ふと今日、思って決めたこと。
今開催中の愛知県瀬戸市のtalo-Kさんでの展覧会。今週末でいよいよ終幕です。
ホントにね、よくもまぁこんなにいい感じにやらせていただけるものだと。
来場してくださる方にも恵まれ、本当にね、毎日ありがたい限りですよ。
で、そんな事考えてたら、なぜかふと思いついたのですが。
あと4年後の2020年で、僕はちょうど半世紀生きた事になりまして。
半世紀よりあとの事をなんとなく想像してしまったのです。
50歳になった時。
今より作る意欲を失ってはいないか?
今よりも体力が落ちてはいないか?
今よりも稼ぐ仕事が下降していないか?
これらの件、どうなんだろう?とか、珍しくマイナス面から考えてしまったのです。
でも、もちろん、そんな未来は嫌。僕はそんな風にはなりたくないのです。
なので、ちょっと決めたこと。
50歳になるまでの3年半ほどの間ってのは、ちょうど高校生が入学して、卒業していく
くらいの長さに等しいわけです。
だから、僕もここから50歳になるまでの間は、来るべき未来、自分のこうなっていきたい未来の
描く放物線のようなものをよくよく詠み、そのラインに合わせた滑走というか、打ち上げと言うか、そのための努力を本気でやんないとな!とね。
だから50歳になった時に、描く未来の軌道に到達していなかったらもう作る事とか、いっさいやめ。ここにきてわかる、やっぱり美術なんて自分には向いていなかったという事として理解しようかと。
短絡的ですがそれくらいの気持ちでここ数年を過ごさないとな。
もちろん、作る事はやめたくない。やめたくないけど、なんていうの?本当にその事に向き合わなくてはイケナイ時期が来つつあるのだと思うのです。
ある評論家の人が言ってた。
クリエイターが作んなくなったら、死んでるのと同じだよ・・・って。
死は、来るんよね。生まれて半世紀過ぎたら、その影は少しずつ今より迫ってくると思う。
でもそれは生理的な死だ。それは避けられないとしても、生きてるまま死んだようにはなりたくない。
じゃぁ、どうする?
作る事でこの先も生きていきたいと決めたわけでしょ?
本当は作りたいもの、腹の中にゴボゴボいってるわけでしょう?
だからやっぱり、しっかりやってくしかない。形にしていくしかない。
今よりももっとド素人みたいな気持ちで、ホントの意味で真剣に立ち向かっていかなくては
ならないのだと。それが半世紀を越えても飛び続ける事が出来る要因の1つではないかと。
以上、記念日でも休日でもなんでもない、平日の作業中に思いついて、そして決めたこと、でした。
さぁ、ここからが勝負ドコロなんだよなきっと。誰かがどうとかはもう関係ない。
この展覧会が終わったら自分との本当の戦いのスタートが、切られていく。
そんな予感がしているんだ。