「渋沢栄一の見た19世紀後半のパリ」6 「パリの美化」①
ナポレオン3世が「パリの美化」と呼んだパリ大改造をオスマンは、緊急度に応じて工事を3期に分け、逐次遂行していくことにして、1853年の暮れから第一期工事にとりかかった。
まずナポレオンが工事を始めたリヴォリ通りを完成させるためにテユイルリ宮の中庭に入り込んでいた貧民街を撤去する。そのため、カルーゼル広場から、今日のルーヴルの中庭のガラスのピラミッドのあるあたりまでびっしりと立ち並んでいたあばら家の群れは跡形もなく消え去った。ボードレールは『悪の華』の「白鳥」という詩の中で、この焼失したバラックの群れのことをこう歌っている。
「それが突然、私の豊かな記憶を孕ませたのだ、
今日、新しいカルーゼル広場を横切ろうとしたときに。
古いパリはもうなくなった(都市の形の変化の速さは、ああ!人の心のそれにまさる)。
もはやこころに描くばかりだ、あの建てこんだバラックの群れ、
さらには、窓ごしにきらめく、雑然としたがらくたなどは」
ボードレールは嘆き、懐かしんでいるが、オスマンはそうした詩的感傷性をまったく持ち合わせていなかったので、その回想録の中で、「パリにおける最初の仕事として、この一画を一掃することができたのは、私にとって、大きな喜びであった」と率直に喜んでいる。
その後のパリ市庁舎までのリヴォリ通りの延長工事にはいくつか問題があった。その一つはルーヴルの正門の前にあるサン・ジェルマン・ロクセロワ教会をどう処理するかという問題である。ナポレオン3世が示したプランでは、この教会を撤去することになるが、オスマンは反対だった。それはオスマンの信仰とこの教会の歴史に関係する。1572年8月24日、サンバルテルミー(聖バルトロマイ)の祝日の前夜から当日にかけて、パリを中心に数千人以上の新教徒が虐殺された事件「聖バルテルミーの虐殺」が起こったが、この大虐殺はサン・ジェルマン・ロクセロワ教会の鐘の合図で始まった、とされる。そしてオスマンはプロテスタント。もしこの教会を撤去したりしたら、「聖バルテルミーの虐殺」の仕返しをしていると取られる恐れがあったのだ。結局、オスマンはサン・ジェルマン・ロクセロワ教会を改修して残すことに決め、リヴォリ通りはこれまでのコースをそのまま延長したものにすることにした。
ただしこのプランだと、サン・ジャック・ド・ラ・ブシェリ教会とぶつかる。オスマンは、破損が激しい教会は破壊したが、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の出発点であり、パスカルが気圧実験を行ったことでも有名なこの教会の鐘楼「サン・ジャック塔」は残した。このように、パリ大改造にもかかわらず歴史的記念物は予想以上に残っている。
また1854年から1857年にかけて、レ・アール地区の古い市場を取り壊して鉄とガラスのモダン建築であるパヴィリオンが6棟東側地区に出来上がった。それはナポレオン3世がオスマンに向かって「私が欲しいのは、巨大な雨傘のようなもので、それ以上ではない」と語った理想を完全に実現した19世紀を代表する鉄とガラスの傑作建築だった。
続いてオスマンは、東(ストラスブール)駅からまっすぐ南下してシテ島を横切り、そのまま左岸に抜けてアンフェール市門(今日のダンフェール・ロシュロー広場)へと至る南北の幹線道路の右岸部分の建設に取り掛かった。これが今日のストラスブール大通り、セバストポール大通り、サン=ミシェル大通りである。この工事は多くの民家を取り壊し、パリの歴史と民衆的記憶(民衆蜂起など)の残った古い通りを一掃するもので人々の批判を呼び起こしたがオスマンは率直にこう説明している。
「それは、『古いパリ』の切開であった。反乱とバリケードの街区を幅の広い中央通りにとって切開するのである。その幅広の通りは、あのほとんど通行不能の迷路を端から端まで貫通することになる。それにはよこの連絡道路も備わっているから、それらが出来上がれば、着手された事業の完成に貢献するにちがいない」(オスマン『回想録』)
フェリックス・ブノワ「レ・アール(中央市場)」1861年
サン・テュスターシュ教会の屋根から眺めた構図
1849年当時のレ・アール地区
ヴィクトール・バルタール設計 レ・アール鳥瞰図 1863年
レ・アール(中央市場)1860年代
レ・アール(中央市場)内部 1870年頃
アドルフ・イヴォン「パリ再建計画の説明を受けるナポレオン3世」1865年 カルナヴァレ博物館
アドルフ・イヴォン「オスマン男爵」1867 カルナヴァレ美術館
オスマンのパリ改造地図
カルーゼル広場 1849年
ルーヴル美術館とカルーゼル広場 1856年
カルーゼル広場(現在)
サン・ジェルマン・ロクセロワ教会 1834年
サン・ジェルマン・ロクセロワ教会 1851-70年
モネ「サン・ジェルマン・ロクセロワ教会 」旧国立美術館 ベルリン
サン・ジェルマン・ロクセロワ教会 現在
サン・ジャック・ド・ラ・ブシェリ教会 1702年
「セバストポール大通り」と「サン・ジャックの塔」 1866年
サン・ジャックの塔 現在