焼き場に持っていくわけですけれども、順番待ちでなかなか丁寧に野辺送りができない。

 江戸の人たちはこういうものを、ちょっと我々がそれを見て目をそらしたくなるような景色を直視しているんですね。直視をすることによって、自分はできるだけあの病気にはなりたくない、気をつけるということ、そういう効果もあるかもしれませんけれども、現実を見据える。厳しい状況を見据え、そしてそれを共有をしてお互いを支え合うということが、この国のその時代にもあったわけですね。

 絵がたくさんありまして平仮名で書かれているので、本当にあまり文字が読めない、若い人でも読めるような物語仕立てになっているわけですけれども。ある若い人が亡くなって、ずっとその葬式、葬送を、田舎道をずっと歩きながら、家族が野辺送りをするような口絵、挿絵が描かれています。これは全部物語になっていて、いろいろな人の実話に基づいて、それを少し脚色をして書いているストーリーもありますし。

 例えば、湯島にこういう貧しい夫婦が暮らしていまして、寄り添ってこつこつと暮らしているわけですけれども、旦那さん、稼ぎ頭ですよね。でも、だんだんと稼げなくなってしまう。奥さんがちょっと無理をして、夜、内職をして稼ぐ。その中で彼女はどんどん疲れて、疲弊をして、病気が悪くなってしまって、奥さんが先に亡くなってしまうんです。で、近所の、町内の人たちがその夫婦を見て、かわいそうだと思って、見かねてお金を出し合って葬式をあげるんです。家族じゃない人たちがお金を出し合って、お葬式をあげる。江戸時代の町の中ではこれは時々あったことですけれども。

 お葬式が終わってその夜、お寺で、焼き場でお坊さんがお経を読んでいるところ、奥さん、亡くなったばかりのその妻が亡霊となって戻ってくるんですね。枕に立ちます。そして、自分は浮かばれない、解脱ができない。自分の夫がまだ癒え切っていない。自分がいなければ生きていけるのか、どうなのか、それが心配でならないということを夜な夜なやってくる。そういうことで、その周りの人たちは少しずつ、その残された夫を支援をしたり、気遣ったりするというような、まあ、あることないこと、これ、かなりファンタスティックな奇談、幽霊が出てくる話ですけれども。

(パンデミックを乗り越えるために)

 根本は、こういう極限状態の中でひとりでは何もできないよね。いろいろな、お金がある人たち、ない人たちもいるけれども、感染病になると、関係なく社会全体として越えていかないと1人1人が生き残れない。そういう切迫した場面と、それから先ほど紹介しましたように、ちょっと余裕を持って斜に構えてみて、いろいろな角度から考えることができる場面。実際に、江戸時代、いろいろな方々、火事もそうですけれども、何か災いが起こるとリバウンドがとても早いですね。リバウンドが早いというところには、やっぱり、定期的に、周期的にこういう災いがやってくるということもあるけれども、社会としての力、底力ということをそこで試されるように思います。

 私は、このパンデミックの最中にあえてここ、閉まった、人けが本当にない、この国文学研究資料館の書庫の中から皆さんにお伝えしたいのはそういうことですね。今、動かない。家の中にいて、それぞれがしばらく、この病気がカーブがフラットになっていって、私たちがリバウンドができるように経済が回り始めるまでの間、あるいはその先のところに気力が絶えないように、一度立ちどまって、100年前、200年前の人々がとても共通している同じような状況にいて、彼らを勇気づけたものが何だったのか、どういうふうにお互いを支え合ったのか、あるいはどういう厳しい状況があったのか、そこにも目を向け、あるいは耳を傾けることが、私たちにとって実はとても大事な、大切な共同の経験、1つの資源、リソースになるんじゃないかなというふうに思っています。

 ぜひ、このパンデミックを乗り越えて、また遠くないうちに、東京、ここ立川に、もしよろしければぜひ足を運んで、リアルにこの国文学研究資料館、私たちの仕事を目の前にして、使って、一緒に学んでいきましょう。