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横浜発、地域と地域を映画館でつなぐ「全国ミニシアター地域交流上映会」開催!佐野史郎、井浦新、大西信満がオンラインで登場

2021.03.29 08:00


3月21日(日)、広島・尾道の映画館・シネマ尾道にて、イベント「全国ミニシアター地域交流上映会 尾道×横浜」が行われました。

このイベントは、横浜と他地域の映画館との交流上映会を行うもので、お互いの地域に根差した魅力を持つ映画を交換上映しながら、ゲストなどを招き映画や地域の特色などをオンラインによるイベントでトークを披露、街の魅力発信に向き合っていくというもの。

この日に先駆けて1月には横浜でイベントが行われ、広島の映画として昨年逝去された尾道出身の大林宣彦監督による遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』が上映されており、今回は広島側のタームとしてイベントが実施され、横浜の映画として1994年に公開された私立探偵 濱マイク シリーズ 第一弾『我が人生最悪の時』が上映されました。

さらにゲストとして俳優の佐野史郎さん、井浦新さん、大西信満さん、さらに横浜の映画館・シネマ・ジャック&ベティ支配人の梶原俊幸さん、横浜シネマリン代表の八幡温子さん、『ヨコハマ・フットボール映画祭』の実行委員長を務める福島成人さんがオンラインで登場、広島はシネマ尾道の支配人・河本清順さんの司会により、映画にまつわる話や横浜の映画事情などがトークショーにて披露されました。


1.横浜の映画館

この作品の舞台は横浜・黄金町。当時はまだこの地に実在した映画館・横浜日劇の2階が主人公・濱マイクの探偵事務所という設定で、この物語は描かれました。


ジャック&ベティは同じ黄金町で、この横浜日劇とともに横浜の映画館を楽しませていた「横浜名画座」が前身となる映画館であり、1991年にジャック&ベティと名称を変更。その意味では横浜日劇とも密接な関係にあった場所といえるでしょう。

また八幡さんはもともとジャック&ベティのファンでもあったという映画通。横浜の文化を守ろうという意志の元にシネマリンを復興に導いたといいます。そしてその裏には、同じく尾道の映画館としてシネマ尾道を復興に導いた河本さんの助けがあったと振り返ります。


かつて撮影でジャック&ベティを訪れたという井浦さんも、横浜の思い出としては「ジャック&ベティしかなかった」とコメント。「良き時代の面影が残るときに撮影させてもらった、その香りをほんのり感じた思い出がある」とご自身が感じた雰囲気を振り返ります。

中学校、高校と横浜で過ごしたという大西さんは、もともと自分たちの映画の企画書を横浜の日劇に売り込みに行ったことを回想。劇場側も乗り気となってもらえ、林海象監督の口添えもあったことで自身のデビュー作となったことから「深い縁がある」と振り返ります。

横浜の映画関係者で作る「横浜シネマネットワーク」のメンバーでもある福島さんは、横浜のさまざまな「映画祭」を紹介。自身が深く関わる「ヨコハマ・フットボール映画祭」をはじめ、今年で42回の開催を迎え、もはや市民映画祭の草分け的存在でもある「ヨコハマ映画祭」、さらに「横浜みなと映画祭」「横浜中華街映画祭」などさまざまな映画祭があることを紹介し、「月に一度くらいは何らかのイベントがありますので、是非横浜に来たら中華街で食事の後に訪れてみては?」とアピールされました。



2.「私立探偵 濱マイク シリーズ 第一弾『我が人生最悪の時』」の思い出

この作品に出演された佐野さんはデビュー作『夢見るように眠りたい』より本作を含め、作品を手掛けた林海象監督と長い関係があり、27年も前のことを「そんなに前ということを感じない。林監督の作品はいつもそんな感じなんですよね」と語ります。

またそのデビュー作が当時の時代としては異例だったモノクロサイレント映画で、同じくモノクロ作品である本作は、ある意味林監督の再スタートを追体験しているようにも感じた一方、本作の参加に関してはある意味隠し味的なキャスティングで作品作りを外から見ているような位置づけで現場を見ていた中で、林監督が生き生きと撮影に向き合っていたことを振り返られました。


3.尾道という場所

この日は俳優陣それぞれの、尾道という場所の印象についても触れられました。何度も広島に訪れている井浦さんは「どこにいても海を感じられる環境」と、尾道駅周辺の山のふもとからすぐ海が見える景観が印象的であったことを語ります。また大西さんは「圧倒的にラーメンが美味しかったです!このためだけに(広島に)行きたいくらい」と尾道のラーメン事情にかなり魅かれた様子。


河本さんとの親交も深く度々広島に訪れている佐野さんは、ご自身が傾倒する小津安二郎監督作品や大林監督らと深く関わりがある意味でも「心のふるさと、というか。第二の故郷といってもいい」と、この地に深い思いがあるとコメント。ちなみに佐野さんの出身である島根・松江と尾道は姉妹都市でもあります。


4.ミニシアターという存在への思い

また佐野さんは、かつて茨木にあるミニシアターの個性的な支配人の気骨に触れ、映画館が町を変えていくというその様を体感し影響を受けたことを振り返りながら「そういった映画館が、尾道にもあることを羨ましく思います。(ここにいれば)子供のままでいられる。そんなことに感謝したい」と、シアター尾道に同じような思いを抱いたことを明かします。その話を受け河本さんは感激。合わせて、井浦さんをはじめ多くの映画人が積極的に参加されているミニシアター救済プロジェクト「ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金」などの活動で大きく支えていただいたことに対して、改めて感謝の言葉を述べました。

「ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金」や「Mini Theater Park」などの活動に勤しまれている井浦さんは学生の頃、東京の中央線沿線上に多く存在したミニシアター、当時はアートシアターなどと呼ばれていた小さな映画館に傾倒し、大きな映画館ではなかなか見られない貴重な映画に触れる楽しみを多く味わい、自身にとってかけがえのない宝物であったと語ります。

また、井浦さんのデビュー作『ワンダフルライフ』は、かつて渋谷に存在した渋谷シネマライズ(現在はライブハウスに様変わり)で上映され、自分の姿が初めてスクリーンに映し出されるという経験をされたこともあり、現在はなくなった映画館ではあれど未だに映画談義となると話にも登場することから「みんなの心の中にあるんだ」と改めて感じている様子。

さらに今回こうしたイベントが開催されたことに関して、直接現地に出向く日が早く戻ることを望みつつも、イベント自体の趣旨に賛同し「2回、3回と開催していただき、いろんな地域とつながってもらいたい」と、このイベントの可能性に期待する旨を語り、イベントを締めくくりました。