木辺成麿氏(4)
このサイトで皆さんがよくご覧になるのが、「木辺成麿氏」についての記事です。木辺氏と言えば、1970~1980年頃の天文少年にとっては、老生した反射鏡研磨の大家としてのイメージがありました。その木辺氏に青春の日々があり、アマチュア天文家として躍動していた時期があったということは、私にとっても大きな驚きでした。
木辺氏と伊達英太郎氏とは同年(1912年)生まれということもあり、とても親しい間柄だったようです。今一度伊達氏のアルバムから、木辺氏の足跡を辿ってみたいと思います。
1934年初め頃の木辺観測所です。ご実家(真宗木辺派の本山錦織寺)の境内に建てられた、スライディングルーフ式の観測所です。
木辺観測所の主砲である26cm反射赤道儀が写っています。伊達氏の記述では、25cmと記載されています。26cm反射鏡(F9,2340mm)で使用された接眼レンズの焦点距離は、4mm・5mm・6mm・9mm・12mm・15mm・25mmだったようです。1934年(昭和9)4月の完成したばかりの観測所と観測機材の姿です。
1934年(昭和9)6月27日に木辺観測所を訪問した、伊達英太郎氏と反射赤道儀です。ここには30cmと記入されています。実は、木辺氏は1935年(昭和10)に31cm鏡を完成させ、26cm鏡と交換しています。そのこともあり、伊達氏は30cmと記入されたのではないかと思います。
1935年(昭和10)頃の木辺氏とアマチュア天文家仲間です。木辺氏はこの時、無給でしたが花山天文台員でした。
(参考文献)
日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987
錦織寺,Wikipedia,2021.3.28閲覧
(写真は全て伊達英太郎氏天文写真帖より)